スタートライン-2
冬の高校サッカー選手権大会は、春の国体よりも何故か重要視される。
夏の国体は冬の大会の前哨戦、といわれるくらいには。
小学生の時、その頃住んでいた家の前がサッカーの強豪校で、よく練習を自室から眺めていたのが私とサッカーとの出会い。
勿論、中学生の兄もサッカーをやっていたから、知識がそれなりにあったのも大きいかもしれない。
だからといって、自分がやるとか、そういう発想は一つもなかった。
というよりも、できなかったというほうが近いのかもしれない。
今では丈夫になった体も、あの頃は小児喘息のおかげで激しい運動は禁じられていた。
だから、大きなグラウンドで走るお兄さんたちを見ているのが、ただ楽しかったのだ。
通った中学は部活動全員参加の学校で、私は高い倍率を掻い潜って、サッカー部のマネージャーをしていた。
あの頃はただ必死になって、日々の業務をこなす日々。
キレイに化粧した先輩たちに囲まれて、難癖つけられたのはいい思い出だ。
たぶん、あの3年間で体も心も鍛えられた。
小学校高学年の頃から、高校はサッカー強豪校に行こうと思っていた。
テレビで見続けてきた国立の舞台に、私も関係者として行きたいと思ったから。
なんとまぁ不純な動機か、と母親も兄もあきれていた。
それでも、自分が目指す高校は学力が求められる学校だったからか、反対はされなかった。
マネージャーをしながら必死になって勉強した中学3年間。
女の子らしい何かを身につけることはほとんどなかった。
同じクラスの女子たちが放課後遊びに行く話を聞いたり、休みの日にデートだと遊園地に行く話しを聞いたりした。
それでも充実した時間を過ごせたと思う。
考えてみてほしい。
小学校からあがってまだ制服に着られているときから、3年後のことを見据えて勉強していたのだ。
我ながら徹底してる。
頑張った分、付いてくる成績によって、無事志望校に入学することができた。
マンモス校と地域で言われるほど、人も敷地も大きなところだった。
私立丸川高等学校
それが、私の出身校。