教えを請う
今日も窓に差し込む光で目を覚ます。一つ大きな伸びをしてロリンシスはのそのそと身支度を始めた。
ここで働き出して早いもので一カ月が過ぎた。相変わらずロノイールには中々懐いては貰えていないが、以前よりは警戒を解いてくれている。王宮に働く従業員とも打ち解ける事が出来た。
今の所、ロリンシスは順風満帆といったところだ。ここに来た当初は王子というのはこんなにも危険なのかと肝を冷やしたものだが、ここに来て一カ月、あれ以来さほど大きな事件が起きる事もなく平穏な日常が続いている。
ボディガードといっても形だけといった感じだ。
そこまで考えてロリンシスはある疑問が沸いてきた。そういえばここに来て一度もロノイール以外の王子に会っていない。アルベルトの話では、ロノイールは兄が二人に姉が二人、妹が一人に弟が一人と大勢の兄弟が居るという。
いくらなんでも一人くらい会っていてもおかしくない。もしかしてすでに垣間見えてはいるが自分が気づいていないとか?そんな事はないはずだ。この王宮には国王、皇太后の他にその子供たちの絵画がそこら中に飾られている。分からないはずがない。しかし待てよ・・・・?
「・・・・王宮にある絵画の中に坊ちゃんって居たっけ・・・?」口にだしてから、慌てて口を塞ぐ。
誰かに・・ましてやアルベルトやロノイールに聞かれでもしたらマズイ。仕えている身として示しがつかないし。
しかし、考えれば考えるほどおかしい。絵画の中にロノイールが居た記憶が一切ない。気になるし、庭に行くときに確認しよう。そう決意し、ロリンシスがドアを開けるとそこにはロノイールが立っていた。
もしかして先ほどの呟きを聞かれていただろうか。内心ヒヤヒヤして落ち着かないが、それを何とか隠しつつ務めて笑顔を作った。
「おはようございます。どうかなされましたか?珍しいですよね、坊ちゃんがここに来るの」
ロリンシスの言葉にバツの悪そうな顔をしながらロノイールは口をもごもごさせて何か言いたげにしている。そっぽを向いてしまっているので横顔しか確認できない。
ロリンシスは少し考えるとロノイールと視線が合うようにしゃがんだ。これで少しは話しやすくなるだろう。ロリンシスは身長が高めなので無意識の内に威圧感を与えてしまっていると孤児院に居る時に自覚した。それからは子供と話すときは極力しゃがむようにしていたのだが、ロノイールが相手だとつい忘れてしまう。
まあ、この子供が子供らしくないってのが原因な気がするけど。ロリンシスはそっと小さくため息を着くと苦笑交じりにもう一度問いかけた。
「で、本当にどうしたんですか?朝食に嫌いなものでもありましたか」少しからかいを含めて言うとそれまでそっぽを向いていた顔が少しこちらを向いた。目は鋭いけど。やっぱりこういう所は子供らしいなとほんわかした気持ちになっていたら、突然鳩尾に華麗なまでの右ストレートが繰り込まれた。
「ぐおうふっ・・・坊ちゃん・・・何、するんすか・・・・」恨めしげにロノイールを見るロリンシスにロノイールはフンっと鼻を鳴らしただけだった。おまけに右手痛いわ―と言わんばかりに恭しく右手を擦るという嫌味な行動つきだ。
やっぱりこいつはクソガキだ・・・。ちょっとでもほだされかけていた数分前の自分を恨めしく思う。しかしこの王子歳の割に力強っ。鳩尾を抑えながら動かないでいるロリンシスを一瞥しロノイールは左手に抱えていた本をロリンシスの目の前に突き出した。
突然の行動に驚きつつも差し出された本を手に取る。本は算術の本の様だ。どうしてこの本を自分に渡すのか。
「これって、今日の勉強の時に使う算術の本ですよね?どうしたんです?勉強が嫌になりましたか?」
そう言って首を傾げたロリンシスにロノイールの冷たい視線が送られた。
「・・・そうではない」
今日初めて口を開いたロノイールはそれだけ言うとまた口を閉ざしてしまった。勉強が嫌ではないのであればこれは一体どういう事なのか。ますます疑問符を浮かべるロリンシスにロノイールは苦虫を噛み潰した様な顔をしながら事の顛末を告げた。
「・・・・・その、今日来る筈であった家庭教師が・・兄上の所に行ってしまって・・・その・・・」
「勉強を教えてもらえないと・・・?」
ロリンシスがそう言うとロノイールは黙って首を縦に振った。
「・・・・アルベルトが・・・ロリンシスは中々博識な青年だから、彼に教えてもらいなさいって・・」
驚いた。まさかそんな評価をしていてくれるとは。そういえば面接を受けた時貴方は勉学に秀でた方ですか。って質問をされたような・・・。幸い、ロリンシスがいた孤児院には様々なジャンルの本があった。経済から言語学に至るまで。ロリンシスは幼少時からそういった本を読み続けていたため一応勉学の心得はあった。だからはい。と答えたのだ。
そのあと小テストの様なものを受けさせられた。段々記憶がはっきりしてきた。確か色んなジャンルが入り混じったテストだった。
テスト内容はロリンシスにとっては至って簡単なものだった。すっかり忘れていた。あの時の質問やテストはこの為にあったのか。納得したように頷くロリンシスにロノイールが訝しげに眉を顰めた。
ロリンシスはロノイールに視線を合わせるとにっこり笑った。
「分かりました。じゃあ、今日は庭師のお仕事はお休みにして、坊ちゃんのお勉強にお付き合いをします」
ロリンシスがそう言って立ち上がるとロノイールは宜しくおねがいします、と小さく呟いた。
ロノイールの言葉に小さく微笑んでロリンシスは行きましょう、とロノイールに手を差し伸べた。ロノイールは一瞬虚を突かれた様に目を見開いたが、すぐにまたいつものしかめっ面に戻ってその手をパシッと小さくはたいた。
「・・・・・・調子にのるな・・・」子供らしくないドスの効いた声で憎々しげに呟いてロノイールは一足先に自室へと戻っていった。
一人残されたロリンシスは払われた手を握り締めわなわなと震えていた。ちょっと可愛いと思ったらすぐこれだ。さすがにもう慣れてきたぞ。怒らない。そんな事では怒ったりしないぞ。子供の戯れだと思えば可愛く見えて・・・可愛く・・・・
見えるかっっっ!!!!!ロリンシスが心の中で絶叫していると、いつまでも来ないロリンシスに痺れを切らしたのか、ロノイールの部屋から早く来いっと叫ぶ声がした。
ロリンシスは小さく笑うと、大きく息を吸った。
「こんのクソガキが!!!それが人に教えを請う態度かああん!?!?!?!?!?」
大股で歩きながらいかにも憤激してるといった様子でロノイールの部屋へと入っていく。
静かな空間にバンッと力任せにドアを閉める音が響き渡った。