めぐみの心霊写真
§1
「では、本日の講義はここまで」
白衣に口髭をたくわえた天野酉彦教授が演壇で宣言するとともに、短いベルが鳴った。
「次回はユングの元型について話します」
天野教授が軽く礼をして、チョークのついた指を濡れタオルで拭き、テキストを閉じていると、2回生の畑野めぐみが歩み寄って言った。
「あの、教授、ご相談したいことがあるんですが」
「なんです?」
「見てほしい写真があるんですけど」
「じゃあ部屋で見ましょうか」
教授室の応接セットに腰を下ろすと、めぐみは一枚の写真を取り出しにかかる。
「私のスナップ写真なんですけど、隣に二ヶ月前に自殺した親友の顔が浮かんでいるみたいなんです」
「やはり、その手の話ですか。
どうも、そういう相談が多くてね、皆さん、私を霊能者と誤解してませんか?」
天野教授が言うと、めぐみは思わず謝った。
「す、すみません」
天野教授は手を振って、
「いや、霊能者じゃありませんが、そういう話は好きなんですね、これが」
教授の笑顔に、沈みかけためぐみの顔にさっと明るさが戻った。
「役に立てるかどうか、わかりませんが聞かせてもらいましょうか」
「ありがとうございます」
めぐみは教授の手に問題の写真を渡した。
「この前、高校時代の友人四人とパーティーをしたんです、その時のスナップ写真なんです」
三人の女性が並んでいる写真の中央で、めぐみが笑っている。
頬の横に右手で二本指を揃えて斜めに立てている。
その反対の肩の上から画面の左端にかけ黄色い雲のような線が走り、その下に青灰色一色の小さい顔があった。
左下の輪郭がぼやけているものの、目が大きく、鼻が通って、唇に適度の厚みがあり、かなり美人だ。髪が少し目にかかり、めぐみの二本指と似た感じで右手のひと差し指を斜めに立てている。
あまり気持ちのいい写真ではないが、教授はしばらくじっと眺めてから、おもむろに口を開いた。
「それで、君の名前は?」
「畑野めぐみです」
「で、親友の名前は?」
「谷崎さよりです。
さよりは大学は違うんですけど、高校からの親友なんです」
「なるほど。
その彼女が二ヶ月前に自殺した?」
「はい、そうなんです」
「新聞とかに出ましたか?」
「いえ、その日は他にも大きい事故がいくつかあって、さよりのことは出てませんでした」
「そうですか。
で、どういう自殺かわかりますか?」
「睡眠導入剤らしいです」
「理由に心当たりはありますか?」
「それがわからないんです。
前日は普通にメール来てて、悩みがどうという感じはなかったんですけど。
遺書は確かにさよりの字だったらしいです。
その写真、どうでしょう、何か私にメッセージがあるんでしょうか?」
めぐみがそう尋ねると、天野教授は苦笑した。
「私は霊能者じゃないですから、これだけではなんとも。
もう少し資料を集めてもらいましょうか」
「はい、何を集めたらいいですか?」
「まず、高校の卒業アルバム、高校以降で、さよりさん以外でもかまわないから、あなたと友人が映っている写真を全部」
「アルバムと写真ですね、わかりました」
「それから、自殺した部屋はわかりますか?」
天野教授が尋ねると、めぐみは「はい」とうなづいた。
§2
天野教授は翌日の午後、不動産屋に電話して、さよりが自殺したという部屋に案内してもらった。
それは住宅街にある鉄筋コンクリートの四階建て賃貸マンションで、エントランスホールに鍵がないタイプだ。
最上階にエレベーターで上がる途中、天野教授が聞く。
「このマンションは学生が多いんですか?」
小柄な三十代女性の不動産営業ウーマン間崎はうなづいた。
「そうですね、八割は学生さんかな、ああ教授の大学の生徒さんもいたと思いますよ。
あとは若いお勤めの方。
ここは全部ワンルームですから」
エレベーターを出ると廊下を歩いて、403号室の前で立ち止まった。
「こちらになります、どうぞ」
間崎は鍵を開けると、教授にスリッパを揃えた。
「ああ、どうも」
天野教授は洗濯機、キッチンのスペースを抜けて、内ドアを開けた。
七畳ぐらいだろうか、何も置いてないフローリングの床はきれいに磨かれて、窓には灰色のカーテンが半分だけ閉じていた。
天野教授はデジカメを取り出して床の写真を撮った。
「何か調べるんですか?」
「ええ、ちょっと原因が気になったもので。
ここは、しばらく借り手がないでしょうね」
天野教授がなにげなく言うと、間崎が否定した。
「皆さん、そう言うんですが、割引しておくと、それでも構わないと入る方も現れるんですよ」
「そうですか」
「それに今回は、睡眠導入剤で部屋はまったく汚れてないので、来年の春前には埋まってると思いますよ」
