目には目を、骨には骨を
緩やかな曲線を描く廊下を歩き、幾つもの部屋の前を通り過ぎてようやく黒猫は止まった。迷路みたいな所だ。大広間からここまでの道のりなんて、覚えちゃいない。
「入るぞ」
ぶっきらぼうに黒猫が目前の部屋の中へと、声をかけた。「どうぞ」と返事が返ってくる。未だに猫が人の言葉を口にしているという事実を受け入れられないものの、彼らは私の胸中など関係なく事を進めていってしまうのだ。
獅子をモチーフにしたと思われる紋章が刻まれた、一際目を引く豪勢な造りのドアを見る限り、この部屋が館の主である“彼”の部屋であるのは明白だった。
思いっきりドアに体当たりをくらわす、黒猫。バイーンと弾かれたドアが勢いよく開け放たれた。なんと斬新なことか。こんな乱暴なドアの開け方は初めてだ。でもまあ猫だものね、仕方ないといえば仕方ないのかも。
胸の高鳴りは、最高潮を迎えている。いよいよだ。声だけしか知らなかった“彼”との、面会の時がきた。私の運命を……握る人。
先に黒猫が足を踏み入れ、一呼吸置いてから私も室内へと進入した。
広々とした部屋の両側に配置された本棚には、ぎっしりと書物が詰まっている。書庫みたいな部屋だ。
その部屋の奥に誰かが、いる。木枠の窓から燦々(さんさん)と入ってくる光が逆光になってしまって、始めはよく見えなかった。目が慣れてくると徐々に、その人を象る線がはっきりと浮かんでくる。
椅子に腰掛け、足を組んでいる男の人。
「ようこそ、リズ。待っていたよ」
――ああ、何だろう
「君ならここへたどり着けると、思っていた」
言葉になんか、できない。
なぜだか胸が締めあげられて、苦しくて、泣きたくなる。どうして?初めて会う人なのに……どうして私……。
“彼”は、ただただ綺麗な男性だった。天から降りてきたんじゃないかと思うほどに、人間離れした美しさを備えていた。
顔立ちが整いすぎて逆に怖いくらいで、しかも無表情。愛想笑いなんてしてみせる気配もない。完全に冷めきった目だった。話し方にも抑揚がなくて、半ば棒読みとも取れそうだ。誰かが“彼”の後ろで、腹話術でもしてんじゃないのってくらい。
だけど、私は“彼”の声が好きだった。初めて聞いたときから感じていたこと。
心の隅々までまでじんわりと染み込んでくる、高すぎず、かといって低すぎもしない、安心感を与えてくれる男の人の声。とても落ち着くんだ。
「初めまして……馬の骨です……」
勝手にお口が、自己紹介しだした。確かにこんな人の前じゃ私など、馬の骨。むしろハエのフン。だからって『馬の骨です』って自分で言っちゃう情けなさに涙が出そうだ。
「自ら『馬の骨』名乗ってりゃ世話ねえな」
と、生意気な黒猫が言った。
なんてこった猫にツッコまれてしまった!これはもう人生の黒歴史として刻まれるレベル。
「あ、いえ、リズです。私の名前」
「知っているよ」
慌てて言い直したものの、“彼”はさらりと一蹴してくれた。
「どうして……私のこと、知ってるんですか」
一昨日の夜、フルール村で黒猫から受け取った紙に書いてあった文字が読めなくて、奉公人に志願したくてもどうすればいいかわからず途方に暮れる私に、助け船を出してくれた“彼”。
そのやり方も奇特なもので、突如私の頭の中に“彼”は声を流してきた。他の誰にも聞こえないように、私だけに語りかけてきたのだ。まるで――魔法みたいに。
あの時も“彼”は私を『リズ』と呼んだ。
あれよあれよと話は進み、というか強引に翌朝村を出発させられ、近くまで迎えに来てくれたアイラーに乗ってここまで旅をし、今に至るというわけである。
「私が教える義務はないでしょう。馬の骨なら馬の骨なりに知恵を絞ってみるという手があるが、どうかな?」
しれっと、“彼”はそんなことを口にする。にこりともせずに、である。
……ふっ。これはいいツンツン具合。じわじわくる腹立たしさだ。
「馬の骨とは言いますが、私にも一応リズという名前がありまして。こんなんでも名がある以上、馬の骨には当てはまらないかと」
「失礼。では敬意を表し『凡骨』とお呼び差し上げようか」
わーい凡骨に昇格だっ☆キラッ
じゃない。そんなに骨が好きか。
絞る知恵もないのに反撃に出たのが悪かったのか、またまた骨で返されてしまったじゃないか。
ああもう、違う。こんな仁義なき骨争いをしてる場合じゃないんだってば!!