乙女になんてことをするんですか
どれくらい歩き回っただろう。
目的は明確なはずだ。寝泊まりできる場所が必要だった。だから宿を訪ねてまわったというのに、何軒断られたことか。
その理由というのも、宿屋の店主みんながみんな同じ口上を垂れた。
“よしてくれ、黒い馬なんて!店に疫病神呼び込まれちゃ困る”
よもやアイラーが宿屋を遠ざけるとは。こんなに素敵な牡馬を見たことがあるのかと、それはもうねちねち問いただしたい。
引き締まった筋肉が脚線美を際立たせ、均整のとれた体躯はまさに芸術。毛並みは高貴さを感じさせる艶を放ち、黒馬ながら、さらりと風に靡く鬣だけはなんと白銀。
神々しいという言葉がこれほどまでにぴったりな馬が、他にいるとお思いか!?
とは言うものの、店主たちの言い分は真っ当だと思う。
『黒』はこの世界では忌み嫌われる。黒い動物など尚更だ。人々は身に付ける物にソノ色を選ぼうとはしないし、牛飼いでさえも生まれた子牛が黒に染まっていれば、泣く泣く処分すると言われてる。
それが当たり前だもの。なんとか門を通してもらえはしたけど、アイラーを連れた私はあちこちから視線の集中砲火をくらった。
都会って、苦手かもしれない。田舎者の思考丸だしだけど人が多いと落ち着かない。
「ゆっくりお休み」
ようやく泊めてくれる宿を見つけたのは随分と月が高くなり、夜も深まった頃だった。馬屋にアイラーを繋ぎ餌を与え、おやすみの挨拶を交わす。知らない街に一人でいるのは心細くて、離れるのは寂しい。
「また明日ね、アイラー。明日こそはご主人様のところに帰してあげるからね」
この子だって主人の命を受け、私のとこに来てくれたんだ。孤独を感じてないはずがない。頬をさすってやると、アイラーの目元が緩んだ気がした。やっぱり……理解してるんじゃないのかな。人の言葉を。
それから馬屋を出て宿の受付を済ますと、部屋に向かう前に私は店主に話を切りだしてみた。“彼”の居場所を突き止めるために。
「あの、ここらへんで奉公人を募っている貴族がいるはずなんですけど、知りませんか」
「はあ?そんな話、聞いたこともないねえ」
客の前でもお構いなしに、カウンターに肘をつき酒をぐびぐび煽る中年のおじさんこそがこの安宿の店主であるが、この姿勢からすると店を繁盛させようという気はまったくないらしい。だからこそ泊めてもらえたわけだけど。
それにしても……本当に何がどうなってるんだろう。“彼”がこの王都に屋敷を構える貴族だというのなら、あの件が知れ渡っていてもおかしくないというのに。
「じゃあ、この辺りに魔法使いがいる……なんて噂があったりしないですか?」
「ぷふぉ!」
こてっと小首を傾げカワイコぶって次なる質問をしてみたら、おじさんは飲んでた酒を噴き出した。真正面にいた私の顔面に直撃である。酒臭い。
「お嬢ちゃん、なんてことを!!滅多なことを言うもんじゃない!!」
私にお口から酒鉄砲をくらわしたことなどなかったかのように、こちらに並々ならぬ形相で身を乗り出してくるおじさん。
違うだろ?そこはまず謝るのが人としての道理だろう?『レディに加齢臭たっぷりのお酒ぶっかけてごめんなさい』だろ?
言いたくなるのを抑え、というよりかは言わしてももらえず更には両肩をがっしり掴まれる始末である。ムッとしながらも、このままでは汚いので布で顔を拭いておいた。
「いいかい、『魔法使い』だなんて教会の連中が耳にしたら明日にはおまえさん、灰になっちまうぞ」
店主のおじさんは一度周囲を見渡してから声を潜めると、そう私に忠告してきた。
「お嬢ちゃん、田舎から出てきたんだろう。だから疎いのかもしれんが気をつけたほうがいい。事情は知らんが異教徒にでもみなされれば、火刑は免れん。最近は一層取り締まりが厳しくなってるからな」
なかなかの迫力をぶつけられ、おじさんが真剣だということは伝わってきた。ただ、酒臭い。
それにしてもこちらが語らずとも私が田舎者だと見抜かれたということは、よっぽど田舎っぽい格好と雰囲気出してるんだろうなぁ……。
「まあ……魔法使いかはわからんが、北の森には昔から妙な噂がある。黒い化物を見たとか気の狂っちまった男が一人で住んでるだとか、そんな話は絶えない。報告を受けて教会は調査団を派遣したが、結局何もなかったみたいだけどな。しかし――強ち嘘でもないのかもしれん」
おじさんはカウンターを越えんばかりに突き出していた体を引っ込め、今度は神妙な顔つきで語るもんだから私はじっと聞き入っていた。
「あの森に入った人間はごまんといるが、森にいた記憶をなくして帰ってくる者が多いのも事実だ。なんにせよ不気味な場所には違いない。今じゃ近づこうなんて物好きもいないし、お嬢ちゃんもあの森に行こうなんて考えてんならよした方がいいぜ」
またお酒のボトルに口をつけて晩酌し始めたおじさんだったけど、色々教えてくれたり助言してくれたり案外いい人なのかもしれない。
なのにごめんなさい、おじさん。
私、明日北の森に行ってみます。
これは私の直感でしかないけれど、そこに“彼”がいる気がするの。
私は“彼”にどうしても会わなきゃいけない。