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センターライン  作者: 佐久間みほ
始まり(1年春)
3/20

スタートライン-2

冬の高校サッカー選手権大会は、春の国体よりも何故か重要視される。

夏の国体は冬の大会の前哨戦、といわれるくらいには。


小学生の時、その頃住んでいた家の前がサッカーの強豪校で、よく練習を自室から眺めていたのが私とサッカーとの出会い。

勿論、中学生の兄もサッカーをやっていたから、知識がそれなりにあったのも大きいかもしれない。

だからといって、自分がやるとか、そういう発想は一つもなかった。

というよりも、できなかったというほうが近いのかもしれない。

今では丈夫になった体も、あの頃は小児喘息のおかげで激しい運動は禁じられていた。

だから、大きなグラウンドで走るお兄さんたちを見ているのが、ただ楽しかったのだ。


通った中学は部活動全員参加の学校で、私は高い倍率を掻い潜って、サッカー部のマネージャーをしていた。

あの頃はただ必死になって、日々の業務をこなす日々。

キレイに化粧した先輩たちに囲まれて、難癖つけられたのはいい思い出だ。

たぶん、あの3年間で体も心も鍛えられた。


小学校高学年の頃から、高校はサッカー強豪校に行こうと思っていた。

テレビで見続けてきた国立の舞台に、私も関係者として行きたいと思ったから。

なんとまぁ不純な動機か、と母親も兄もあきれていた。

それでも、自分が目指す高校は学力が求められる学校だったからか、反対はされなかった。


マネージャーをしながら必死になって勉強した中学3年間。

女の子らしい何かを身につけることはほとんどなかった。

同じクラスの女子たちが放課後遊びに行く話を聞いたり、休みの日にデートだと遊園地に行く話しを聞いたりした。

それでも充実した時間を過ごせたと思う。


考えてみてほしい。

小学校からあがってまだ制服に着られているときから、3年後のことを見据えて勉強していたのだ。

我ながら徹底してる。


頑張った分、付いてくる成績によって、無事志望校に入学することができた。

マンモス校と地域で言われるほど、人も敷地も大きなところだった。


私立丸川高等学校


それが、私の出身校。


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