09.なにがどうして
カミラは有言実行という言葉が好きだ。
言ったことはやる。必ずやり遂げる。実に潔く、かっこいい。兄のエリクがそうだったから、カミラは自分もそういう人間でありたいと思っている。
そんなわけで、結果から言うとカミラはジーノをこてんぱんにした。
それはもう男としての自尊心をしばらく取り戻せないのではないかというくらい徹底的に叩きのめした。
「ほぉら、そんなんじゃ救世軍に入ったところでお父さんの仇を取る前にやられちゃうわよ? 紙きれみたいに切り裂かれておしまいよ?」
そう言ってニヤニヤしながら倒れ伏したジーノを見下ろす様はもはや完全な悪役だ。ひょっとしたら彼の父親を自殺に追い込んだという郷守よりあくどい顔をしていたかもしれない。
「うぅっ……何なんだよこの人……怖すぎるよ……」
と、やがてジーノが泣き出し、見かねたミレナが止めに入るまでカミラによる苛烈な指導は続いた。
自分からジーノの心を折ってくれ、と頼んだミレナが止めに入るくらいだから、カミラの鬼教官ぶりは相当堂に入っていたらしい。実際ちょっと楽しかったし。
「これで分かった、ジーノ? あなたみたいなひ弱君が救世軍に入ろうなんて十年早いのよ。今のあなたが救世軍に入ったって足手まといになるだけ。お父さんの仇を取るどころか周りの足を引っ張ることになるわ。それでも救世軍に入りたい?」
そうして好き放題にやったあと、カミラは剣の代わりに使った薪を肩に乗せ、傲岸不遜に言い放った。視線の先で痣だらけになってうずくまっている少年は、カミラよりもひとつかふたつ年下に見える。
確かミレナはジーノと同い年だと言っていたか。だとすればふたりともまだ十五歳だ。トラモント黄皇国では一応成人として認められる歳だが、ジーノの外見は少し幼い。体格が並の十五歳よりひと回り小さく、工房に籠もりがちで色白な肌にはそばかすが散り、どうしても年相応に見えないのだ。ただミレナの再三に渡る説得にも応じないというだけはあり、性格は非常に頑固で、
「そんなの、あんたには関係ないだろ」
とうずくまりながらもカミラを睨み上げて言い返してきた。
いい根性だ、と、カミラはついニヤリとする。そこで薪を持ち直し、思わせぶりに一歩前へ出たら、それだけでジーノは腰を抜かした。
「ひっ……! ま、待って、もうぶたないで……!」
「ぶたないわよ。だからあなたも考え直しなさい」
「な、なんで、」
「あのね、ひとりで郷を飛び出してきた私が言うのも何だけど、命は粗末にするもんじゃないわ。私みたいに武芸の嗜みがあるならまだしも、あなた、見たところ剣を振る基礎体力すらないでしょう? おまけにあなたには家族がいる。泣くほど心配してくれる幼馴染みも」
カミラがそう言ってミレナを一瞥すれば、ジーノもつられて視線を向けた。
そうしてミレナと目が合うと、彼はばつが悪そうに顔を伏せる。
「たとえばの話だけど、もしもあなたたちの立場が逆で、ミレナがどうしても救世軍に入るんだって出ていったきり二度と戻ってこなかったらどうする?」
「そ、それは……」
「探しに行きたくなるでしょ、もしかしたらどこかで生きてるかもしれないって。……大切な人の帰りをただ待つだけってね、本当に苦しいの。だからどうか分かってあげて」
カミラがようやく薪を手放してそう言えば、ミレナがはっとしたようにこちらを見た。気づいたカミラも彼女に目をやって、ただ小さく笑ってみせる。
カミラがミレナの依頼を受けようと思ったのはまさにそれが理由だった。
自分はただ待つことの苦しさを知っているから、同じ想いをこの奇妙な縁で結ばれた少女にさせたくなかったのだ。カミラには父の仇を討ちたいと願うジーノの気持ちも分かるけれど──何せカミラの父も卑劣な賊に殺された──やっぱりミレナには同じ想いをしてほしくないと思う。だって思い出すだけで潰れそうだ。
温かい記憶ばかりが詰まった家で、不安と孤独に溺れそうになる日々を。
「だけど……」
と、ときにうつむいたままのジーノが言った。
「だけど明日の夜、救世軍が郷庁を襲うって……」
「え?」
「おれ、聞いたんだ。救世軍の幹部が郷守に天誅を下すために今、ジェッソのどこかに来てるって。だから救世軍に協力したいやつは、今夜までにピンゴの酒場に集まれって言われて……」
「ジーノ、それ、誰から聞いたの?」
「親方だよ。今お世話になってる工房の親方も救世軍に誘われたんだ。救世軍は本当に信頼できると判断した相手には向こうから声をかけてくる。だけど親方は工房を守らなきゃいけないからダメだって……だから親方の分までおれが……!」
「だけどもし罠だったら?」
