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プロローグ

こちらでは初めましてとなります。頑張りますので、どうかよろしくお願いします。

 ここは、一体どこなのだろう。


 ぐるぐると何か目に見えない力によってかき混ぜられている灰色雲、何日ぶりかの曇天模様を眺めながら青年はぼんやりと思った。

 キィキィとした音が頭の奥から聞こえてくる。壊れた機械を無理やり動かしているような、非常に不快な音だ。

 さらに、体中から汗が噴き出しているのだろうか、妙に体中べっとりとした感覚に突かれている。これもまた不快だ。


 一体、何があったのだろう。


 彼は今になって自分の体があおむけに倒れていることに気が付いた。不吉な曇天を目の前に、まるで死体か何かの様に。手足が四方にだらりと放り投げられている。

 自分は眠っていたのだろうか。もっとも最近の記憶では、そう、友人と剣術の練習をしていた気がするが。それを忘れて、昼寝でもしてしまったのだろうか。


 彼はその場を起き上がろうと四肢に力を入れようとするのだが、驚いたことに彼の四肢はピクリとも動かない。

 それどころか、彼が動かそうと意識を込めたその体は、ミシリミシリと音を立て、あろうことか鋭い痛みの信号を主に送り返す。

 青年は言葉にならないうめき声をあげ、今自分が怪我をしていることを知った。それこそこの場を一歩も動くことの出来ないほどの大怪我だ。そう理解した瞬間、口の中に鉄の味が一気に広がっていく。体中が埃と土と血でべっとりと汚れていた。

 ここまで来て彼の頭はだんだんと覚醒してきた。焦りと不安がジリジリと心に歩み寄ってくる気配。


 ただ事ではない何かが今ここで起こっている。彼は直感的に理解する。すぐさま脳裏に浮かんだのは一人の少女の顔だった。

 小さいころから共に育った親友と言っても良い少女、いつもあちらこちらに動き回り、服を埃だらけにしていた少女。自分が暗く落ち込んでいると軽やかに笑い、背を叩いてくれた少女。綺麗な黒髪と桃色の唇が印象的な少女。

 続いて浮かび上がってきたのは一人の青年。この組織に入団したころからの盟友にして唯一無二のライバル。柔らかそうな髪を風に揺らしながら、いつも穏やかに笑う青年。攻撃魔法を得意としていた彼とは対照的に防御型魔法を得意としていた青年。


 誰か、誰かいないのか。誰か俺に現状を説明してくれ。


「おい、大丈夫か」

 彼の心の叫びに呼応するように、一つの声が響く。土を蹴る音、瓦礫か何か、障害物をどけ、足音は彼の元へと駆けていく。

「おい、君だ」

 青年と曇り空の間に、一人の男性の顔が差し込まれる。やつれた頬に青い髪が汗で張り付いている。落ちくぼんだ青い目は彼をしっかりと捉えていた。


 ああ、何とか。一体何があったんだ。

 青髪の男へ、そう言おうと青年は口を開くのだが、うまく声が出ない。喉に鈍い痛みを覚えて何度か軽くせき込んだ後、ようやく先の言葉を絞り出すことが出来た。

 これは、思ったよりも重体かも知れない。


「敵襲……、と言ってよいのだろうか。とにかく攻撃があったんだ。本部は全壊。今は残った連中がどうにか対応に当たっている。く、酷いな、この傷は。いや、しかし生きていただけでも幸運か」

 男性はおぼつかない手つきで治療魔術を彼に施してくれているのだが、その曇った顔を見、すぐさま戦いに戻れるような状態ではないであろうと青年は判断する。男性は彼の傷だらけの体に直接触れるのだが、痛みはなかった。しかし、治療魔術をかけられる際に感じられる温かさ、優しさを感じることが出来ない。その感覚が死んでしまっているのだ。


「落ち着けよ。喋らない方が良い。ただ、俺の話は聞いていてくれ。いいか、聞いてくれているだけで良いんだ」


 治療者が重傷者の意識を保つために、話かけを通じ、その神経や聴覚を刺激し続けることで、覚醒状態を保つようにコントロールすることがある。この技術は青年も知っていた。男性の言うとおりに耳に神経を集中させる。