「自殺があったことは説明はするんでしょ?」
「ええ、もちろん、重要事項の説明は義務ですから。
隠して契約しても、後で近所から噂で聞きつけたりすると、場合によってはこちらが慰謝料まで請求されかねないですからね」
天野教授はうなづいて、玄関を指差した。
「ところで、事件が判明した時、玄関の鍵はかかってましたか?」
間崎はうなづく。
「ええ、学校から無断欠席で親御さんに連絡が入り、そこで親御さんから私どもに電話が入ったんです。
そして、私が親御さんを連れて鍵を開けて入ったんです」
「自殺なんですね?」
「ええ、ちょっと臭いがしましたが、きれいに寝ていましたよ。
美人さんだったし、人間てこんなに静かに死ぬものなのかあと思いました。
遺書も机に乗ってましたから、警察もすぐ自殺と断定したようです」
天野教授が聞く。
「どんな感じの遺書です?」
「私はちらっと見ただけで、中身は読んでませんけど。
でも原稿用紙にきれいな字で書いてありましたよ。
親御さんが読んで泣いてました」
「そうですか」
天野教授はサッシを開けようとして、その指を止めて考え込んだ。
「この鍵はかかってましたか?」
「さあ、どうだったかしら、臭いがしたんで私が開けたと思うけど、そういうのって反射的にしてるでしょ、鍵がどうだったかまでは覚えてませんね。
警察のひとにもそう答えたんです」
天野教授はサッシを開けると、バルコニーの写真を撮った。
そしてバルコニーの手すりから身を乗り出して周囲を見回した。
マンションのすぐ前は車一台が通れる狭い道で、マンションと一戸建ての住宅が密集しているが、こちらが北側にあたるためこちらを見通す窓は少ない。
天野教授は鼻柱の上を親指でつまむようにして考え込んでから、言い放った。
「一週間以内にもう一度来ることになると思います。
その時、またよろしくお願いします」
営業ウーマンは驚いた顔をした。
「何か問題がありましたか?」
「いいえ、わかりません。
わかりませんから、もう少し資料を整理して、特別捜査官を連れてきます」
営業ウーマンはぽかんと口を開いて聞いた。
「大学に特別捜査官がいるんですか?」
「まあね」
天野教授は謎めいた笑みを浮かべた。
§3
大学の部屋に戻った天野教授は、昼休みにめぐみが持って来てくれたスナップ写真とアルバムを丁寧にチェックしはじめた。
スナップ写真の上にはハトロン紙でカバーをつけて、めぐみにサインペンで名前をふってもらってあった。
天野教授は、ハトロン紙を何度もめくりながら、虫メガネで顔を確認したり、卒業アルバムのページをめくることに熱中していった。
だから、めぐみが少し開いていたドアから部屋に入ってきたのにも気付かなかった。
「教授」
そう声をかけて、めぐみは教授の手元を見て叫んだ。
「な、何、虫メガネで拡大してんですか!いやらしい!」
虫メガネは段違い平行棒の演技をしている新体操部のレオタード姿に向けられているかに見えた。
「あ、君か、違うよ
僕の側に来て見てくれるかい?」
めぐみが不審がりながら教授の側に来て見ると、虫メガネが映し出していたのは、平行棒の脇でサポートしているらしいジャージ姿の女性の小さな顔だ。
「あ、すみません、あっちから見たら角度がちょうど、その」
「ええ、これは?」
「これは紗椰珂です、そう、彼女は新体操部だったんです」
「しかし、新体操部の集合写真には映ってなかったよ」
「ええ、紗椰珂は、もともと実力あったんだけど、怪我しやすいコで、2度も大会の前に捻挫しちゃって。
それがよっぽど悔しかったらしく、最後の大会途中で退部したんです。
だから集合写真にはいないんですよ」
「なるほど、そういうことか」
「その紗椰珂さんはあの写真のパーティにも来てましたね?」
「ええ、あの心霊写真自体には映ってませんけど」
「そうでした、他のスナップには映ってたから、あの心霊写真は紗椰珂さんが撮ったということですね。
あの写真をパーティーに来たひとたちに見せたんですか?」
「ええ、喫茶店に集まって、みんなにまわして見せたんです。
キャーキャーて大騒ぎでした」
「美由紀さんも?」
「ええ」
「紗椰珂さんも」
「ええ」
「祥子さんも」
「ええ」
「なるほど」
天野教授は納得すると、別な質問をした。
「それで、さよりさんだけど、彼氏はいたのかな?」
「そうですね、大学入ってつきあったのは、二人いたけど、一人は数ヶ月、二人目は半年ちょっとかな、長続きしなかったです。
で、死ぬ一ヶ月くらい前に新しいひとに告白されて、つきあい始めたようなことを喋ってました」
「そう」
