ひきこもりの憂鬱
藤堂はとぼとぼと一人、歩いていた。
いつもならスーパーに寄って、奈々枝宅に向かうのだが、今日はその必要もなく、ぽっかり時間が余ってしまった。とりたてて何かやりたいこともなく、今日に限って宿題もなく、暇である。
奈々枝さん、誰に会うんだろう。誰と会うためだったら、ひきこもりをやめてまで外に出ようと思うんだろう。
そんなことをぼんやり考えていると、いつの間にか藤堂が奈々枝と出会った公園の近くに来ていた。足が無意識に奈々枝の家に向かっていた、というのではない。単にここは通学路なのだ。だから実は朝も奈々枝の家の近くを通ってから学校へと通っている。
公園で熱中症になって奈々枝の家に行くようになってからそんなに日にちは経っていないはずなのに、その前までどんな風に毎日を過ごしていたのか思い出せない。栃木に重症だな、と笑われるのも当然なのかもしれなかった。
そうして、公園を通り過ぎて、奈々枝の住むアパートを通り過ぎようとするとき、ふと、奈々枝の家の方を見てみた。
「奈々枝さんっ」
+ + +
現在、藤堂はいつものごとく、奈々枝の家にいた。アパートをあの瞬間に通りかかった自分を褒めてやりたいくらいだ。どういうことなのか説明してもらわなければ、この怒りは発散させようがない。
奈々枝の家には、奈々枝だけでなく、見知らぬ男がいた。しかも奈々枝とは随分、親しそうである。奈々枝と男がアイコンタクトを交わしているのを見て、藤堂はますます不機嫌になった。
「説明して」
藤堂の言葉に、奈々枝は誤解しているようだけど、とため息を吐きながら切り出した。
「嘘をつこうと思ったわけじゃないけど、結果的に嘘をついたのは謝る。悪かったな。しかし、本当に今日は出かける予定だったんだ。この男が来なければ、な」
そう言って、奈々枝はきっ、と自分の隣に座って飄々とした顔をしている男をにらんだ。
「この男はまあ、親戚で従兄に当たるんだが。柏崎有志という名前を聞いたことはないか?」
「柏崎、有志?」
「ああ。まあしかし男子高校生が知らなくても当然かもしれないな。この男はな、こう見えて実は結構有名なピアニストなんだよ」
「はは。お褒めいただきありがとう。柏崎有志です、よろしく」
柏崎は爽やかに笑うと、右手を差し出してきた。藤堂としてはよろしくしたくない相手だが、礼儀は礼儀だ。一応、軽く握手をする。
「君のことは、ナナから聞いて知ってるよ。藤堂くんだよね?ずっと会ってみたいと思ってたんだ。そしたらナナがそれはダメだっていうからさー。仕方ないからナナの家に突撃訪問してみましたー」
「奈々枝さんは柏崎さんと会うから、今日は来るなって言ったの?」
「そうだよ~?」
藤堂は奈々枝に質問したつもりだったのに、答えたのは柏崎だった。そのことにイライラする。奈々枝も藤堂の苛立ちに気が付いたのだろう。大きくため息を吐いて、今日は帰れ、と言う。
「説明はちゃんとするし、聞きたいことには答えるから、今日は帰れ。有志がいないところで説明してやるから」
「柏崎さんがそんなに大切なの?」
「というか単純に有志には用事があるんだ。そもそも用事があったから有志と会うことになっただけだし」
「俺、今日ここ泊まっていいー?」
「お前はちょっと黙っていような。ついでにダメだ。さっき真樹に連絡したから夜迎えにくると思うぞ」
「げっ、なんでそんなことを」
「とりあえず、お前は黙っとけ。でないと話が進まん。ええとすまんな、藤堂。用事がなんなのかというのはわたしだけじゃない人間のプライベートにかかわるから言えないが、それ以外については説明すると約束しよう。だから今日は帰れ」
奈々枝の説得に藤堂はしぶしぶ頷く。帰ることを承諾しなければ、次回から本気で家に入れてくれなくなるのではないか、という不安を感じたためでもあるし、用事がある、と奈々枝が言ったからには、本当に用事があるのだろう。それを藤堂のわがままで邪魔したりなどはしてはいけないのだ。そんな権利など藤堂は持っていないのだから。
「約束だよ。明日、説明して。僕の質問にちゃんと答えて」
「ああ、わかった。というわけで明日な」
「うん」
後ろ髪引かれる思いで藤堂は奈々枝のアパートを後にした。
+ + +
「あらま、帰しちゃって本当によかったの?」
「それをお前が言うか。どうせ今日わざわざこっちに来たのもそれが目的だろうに」
忌々しそうに吐き捨てる奈々枝に対し、そうだよ、と有志はからりと笑う。
「それで用事ってなにさ」
「真樹と由梨絵さんが結婚するらしいな」
「なんで、それを」
「当然だろう。真樹はお前の兄でわたしの従兄だぞ?連絡をとってないとでも思っていたのか?しかも由梨絵さんはわたしの部活の先輩なのに?わたしと由梨絵さんが仲が良いということだってわかっていただろうに」
「お前は案外面倒くさがりだから連絡とってないかと思ってた」
有志の吐き出した言葉を奈々枝は無視した。そうして、まだだめなのか、と聞く。
「まだお前は引きずっているのか」
「忘れられるとでも?」
「いい加減、諦めろ。お前が由梨絵さんを追い求めたとしてもあの人はお前に振り向いたりしないよ」
「そんなことわかっている!」
奈々枝の言葉に有志は語気を荒くした。
「そんなことわかってんだよ。だから留学だってしたし、新しい彼女だって見つけようと」
「本気でお前が新しい彼女を見つけようとしたとは思わんがな」
「慰めてはくれないのか?」
有志の言葉に奈々枝は、「お前と寝たのは間違いだったな」とだけ言った。
急展開です。次回から奈々枝さんサイドの話になります。