馬に恋って乙女としてどうなの
「はあ、はあ……っ!」
極度の緊張感に息苦しさは増すばかりで、今はただ生き延びることだけが頭の中を占めた。
「待ちやがれ、その馬と荷物を置いてけっつってんだよ!!」
「ついでに嬢ちゃんの白い肌も拝ませてくれるといいんだけどなあ」
丁重にお断りしたい……!
なぜこんなことになっているのか。何が起きているのか。
単刀直入に言えば、今私は盗賊に追われている。
周囲は見渡す限り草原、遠目には山脈が連なっていて視界は緑で埋め尽くされていた。太陽は大分と傾いているし、じきに日が暮れるだろう。
「俺達から逃げられると思ってんのか!?」
逃げられると思ってなきゃやってらんないだろが!!
心の中で悪態をつきつつ、必死に手綱を握る。私を乗せて走ってくれているのは、一頭の黒馬だった。この場で頼れるのはこの子だけだ。
ちらりと横目に後方を確認すれば、追ってくる賊は三人。下卑た笑みを張りつけている。キモチワルイ。ヤツらも馬を乗り回しているとこをみると、恐らく今の私みたいに道行く商人や旅人を襲って奪ったに違いない。
捕まってたまるか!こんなとこで終わるわけにはいかないのに。ぎりっと、下唇を噛む。
辺りには複数の馬の蹄が、土を蹴る音が響いていた。
私は馬を巧みに操ることなんてできない。乗るのだって、初めてだ。この揺れは恐怖でしかない。訳も分からず混乱するばかりで、ひたすら黒馬の背にしがみついていた。
お願い……お願い……私の命運はアナタにかかってるの……!!
「ひゃっ、」
もう強張ってしまってガチガチになっている体が、ビクンと跳ねた。だってアイツら、矢を放ってきたのだ。
幸いにも命中しなかった矢は地面に落ちると硬い音をたて、転がった。外した男が舌打ちするのも聞こえた。
おいおい小娘一人にボーガン使っちゃうのかい?本気なんだね?本気と書いてマジだね?
冷たい汗が背を伝う。徐々にアイツらは距離を詰めてくる。
「アイラー!!」
焦る。焦りに焦った。どうするのどうしたらいいの。ダメだ、捕まったら一巻の終わりだ。それなのに、私は黒馬の名を叫ぶことしかできない。だってわからない。賊に追われた経験なんて初体験だ。できればそんな体験はしたくなかったんだけど。
でも、それが良かったのか何なのか。決死の思いが通じたのか。黒馬――名をアイラーというこの子は、ぐんと足を速めた。
どんどん離れていく、賊と私との間隔。
すごい……この子、本当に駿足だ。夜明けからほぼ半日走り続けているのに、疲れをまったく感じさせない。速度が落ちることもない。なんて屈強な馬なんだろう。
振り返れば盗賊達も追いつけないと判断したのか忌々しそうにこちらを睨み、やがてくるりと方向転換し、引き返していった。
ほっと、安堵のため息をつく。未だに冷や汗は止まらず、手もじっとりと汗ばんでいた。アイラーの背に揺られ、私はまだ生きてるのだと実感する。
助かった。
今になって震えが私を襲い、どれほど自分が恐怖に駆られていたかが分かる。
日は沈み、すでに闇が降りてこようとしていた。
もしかして……野宿しなきゃいけないの?つい先程あんな目にあっといて、野宿て。んも~神様ったらイ・ジ・ワ・ル!
とかそんな場合じゃないんだよ。本当にどうしよう、アイラーもそろそろ休ませてあげなきゃいけないし……。
大地を駆け続ける黒馬の鬣に目を落とし、途方に暮れていたときだった。
ふと上げた視線のずっと先――空も地平線も夜の藍色に溶けようとしている中で、ゆらりと光が揺らいだのだ。
やがて現れたのは、重厚な外壁が止まるところを知らないように左右に延びて、かなりの広範囲を抱え込み、その中にどっしりと構えた街並み。
「もしかして……着いた!?」
確信した。アレがそうに違いないと。
あの“彼”が住む、王都ノルファーレンだ。
「うそ、やった!アイラーやったね!!もう着いたのよ、信じられない。こんなコトってある!?普通三日はかかるんだよ!?アナタの足は世界一ね!」
ついつい興奮してしまって矢継ぎ早に捲くし立てると、アイラーは少し速度を緩め、ぶるると嘶いた。ちなみにアイラーはオスだ。
ほんのちょこっと、ちょこっとだけアイラーと野宿してもいいかな~なんて思ったのは秘密である。だって彼は人間の男よりも頼りになるし逞しいし、私の命の恩人だしスタイル抜群だし非の打ち所がないじゃないか。
いや、しかし。しかしだ。幾らアイラーが男前とはいってもそこは、ね。やっぱり、ね。人間と馬という一線は引いとかないといけないじゃない?私もこれでも見てくれだけは、十八歳の婦女子ですからね。
誤った道を突き進みそうになる自分を制するのも、苦難である。人間より獣に惹かれてしまうなんて、大っぴらには言えない。
それに私には『ウルマ』という心に決めた御方が……って!ウルマも獣じゃないか。その時点で変態道を突っ走ってしまっている。
一人で悶々しているうちに、もうノルファーレンはすぐそこに迫っていた。