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101.禁じられた力

 野に馬のいななきが満ちていた。

 松明の明かりがひしめき合っている。あちこち固定されて動かないあの光は篝火だろうか。

 とにかく無数の赤い光が、原野を埋め尽くしていた。その光景を空から見たら、きっと地上にも星空が広がっているように見えるに違いない。


「――遅かった」


 先頭で馬を止めたヴィルヘルムの第一声は、それだった。

 街道の脇にそびえる岩の陰。そこで手綱を絞ったジェロディは言葉を失い、馬の鞍に座り込む。

 出逢いの町ロカンダ。

 昼間はいかにもトラモント人の町らしく陽気で賑やかなその町が、今は武装した軍勢に囲まれ、不穏な空気の中にあった。


 町の四方に展開する、圧倒的な数の兵士たち。彼らが猫の子一匹逃さじと展開した巨大な方陣には、無数の旗が掲げられている。

 蒼い月明かりに照らされた、赤地に黄金竜の旗。

 間違いなかった。


 トラモント黄皇国中央軍。


「そ……んな……こんなことって……」


 同じく岩陰で馬を止めたカミラが、茫然と呟くのが聞こえた。ジェロディはとっさに腰帯につないだ銀時計を引っ張り出す。

 昔父が母に贈ったものだという、ハノーク大帝国の紋章が入った蓋を開けると、時計の針はまだ戒神の刻(二十時)を少し回ったあたりを指していた。


(この時間にこれだけの陣が完成してるってことは、軍はもっと早い時間から……)


 そう推測して顔を歪める。間に合わなかった。いや、そもそもヴィルヘルムがロカンダ急襲を知らせてくれたときには既に遅かったということか。

 初めから間に合う見込みなんてなかった。だとしたら自分たちの選択は間違っていた――?


「ちっ……町の中ではもう戦闘が始まってるみてえだな」


 ジェロディが失意にうなだれている横で、そう零したのはウォルドだった。確かに耳を澄ますと町の方からは喊声らしきものが聞こえてくるし、時折神術と思しい爆発音も轟いている。

 しかし陣が少しも揺らいでいないところを見ると、官軍は町の中で救世軍を殲滅するつもりなのだろう。言うなればあの方陣は彼らを閉じ込める巨大な檻だ。

 外から見ても官軍の布陣に隙はないし、混乱が広がりつつある町の中からそれを突破するのは至難の技。救世軍はどう足掻いても逃げられない。


「……妙だな」


 と、ときに呟いたのはケリーだった。彼女は真剣な眼差しで町の方を見据えたまま、何か不審がるように細い眉を寄せている。


「どうかしたの、ケリー?」

「いえ……装備からしてあの軍が中央軍であることは間違いないと思うのですが、どういうわけか――軍団旗が、上がっていません。あれでは一体どこに所属する部隊なのか……」


 言われてジェロディもはっとした。神に授けられた五感を研ぎ澄まし、じっと目を凝らしてみるが、確かにあの陣の中には軍団旗が見当たらない。

 中央軍であることを示す金竜旗こそ上がっているものの、それ以外の旗がどこにもないのだ。たとえばあれが父の軍であったなら、第三軍の部隊であることを表す獅子の旗が上がっているはず……。


(どういうことだ? あれは黄都から来た第一軍じゃないっていうのか――?)


 だとしても他軍の旗すらないのは妙だ。戦闘行為に及ぶ際には、必ず軍団旗を掲げて己の所属を明らかにすること。この国では軍規によってそのように定められている。それを敢えて無視しているというのは……?


