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「っ!!」
勢いに任せて上半身をはね上げる――目を覚ましてみれば、ここは紛れもなく私の部屋だった。確認するように何度も何度も見回すが、何の変哲もないベッドに棚、鏡、床。いつも通りの光景で、いつもと何一つ変わらない同じ目覚めだ。
しかし心に広がる正体不明の不安は消えてくれず、何故か呼吸も速い。確認するように身体を見てみるが特に異常はなかった。強いて言えば少し頭がぼうっとして、時々頭痛で身体を強ばらせてしまうが、これも健康の範囲内だろう。
それより――もっと重大な、私の何かを揺るがすおかしな出来事があった気がするが、記憶が曖昧で思い出せない。脳内映像が砂嵐だ。激動の朝を過ごしたはずなのだが――何もかもが夢のようにぼんやりとしていて、確証が持てないのだ。
いや、本当に夢だったのかもしれないし、私の記憶違いという線もある。何にせよ私は今ここにいる以上支障はないのでどちらでも良い。
「さ、そろそろ……」
ずっしりと重い頭を押さえながら、立ち上がった。両足に力を入れてみる。しかしよろけた。バランスを取ろうと2、3歩足を動かしたが、結局倒れるようにしゃがみこんでしまう。一瞬、足の調子が悪いのかと思ってさすってみたが、変わったところはなかった。――どうやら思っている以上に体調が優れないらしい。
「……ったた」
体調がおかしいことに関して自覚はない。じっと座っているだけなら、少し身体が重いくらいだ。なのに立ち上がることさえもできないとはどういうことだろう。そこまで疲れを溜め込んだ覚えはない。
「でも最近は忙しかったし仕方ないか……?」
知らず知らずのうちにストレスが重なっていたのかもしれない、とひとまず納得することにした。
だがいつまでもこうしているわけにはいかない。とにもかくにも着替えなければ何も始められない。机にちらりと視線をやるが、今日中に終わらせなければいけないことが山積みだ。
クローゼットまで身体を引きずり、適当に服を選び出す。ゴソゴソとひっくり返しながら、やっとのことで普段着姿になるが、すでに体力のほとんどを消耗していた。今度こそ床に座り込んでしまう前に、とベッドまで避難する。たどり着いて、重力に負けた。布団がバサリと音をたてた。
「……お嬢様?」
1人でみっともなくもがいていると、その物音を聞き付けたのか、閉じた扉の向こうから様子を伺う声がした。
「お嬢様。お目覚めですか?」
もう1度。今度ははっきりと。声で誰がそこにいるのか予想がついたから、少し声を張り上げて「起きている」と返事をする。すると外から「入ります」と手短な宣言が聞こえ、扉が開いた。顔を見せたのはやはり予想通りの人物――白エプロンを身につけた清楚な美女である。さらに付け加えるなら、緩いウエーブを描いた黒髪が艶やかだ。
名前を真由というが、部屋に入るなり私の側に駆け寄って身体を起こす助けをしてくれる。
「ああ良かった。ずっと眠っていらっしゃったものですから、真由は心配で心配で」
「そんなに。だったら早く起こしてくれて構わなかったのに……」
「そのようなこと私にはできません。意地悪をおっしゃらないでください」
「そんなつもりじゃないって、悪かった」
真由がじっとこちらを見る。美女の顔を至近距離で眺められるのは私の特権だが、こうも長いと落ち着かない。たまらずに枕でバリアを張り、「何だ」と声をかければ真由は表情を曇らせる。
「……顔色がよろしくないですね」
枕は静かに定位置に戻された。
「私も薄々そんな気がしていたんだ。少し疲れが溜まったのかもしれない」
「お辛いでしょう、今お薬を」
真由は急ぎ足で部屋を出ていった。広い部屋の中取り残されて、また一人になる。