「だけど、そっちはあまり深い付き合いにはなってないと思いますよ。
だからそういう面で自殺するような悩みはなさそうでした」
「相手の名前はわかりますか?」
「ええ、メールに書いてたから、ちょっと見てみます」
めぐみは携帯を開くと、メールの受信箱から、さよりからのものを何通か開いて言った。
「あ、ありました、柿島龍、リュウてひとです、電化工大の2回生です」
「じゃあ、ここにメモしておいてください。
そのひとに会ったことは?」
「いえ、ありません」
天野教授はうなづいて、めぐみに提案した。
「じゃあ、来週の月曜の午後、さよりさんの部屋で、お別れ会をするからと前のパーティーのメンバー集めてください。
月曜の午後なら、みなさん都合つけやすいでしょう」
「ええ、いいですけど、それで?」
「集める時に、こう伝えてください。
犯人がどうというわけじゃないんですが、心霊写真の謎解きをしてあげます、と」
めぐみは驚いて聞き返した。
「犯人て、さよりは自殺なんですよ」
「とにかく、犯人がどうというわけじゃないと言ってほしいんです。
もしかしたら誰かの意識を揺り動かすかもしれない」
「それって、誰かが殺したってことですか?」
「いえ、わからないから、もしそういう結論になる時に備えて、心の準備をさせてあげたいんです」
めぐみは不安を抑えて「わかりました」と答えた。
§4
月曜日の午後5時すぎに、さよりの自殺した部屋に、天野教授と、のぞみ、美由紀、紗椰珂、祥子、それに部屋の管理者である不動産屋の間崎が集まった。
折りたたみの低いテーブルが運び込まれて、ケーキと紅茶がセットされ、みんなはそのまわりに座った。
天野教授が宣言する。
「では、さよりさんのお別れ会を始めましょうか。
ケーキの好みが合うかわからないけど、まあ、食べてみて」
しかし、みんなはケーキに口をつけたものの言葉は発しない。
そこで、めぐみが何か言わなきゃと口火を切った。
「ほんとに、さより死んだんだよね」
すると祥子が言う。
「不思議な感じだよ、つい、この前まで買い物行ったり、冗談言ったりしてたのにね」
「うーん、いまだに信じられない」と美由紀。
「ほんとにね」と紗椰珂。
おもむろに天野教授が口を開いた。
「今回、私は心霊写真の謎解きに呼ばれたわけですが、なぜ、さよりさんが死んだのかということについて、私なりに調べてみました」
美由紀が思わず聞いた。
「で、わかったんですか?」
「それがね、確信できる答えにはまだ到達できていないのです」
落胆した雰囲気が広がった。
「意識について、まず私の学説を説明しておきます。
この学説は、めぐみ君も私のゼミは聴いてないから初めてだと思うが」
めぐみは「はい」とうなづいた。
「意識の第一原理は『あらゆる物や空間は、そこに起きた出来事を記憶できる』ということだ。
厳密に言うと、記憶するのは物や空間自体ではなくて、そこに重なっている意識の素粒子である記憶意識という意識の最小単位に記録するんだ」
女子大生は首を小さく傾げ、間崎が呟いた。
「難しいお話ですね」
天野教授はうなづいて続ける。
「次の原理はもう少しわかりやすいですよ。
『感受性の強い人間は、見えない記憶意識に残る記憶を引き出して見ることができる』ということです。
私は、あの心霊写真は、ここにいる誰かの感受性が無意識のうちに記憶意識にアクセスして、その像をカメラの中に重ねて映し出したと考えています」
「じゃあ、あの心霊写真は、ここにいる誰かが無意識に映し出したんですね」
「そういうことになるね」
天野教授がうなづくと、紗椰珂が質問した。
「あの写真のさよりは、誰かを陥れようとしてたとかいうこと?」
「そんなことはないよ。
霊は死ねば一瞬で別の世界に行く。
意図があるように思うのは、この世の人間の意識の方だ」
その時、玄関がノックされて、二十代後半の女性が入ってきた。
「先生、遅くなりました」
顔立ちは小さく、目が黒くしっとりとして和風な雰囲気がある。
淡いグリーンのスーツを着ているが、両手に白い手袋をしているのが異様に目立つ。
「ああ、みんな、柴崎智美さんです。
間崎さん、彼女が例の特別捜査官ですよ」
間崎は「はあ」としか答えられない。
「柴崎さんは感受性が非常に強いんです。物に触れるだけで、そこに残されている記憶意識を読み取ることができるんだ」
天野教授が言うと、柴崎智美も補足した。
「ええ、私、鏡台に残る昔のひとの意識を読み取って、想像妊娠してしまい、危うく本来の自分を占領されそうになって、それは大変だったんです」
めぐみが言う。
「うわ、なんか怖いですね」
みんな、智美の話に圧倒されていた。