「どうする、フィロ。これじゃ中との連絡も取れねえ。あれを突っ切ってアジトまで行くのは不可能だぜ」

「……」


 ジェロディが考え込んでいる間にも、すぐ横で話は続いていた。問われたフィロメーナはまっすぐに町を見据えたまま、動かない。

 しかしジェロディははたと気づいた。その手が小刻みに震えていること。瞳も忙しなく揺れ動き、彼女が必死に考えを巡らせていること――


「あっ……!」


 そのときだった。

 突然原野に閃光が走り、ジェロディたちは悲鳴を上げた。

 次いで轟いたのは、雷鳴。

 額に腕をかざし、辛うじて目を開ければ、町の南側に降り注ぐ雷の雨が見える。


「あれは……!」


 天からの急襲に、方陣の一角が乱れた。そこへすかさず突っ込んだ一団がある。平原が炎に包まれよく見えないが、町の中から現れたところを見ると――救世軍。


「イークだ……!」


 刹那、青い顔でそう漏らしたカミラが、素早く手綱を操った。そうして馬の鼻を南へ向け、駆け出そうとした彼女を横からヴィルヘルムが押し留める。


「おい、待て。どこへ行くつもりだ」

「決まってるでしょ! 仲間を……イークを助けに行かないと!」

「やめておけ。お前が行ったところで焼け石に水だ。だいたいあそこへ突っ込んだのがそのイークというやつだと何故分かる?」

「分かるわよ! 私がイークと何年一緒にいると思ってるの? イークが使う神気のにおいも雷鳴のクセも、私には分かるの! このまま放っておけない!」

「冷静になれ。お前が行ったところで状況は変わらん。自殺の口実に仲間を使う気か? それはそれは素晴らしい友情だな」

「……っ!」


 ヴィルヘルムの皮肉がよほど癇に障ったのか、カミラはなおも何か喚いていた。そんな二人の口論の傍らで、ジェロディは二度目の雷鳴を聞く。

 ――また南側。しかし今度は一発だけだ。

 恐らく最初の大技で神力を使い切ってしまったのだろう。それきり雷鳴は聞こえない。方陣が揺れ動き、兵力が南へ集まろうとしている。イークはどうなったのか。官軍へ突っ込んだ一団は?

 ここからじゃ何も分からない。炎が激しさを増している。

 せめて――せめてあの町の中にさえ、入ってしまえれば。


「フィロメーナさん」


 焦燥に衝き動かされるがまま、ジェロディはフィロメーナに馬を寄せた。彼女はこちらを振り向かない。体は町の方を向いたまま、蒼白な顔でできすぎた氷像のごとく固まっている。


「フィロメーナさん、指示を」

「……」

「あの町へ、入りますか?」


 一言一句、捩じ切るようにジェロディは尋ねた。

 フィロメーナの青灰色の瞳がこちらを向く。

 そうして彼女は頷いた。

 目を凝らさなければ見逃してしまうほど微かに――けれど、確かに。


「分かりました」


 ジェロディは覚悟を決めた。鋭く乗騎の腹を蹴り、岩陰を躍り出る。驚いたマリステアの声が追いかけてきた。しかし今は振り向いている時間も惜しい。


『ジェロディ、そもじもその大神刻の力は極力使わんようにしんしゃい。さもにゃーと――失わなくて良いものを失うやもしれぬぞえ』


 六百年もの間この世界を見守ってきた神子の言葉が脳裏を掠めた。

 だけどもう止まれない。

 だってこんなとき、誰かを救うために神子はいるんじゃないか。


(そうだろ、ロクサーナ?)


 彼女は頷いてくれるだろうか。それとも愚かだとわらうだろうか?

 どっちだっていい。力の使い方は分かったのだ。

 昼間のあれ(・・)がただの偶然でないのなら――


(僕は、僕の信じた道を行く)


 敵軍の背後まであと一(ゲーザ)(五〇〇メートル)というところまで迫った。南の騒動に気を取られているのか、官兵はまだこちらに気づかない。今だ。

 ジェロディは祈った。右手の《命神刻(ハイム・エンブレム)》に。


 ――生命を司る神ハイムよ。どうか――


 右手の甲が、手套の下で熱を帯びた。

 直後閃光がほとばり、祈りは聞き届けられる。

 前方に迫った騎兵たち。彼らの腰に差さった剣が、カタカタと音を立てた。

 次の瞬間、数本の剣がひとりでに鞘を飛び出し宙に浮かぶ。

 剣だけじゃない。槍も、盾も、松明も。


「な、何だ……!?」


 官兵の間に驚きが広がり、衆目がそれらに釘づけとなった。かと思えば天に浮かんだモノたちが、刃や炎を下に向け、一斉に降り注ぐ。

 悲鳴と混乱が弾けた。突如として生命を持ち、襲い来る武具たちを前に、多くの兵が逃げ惑っている。


 ――やった。できた。


 安堵と共に馬を止め、ジェロディは息を弾ませた。しかし急に大きな力を使ったせいだろうか。体が変だ。呼吸が乱れて、全身を汗が濡らし、何だか、意識が……


「目を閉じていろ」


 馬蹄の音が聞こえた。かと思ったら後ろから頭を押さえつけられた。

 その衝撃で我に返り、視界の端にわずか捉える。

 ヴィルヘルム。彼はジェロディを押さえると同時に右腕を振り上げ、官軍へ向けて何か投げた。それは地上の炎を受けて光り輝く、美しい宝石のように見えた。


 瞬間、先程の神術の光とは比べものにならないほどの閃光が降り注ぐ。

 夜の闇が一瞬で白く塗り潰され、網膜がける。

 それだけじゃない。頭上、遥か高みから光と共に降るこれは……声?

