108.されど今日も陽は昇る
中庭に設けられた祭壇に、白い棺が置かれていた。
そこは普段、修道女たちが太陽神シェメッシュに祈りを捧げるための祭壇。
けれど今は、死者を弔うための祭壇。
カミラは乾き始めた髪を下ろして、その祭壇の前に佇んでいた。
そんなカミラの背中を、仲間たちが見守っている。
ジェロディたちだけじゃない。カールも、ジョンも、ロザンナも――そしてフィロメーナを慕っていた、たくさんの修道女たちも。
「お別れね、フィロ」
蓋が開けられた白木の棺。その中ではフィロメーナが眠っていた。
一体誰が、どこから集めてきてくれたのだろう。純白の衣装をまとったフィロメーナは、溢れんばかりの白い花に包まれている。
彼女が左半身に負ったはずの凄惨な傷も、それらの花とまっさらな衣装のおかげで今は完全に隠れていた。顔までかかっていた血の痕も拭われて、丁寧な死化粧が施されている。
美しかった。
呼吸してないなんて嘘なんじゃないか、と思うくらいに。
(やっぱり、最期に会えたのかしら)
そう信じずにはいられないほど、フィロメーナの表情は穏やかに見える。彼女が生前抱いていたであろう苦しみや悲しみなんて、そこには微塵も感じられない。
それがカミラには救いだった。
割れ物に触れるように、そっと彼女の頬へ手を伸ばす。白い肌ははっとするほど冷たくて、しかし手を離すのをためらうくらい、愛おしい。
「ねえ、フィロ。私もあなたに伝えたかったことがたくさんあるの。だけどたぶん、どれだけ時間があっても足りないからやめておくわ。……代わりに一言だけ」
香粉が塗られた頬に指を滑らせながら、カミラは微笑った。
優しすぎる彼女のことだ。きっとその魂は未だ天には昇らずに、カミラたちの身を案じて近くをうろついているに違いない。
だから、もう心配をかけないように。
この言葉が彼女に届くことを祈りながら、言う。
「フィロ。私もあなたと出逢えて幸せだった。――さようなら」
そう言って、手を離した。
赤い閃光がほとばしり、熱風が噴き上がる。
修道女たちの悲鳴が聞こえた。
けれどカミラは構わず、右手の火刻に全神経を集中させた。
目の前で巨大な火柱が上がる。真っ赤な炎が棺を呑み込み、夜明けの青を蹴散らして、あたりを明々と照らし出す。
「我らが父、我らが母、我らが魂の依り辺たる太陽神シェメッシュよ。今、貴方の懐に抱かれんとする魂は、我らが師、我らが友、我らが愛すべき隣人なり。その生前の善なることを祝福し、邪なることを赦し、どうか我らが友の魂に――」
自身の生み出した炎に赤い髪を煽られながら、カミラは葬送の祈りを唱えた。
それは故郷のルミジャフタで、決まって死者に贈られる言葉。
太陽神シェメッシュに友の魂を託す言葉。
けれど途中で、聞き知ったはずの言葉が喉に絡んだ。
何故だろう。声が出ない。
ああ。こんなはずじゃなかった。
最後は笑顔で送ろうと決めたのに。
気を抜くと弱まろうとする炎に手を翳しながら、カミラは泣いた。
瞼の裏を、フィロメーナとの思い出が次々よぎる。
――いかないで。
喉が破れるまで、そう叫びたかった。
だけど今は、唇を噛み締めて。
燃え盛る炎から目を逸らさずに。
必ず送り届けるのだ。
大好きなフィロメーナを、神の御許へ。
「どうか、我らが友の、魂に……安らかなる眠りを、お与え下さい。その光の腕で、あらゆる苦しみから解き放ち……再生へと導き……どうか我ら、来世で再び巡り会えますように……!」
震える声で紡がれた祈りに、神が応えた。
光が強さを増し、熱風が吹き荒れ、炎は天へ、天へと昇ろうとする。
尋常ならざる高温まで熱された炎は、棺も、花も、カミラが愛した人の亡骸も、すべてを刹那に燃やし尽くした。
やがて炎と共に舞い上がった無数の灰の姿を追って、カミラは天を仰ぎ見る。
あんなに青かったはずの空が、いつの間にか透明な色に染まっていた。
そこへ吸い込まれていく灰に紛れて、燃え残ったらしい花びらがひとつ、舞いながら遠ざかっていく。
カミラは頬を濡らしたまま、じっとそれを見送った。
いつまでもいつまでも見送っていた。
東の稜線を白く染め、太陽が昇り始めている。
(第3章・完)