「そこを先生に助けていただいて、だから先生は恩人なんです」
そこで智美はみんなが気にしている手をさすりながら言った。
「今は先生の指導で、ふだんは物の記憶にアクセスしないように、この手袋を条件に自己暗示をかけているんです」
「それじゃあずっと手袋してなきゃならないんですか?」
「大変でしょ?」
みんなが言うと智美は微笑んだ。
「家の中とか、会社とかはしてないんですよ。
困るのは、うっかり殺人事件のあった場所とかに入ると、感じてしまうんですよね」
みんなが息を呑んだ。
天野教授はさりげなく女子大生四人の顔を見渡し、智美に告げた。
「じゃあ、柴崎さん、そこのサッシの手前で始めてみてください」
「わかりました」
みんなが注目する中、柴崎智美はサッシの手前で正座して、手袋を外した。
そして、智美はサッシの取っ手に手をつけてしばらくそのままでいた。
誰も何も話さない、異様な沈黙の時間が過ぎた。
やがて、突然、智美がサッシの取っ手に触れたまま、泣き出した。
「ごめんなさい。
ごめんなさい」
智美は読み取った意識を説明する。
「ごめんなさいって意識が溢れて、脱出する前に、ここでしばらく泣いたんです。
膝をかかえて、声を殺して、膝に涙がどんどん溢れました。
夕方、さよりさんの部屋を訪問して、すきを見て、冷蔵庫のウーロン茶にあらかじめすり潰した睡眠導入剤を入れておいたんです。
ただそれに致死量溶かすのは無理だと実験で知っていたので、一旦部屋を後にして、鍵のかかってない窓から侵入した私は、意識の朦朧としているさよりさんに、気付けの薬と言ってさらに睡眠導入剤を飲ませたんです」
美由紀が疑問を投げかける。
「でも遺書があったわ、ご両親もさよりさんの筆跡だって」
「あれは決行の一週間前、私がノートに書いた小説なんです。
さよりさんに読むように押し付けておいて、翌日、大変なのと電話したんです。
『賞に応募するのに1ページ抜けてたの。
締め切りに間に合わなくなるよ。
すごく急ぐの』と言って、さよりさんに原稿用紙に問題の1ページを今すぐ清書して速達で送ってくれるように頼んだんです。
さよりさんはなんの疑いもなく清書して送ってくれた。
そこで、私はその原稿用紙と睡眠導入剤を持って、」
智美が言葉を続けようとしたその時、
「もうやめてよ」
突然、紗椰珂が怒鳴って、部屋の空気がびりびりと震えた。
「そうよ、私よ、私がさよりを殺したのよ」
みんなが呆気に取られた。
「紗椰珂ちゃん?」
「嘘でしょ?」
紗椰珂は肩を震わせて泣き出し、俯いたまま喋った。
「だって、だって、リュウ君がさよりの写真見て、気に入ったから紹介しろよってしつこく聞くからいけないの。
うまく告白できなかったけど、私だってリュウ君を誰より愛してたのに。
いつもいつも、これからって時になんでこうなのよ?
部活だってがんばったのに、受験だってがんばったのに、私だってきれいになろうと努力したのに、なんでこうなのよお?」
そう言うと、紗椰珂は号泣を始めた。
§
警察に出頭する紗椰珂に付き添った帰り、めぐみは天野教授に聞いた。
「教授はみんなを集める前から殺人と思ってたんでしょう?」
「うん、遺書を原稿用紙に書くなんて不自然だろう」
「紗椰珂だと思ってたんですか?」
「侵入するには新体操やってて身軽い紗椰珂さんは可能性あるとは少し思ったが、でも実際、誰かはわからなかったよ。
証拠はもうないだろうから、柴崎君の読み取りを本人が認めてくれるかどうかにかかっていた。
だから連絡にあたり、君に、犯人がどうのという言葉をわざと言ってもらったんだ。
もしかして犯行がばれるのではという不安、そしてあきらめの心の準備がないと、突然始まった柴崎君の記憶の読み取りに対してもその場の意地で隠し通す可能性が高まる」
「なるほど、さすが心理学の教授ですね」
めぐみは感心して天野教授を見た。
「彼女、どうなるんですか?」
めぐみは刑罰の重さを聞いたつもりだ。
「一生かけて、さよりさんに仲直りしてもらえるようあやまるんだよ。
それしかないじゃないか」
天野教授はそう答えて寂しそうに笑みを浮かべた。 《了》
読みづらい点あったかと思いますが、おつきあい頂きまして、ありがとうございました。
感想、批評等ありましたら、いただけると嬉しいです。
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ブログの欠点である日付順はないので読みやすいかと思います。
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