 とんでもなく高音で、まともに聞いたら頭が割れる、そんな危機感を本能的に覚えるような――


「今だ!」


 再びヴィルヘルムの声がして、ジェロディはガクンと体を持っていかれた。馬がひとりでに走り出したのだ。いや、たぶんヴィルヘルムが(くつわ)を取っているのだろう。

 次いではたたいたのは爆音。さすがにこれはジェロディにも分かる。カミラの神術だ。あちこちから上がる悲鳴。高音。焼ける臭い。それらの渦の真ん中を、ジェロディは目を閉じたまま突っ切っていく。


「――すげえ、本当に何とかなっちまいやがった」


 ジェロディが次に目を開けたのは、後ろからそんな声が聞こえた頃だった。

 ……馬の足音が変わっている。

 瞼を上げると、明滅する視界に淡黄色の石畳が映った。

 どうやら無事町の中へ入れたらしい。とっさに後方を確認するが、いるのはマリステア、ケリー、カミラ、フィロメーナ、ウォルドの五人だけで、追っ手らしき人影はない。唯一ヴィルヘルムだけがジェロディの隣に並び、馬を曳いてくれていた。


「ヴィルヘルムさん、さっきのあれは……」

「希石だ。最後の一つを使った。やつらはまだ光の中にいる。当分は追ってこれまい」

「あ、ありがとうございます。助かりました」

「俺はやめておけと言ったはずだぞ」


 隻眼を前方へ向けたまま、ヴィルヘルムは呆れた様子でそう言った。けれど反対しながらも、彼はジェロディの意思を汲んでくれたのだ。

 それが少し嬉しくて、ジェロディは頬を緩めた。だが気持ちまで緩めてはいられない。これで自分たちは戦場へ入った。いつどこから敵兵が襲ってきても不思議はない。


「……静かだな」


 しかしそんなジェロディの警戒に反して、町の中は静まり返っていた。空気が張り詰めているせいでとても穏やかとは言えないが、通りには人っ子一人いない。何だか妙だ。


「さっきまでは喊声が聞こえていたのに……」

「町の中で戦っていた連中が外へ打って出たからだろう。家々にも灯りがない。住民は皆、戦いが終わるまで息を潜めている」


 言われてみれば、確かにどの家の窓にも灯りがない。あるのは頭上の月明かりのみで、それがなかったらたぶん町は真っ暗だ。

 町人たちはヴィルヘルムの言うとおり、戦いに巻き込まれることを恐れて屋内へ避難したのだろう。戞々と鳴る蹄の音だけが生き物のように建物の間を飛び交っている。


「で、どうする? 一旦町に入ったからには、当分外へは出られないぞ」

「私たちのアジトへ行きます。そこへ行けば、何か情報が掴めるかも」


 答えたのはフィロメーナだった。その声は思いのほかしっかりとしていて、先程までの動揺は窺えない。

 見れば顔色こそ悪いままだが、フィロメーナの瞳は再び意思の光を取り戻していた。どうにか町へ入れたことで、彼女にも希望が見えたのかもしれない。


「分かった。だが俺はこの町に土地勘がない。ウォルド、先導を頼む」

「ああ。カミラ、お前はフィロの傍を離れるな。ケリーは殿(しんがり)を」

「任せな」


 言われるまでもないといった様子で、ケリーは初めから列の最後尾にいた。カミラはフィロメーナの隣にぴたりとついて、緊張した面持ちをしている。


「マリー。君は僕の隣に」

「は、はい……!」


 最後にジェロディがマリステアを呼び寄せて、隊列は整った。誰が合図したわけでもないのに、皆の馬が自然と速足になる。

 ジェロディは逸る気持ちを抑え、先頭を行くウォルドを追った。

 だけど何故だろう。右手の甲がまだ熱い。


 まるで《命神刻》が何か警告しているみたいだった。試しに手綱をきつく握り込んでみるものの、ひりつくような感覚はなくならない。

 嫌な予感がした。かと言ってここまできた以上、引き返すことはできない。

 この先で何が待っていようと進むしかないのだ。ジェロディは喉を鳴らして不安と迷いを飲み下す。


(ここで終わりになんかさせない。絶対に……)


 今の自分は、為す術もなくビヴィオでの虐殺を見ていたあの頃とは違う。

 そう信じた。


 そう、信じていたかった。



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