すかさずそう尋ねると、ジーノは「え?」と言いたげに顔を上げた。そのあまりにも無防備で間の抜けた表情を見ていたら、カミラはついため息が出る。
「あのね、普通に考えてそんな噂が出回ってたら地方軍が警戒するでしょ? あるいは救世軍に加担しようって不届き者を一網打尽にするための罠かもしれない。何か確たる証拠があるなら別だけど、結局全部人伝に聞いた話みたいだし」
「で、でも親方は、本当に信頼できる筋から極秘に声をかけられたって……!」
「残念だけど秘密ってのは洩れるためにあるのよ。誰かが噂を地方軍に密告してないって確証がどこにあるの?」
「そ、それは……」
突きつけられた正論の前に、ジーノは為す術もなくうなだれた。
彼の表情は冷水をかけられたようにこわばり、視線は床の上を泳いでいる。
──トラモント黄皇国に弓引いた者は一族郎党余さず処刑。
それがこの国の法であることは異邦人のカミラでさえ知っていた。仮にこれが罠だったとして、ジーノがそこへまんまと飛び込めば、彼は親兄妹諸共捕まり殺されることになるだろう。その覚悟が本当にあるのか。カミラがそう問いかけると、ジーノは長い長い沈黙のあと、職人らしい骨張った手をきつく握り締めて言う。
「でも、もし本当だったら?」
「……え?」
「もしも噂が罠じゃなくて本当だったら──?」
──で、なにがどうしてこうなったのか。
カミラは現在薄暗い地下通路を歩いていた。薄暗いというか、はっきり言ってかなり暗い。真っ暗だ。うっすらとでもあたりを見渡せるのは前を歩く案内人が手にした角灯のおかげであって、他に明かりは一切ない。
さらに正しい表現をするならばそこは地下通路ではなく〝地下用水路〟だった。
カミラは白亜の町ジェッソの地下をさらさらと流れる用水路のすぐ脇をおっかなびっくり歩いている。今のところ聞こえるのは水音とふたり分の足音だけ。
前を行く案内人の男は一度もこちらを振り向かないし喋らない。……不気味だ。
おかしいな。なんでこうなったんだろう。
カミラは暗い地下道を歩きながら同じ自問を繰り返していた。今、この町で、最近噂の救世軍が郷庁を襲う算段をしている。その話が本当だったら──?
そう、そうだ。そう言って一向に引き下がろうとしないジーノにカミラもいよいよ業を煮やし、だったら自分が代わりに真偽を確かめてきてやる、と言い放ってピンゴの酒場へやってきたのがすべての始まりだった。
ピンゴの酒場は町の南西、小さな酒場がいくつか肩を寄せ合うように並んだ一角にあって、カミラは空がすっかり暗くなるのを待ってから出発した。
昼間の騒ぎがあったばかりなので、今出ていくのは危険ではないかとミレナは心配していたが、何しろ噂の期限は今夜までだという。
だからカミラは夜闇を味方につけ、人気のない路地を伝って目的地を目指した。
日が落ちると外の騒ぎも思ったより落ち着いて、時折哨戒の兵を見かけはしたが姿を隠しながら移動できないほどではなかった。
そんな感じですいすいといくつもの路地を渡り、辿り着いたピンゴの酒場。
カミラはジーノに言われたとおり、店内にいた禿頭の店主──何故か筋骨隆々だった──に合言葉を告げた。「サン・アルバを一杯」、と。
注文を聞いた店主はカミラをじろりと見ると「何年もので?」と訊いてきた。
これもジーノが言っていたとおりだ。
そこでカミラが「1145」と答えれば、店主は心得たように杯を差し出してきた。
杯の中には氷入りの冷たい水と、小さな徽章が入っていた。
「飲み終わりましたら、杯はこちらに」
と言いながら、店主はさりげなく自身の左胸を指す。
瞬間、カミラは何となく何かを悟った。ゆえに頷いて軽く杯の中身を飲み干すと、手に入れた徽章を左胸にくっつけて「ごちそうさま」と店を出た。
店主が寄越した徽章には自由の神ホフェスの神璽《白き双翼》が描かれていた。
一見すればホフェスを主神と崇める教会の会員証か何かに見えただろう。
けれどもカミラがそれを身につけて店を出ると、どこからともなく見知らぬ男がやってきて「こちらへ」と声をかけられた。
そうして案内されたのがこの地下用水路だ。
しかしここまで来てもまだ例の噂が真実だという確証はない。
カミラの数歩前を歩く男は何を訊いてもむっつりと黙りこくっているし、かくなる上は鬼が出るか蛇が出るか、行けるところまで行ってみるしかなさそうだ。
これでもし噂が偽物であったならよし。待ち構えている黄皇国兵どもを蹴散らしてさっさとトンズラをこけばいい。けれど逆に噂が真実だった場合は──
(……あれ? そう言えば、もしこの先に救世軍の幹部とやらがいたら、私、なんて言って引き返せばいいのかしら?)