「首謀者は、と言うか、その、敵はたった一人だった。彼は『ホヤウカムイの書』を盗み出して……ああ、守衛は全員即死だったよ」

 死んでいった者のことを考えているのか、わずかな沈黙が流れたが、男性は再び話し始めた。

「知ってのとおり、『ホヤウカムイの書』にはおよそ常人には扱いきれない強大な魔法の式が連ねられている。その辺りの黒魔導師が軽い気持ちで使ったら、逆にその使用者が死にかねない程にそのリスクは大きい」

『ホヤウカムイの書』のエピソードは青年も良く知っている。

だからこそ容易に扱えぬ様に厳重な警備の元、封印に近い扱いをされてきたのだ。また、

大きなリスクがあると言う事は当然、得られるリターンもリスクに比例して大きくなっていると言う事も知っていた。


「今の君からでは見えないだろうが、辺り一面、瓦礫の山さ。不思議だな。こことか昨日までは綺麗に整備された公園だったはずなのに。もう、何も残っていない。俺も黒魔導師の端くれだ。魔導書に関しては一通り習った。でも、まさか『ホヤウカムイの書』がここまで恐ろしいものだとは思わなかった」

 男性はガタガタと震えながら、細々と言葉を紡ぎだす。ひん死の人間を前にネガティブな事ばかりを捲し立てるのはあまり良い方法とは言えなかったが、彼もまた精神的に大きなダメージを負っているのかもしれない。


 この惨劇の原因は『ホヤウカムイの書』。なるほど、あの書であれば瓦礫の山と言う表現もありえる。正直なところ、想像以上だったが、納得はできる。

 だが、しかし。

 青年の頭に素朴な疑問が浮かぶ。

 この男は先ほど敵は一人だと言っていた。たった一人で『ホヤウカムイの書』を扱う。そんな超一流とも言うべき黒魔術師はいったい何者なのか。そこまでの腕前ならば世間的に広く名が知られていたとしても不思議ではない。

「俺は見たよ。……あれは、確かにアイリスだった」


 アイリス。その名を聞いた瞬間、青年の体がビクリと跳ね上がった。動くはずのない体が、見えない何かに突き動かされるように痙攣している。

 キィキィと言う不快な音がまたしても耳元で響いている。脳みその芯まで揺らすその音に青年は思わず叫ぶ。

 青年自身の獣のような叫び声をあげているつもりだったのだろう、しかし実際のそれはとても力ない。

「おい、落ち着け。手元が狂う」

 男性は慌てて青年を押さえつけるも、それでも青年の体はもがき続ける。

 必死の形相で青年は音なく叫ぶ。その目は怒りに塗りつぶされており、その口からは大量の血が吐き出されているのだが、それでも彼は叫ぶことをやめない。

 青年はもはや自分がなぜ叫んでいるのか分からなくなっていた。


 頭が痛い。耳鳴りがする。吐き気と眠気が同時に殴り掛かっている。血が、血が足りない。『ホヤウカムイの書』の威力が高すぎたのだ。直接狙われたのではなく、巻き添えを喰らっただけでこの威力。ああ、アイリス。悪名高き黒魔術師よ。かつて友と呼び合った悪魔よ。よくも戻ってきたな。ああ、目の前が暗い。男の青い髪と落ちくぼんだ眼が見えない。瞼を開けなければ、こんな所で死ぬわけにはいかない。ああ、アイリス。必ずお前を。眠い、眠い、痛みは感じない。もはや吐き気もなければ音もしない。何も見えず、何にも触れていない。ただ、眠い。だがしかし、アイリス……。


 青年はすでにその叫びをやめていた。

 その瞼は閉じられ、先ほどまでの慟哭はまるでなかったかのように穏やかな顔をしている。

 空では鉛色の雲がまるで巨大な竜か何かの様にうねり、雷が叫んでいた。青年の頬に一粒の水滴が落ちた。

 雨が降り始めそうだ。


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