カミラはことここに至って、ようやく重大な事実に気がついた。
仮にもし本物の救世軍と出会したならば、カミラはそのまま彼らの仲間入り、ということになるのだろうか?
いやいやいやいやいや。
ちょっと待て、それは違う、とカミラは頓に焦燥に駆られた。
自分の目的はあくまで噂の真偽を確かめることであって、反乱軍に加わる気など毛頭ない。だがあの酒場で徽章を受け取った時点で、救世軍的には「ようこそ救世軍へ!」という感じだったのではないか? だとしたらこの状況はマズい。
カミラは思わず足を止めた。わざわざ合言葉を弄して徽章を受け取り、こんなところまでのこのこやってきておいて「実は噂を確かめに来ただけで救世軍に入るつもりはさらさらありません!」なんてにこやかに言えるわけがない。
何しろ相手は〝大陸南部の覇者〟と呼ばれるトラモント黄皇国を向こうに回したならず者の集まりだ。彼らの行動は常に極秘裏に進められ、だからこそ黄皇国も神出鬼没の救世軍に手を焼いている。
そんな集団の真ん中に、やあやあと遠足気分で踏み込んでいったらどうなるか。
間違いなくフクロにされる。あるいは秘密を守るために抹殺とか。
カミラはぶるりと身震いした。
心なしか耳もとでサーッと血の気が引いていく音がする。
「どうかされましたか?」
刹那、まるで歩く岩石のごとく硬い沈黙を守っていた例の案内人が振り向いて声をかけてきた。いきなり立ち止まったカミラを不審に思ったのだろう、角灯に照らされた表情は明らかな疑念に満ちている。
「い、いや、あの……なんというか、入り口からもうずいぶん歩いたなあと思いまして……こ、この先に、本当に救世軍の方がいらっしゃるんですか?」
「ええ、もちろんです。あなたも我々の仲間に入るためにいらしたのでしょう?」
「え……えぇ、まあ……」
と、とっさに答えてしまってからカミラは激しく視線を泳がせた。いや、待て、「ええ、まあ」ってなんだ。自分には救世軍に入るつもりなんて小指の甘皮ほどもないではないか。だとしたら今のはきっぱり否定しておくところではなかったか?
しかしもしこれがジェッソ地方軍による罠であったなら、決定的証拠を掴むためには奥まで行くしかない。途中でビビって引き返してきたなんて知れたらジーノはきっと納得しない。いや、でも、だけど──
「──おい、そこで何してる」
と、ときに奥から声がして、一際まぶしい光がチカリと射した。
すっかり暗闇に目が慣れていたカミラはその光に思わず怯んでしまう。
視界が明滅してよく見えないが、奥から聞こえたのはどうやら男の声だ。若い。
「あ、これは副帥殿。さらに志願者をひとりお連れしました」
「なんだ、まだ志願者がいたのか。地上ではもう受け入れを打ち切ってる頃だろうし、たぶんそいつで最後だな。……って、女か?」
「はい。何でも剣の腕が立つそうで、火刻の使い手でもあるそうです。ええと、名前は……」
と案内人の男が言いかけたところで、カミラはようやく視界を取り戻した。未だ強烈な光に慣れない両目を何度も瞬かせながら〝副帥〟と呼ばれた男の姿に目を凝らす。身長は、三十五葉(一七五センチ)程度といったところか。すらりと脚が長く、引き締まった脚衣の線が太腿あたりのしなやかな筋肉を見せつけている。
上体には淡い青色の、前を合わせるタイプの衣服と左胸を守る革の胸当て。肩から背中にかけてはさらに濃い青の外套が下がっており、腰には剣を佩いている。
ただ立っているだけでも隙のない構え。途端にカミラは肌がピリリとするのを感じた──この男、強い。相手が放つ気配だけではっきりとそれを感じ、やや緊張しながら視線を上げる。すると途端に視界へ飛び込んでくる、茶色がかった黒髪とそこから垂れる青い羽根飾り。……羽根飾り?
「……え?」
瞬間カミラが発した声と、目が合った男の声が重なった。
ふたりは互いにぽかんとしたまま、しばし相手の顔を見つめ合う。
「……………イーク?」
やっとのことでカミラはその名を喉から絞り出した。
足もとを流れる用水路の水音が、暗闇にやけに響いている。