俺、また馬に生まれました
パドックをゆっくり歩く、だけど誰も注目していない。
俺は競馬関係者ではなく出走する当事者――そう、馬だ。
そして新馬戦、まさに競走馬としてデビューの日だが、誰も注目していないのは、俺が人気のない馬だからだ。
なんでって、まあいわゆる良血馬ではなく、そしてなによりもこのレースを走る馬の中でおそらく能力が一番低い馬が俺だからだ。
なぜ断言できるのか?って、ずばり俺には前世の記憶があるからだ。
前世の俺も競走馬だった。
「スーやん、びっくりしてるのか?落ち着いていこう」隣にいるおっさんがつい物思いにふけって足が止まった俺を促す。緊張してる訳じゃないんだが、心配させてしまったようだ。おっさんは落ちこぼれの俺にもいつも優しい。俺は顔をあげて歩き出した。
前世の俺は、カイザーと呼ばれていた。母はG1を複数勝利したという超良血馬だった。父のことは知らないが、まあ有名な馬だったのだと思う。この情報は母から聞いたことだ。軽く流すだけで追いつき、突き放すことができた。他の馬が本気で走っているとは思えなかった。本気で走った記憶がない。レースで負けたこともなかった。
厩舎では俺が歩くと馬も人も道を開けた。騎手が気に入らないときは威嚇し、時には背中から振り落としたこともあった。ムチなど使うのを許す気もなかった。
【僕の考えた理想の馬】といいたくなるのが前世の俺だったのだ。ただ最期の記憶がない。
今、妄想だと思っただろう?ちゃんとカイザーは存在していた。
隣を歩くおっさんの最強と思う馬もカイザーだし、カイザーの名前は事あるごとに聞く。
いわく「カイザーなら凱旋門に勝てた」「カイザーの常勝無敗記録は抜けない」「カイザーみたいな競走馬を作ることがホースマンの夢だ」など、そして「カイザーが子孫を残すことができていれば…」と。
そう、俺の前世カイザーは何らかの理由で亡くなったのは確定だろう。
カイザーからいきなり、気が付いたら出産直後の仔馬だった。当時の俺は大いに混乱した。巨大な馬、今世の母と思うように動かず立ち上がれない体。本能だったのか自分の状況を把握し始めたのはぼーっとしながら初乳を飲んでいる時であった。今世の母、母ちゃんは優しいが気が弱く、そして競走馬としては活躍はしていなかったそうで、牧場では他の母仔に逆らえなかった。前世の母は、牧場で女帝のようにふるまっていたので落差に非常に驚いた。そして、違いは母馬だけではなく俺の能力も違った。カイザーなら簡単にできたことが俺にはできなかったのだ。体力、柔軟性、スピード、跳躍力、全てが劣っていた。いやカイザーとの比較だけではなく、牧場にいた同世代の誰よりも身体能力が低かったのだ。それを自覚した俺はカイザーがいかに恵まれていたのか初めて知った。
おっさんがポンポンと俺の頭を軽く叩いた。パドックは終わったようだ。あんちゃんが駆け寄ってくる。そう、大事なことだからもう一度いうが、今日は俺のデビュー戦だ。
俺はあんちゃんをちらりと見た。あんちゃんは今年騎手になったばかりの新人だ。まだ一勝も挙げておらず、動きも固い。
カイザーの新馬戦の時は、ベテラン騎手だったと思う。カイザーに乗りたいと売り込みが多かったらしい。当時の騎手が「お前に乗るために日参した」とよく語っていた覚えがある。
自分でいうのもなんだが、今の俺は期待されていない。だけど、あんちゃんは調教もずっと一緒だった、そう、あんちゃんの『くせ』も俺は知り尽くしている。
俺をせかすあんちゃんを背に俺はゆっくりコースを回り、じっくりとコースを見て回った。
さて、俺はどのゲートに入るのかな。おそらくパドックの順番からして「エース」の隣だろう。
エースは、厩舎で知り合った馬だ。初めて顔を合わせたとき俺は「お前貧相だな、俺の子分にしてやろうか?」と言われた。カイザーだったら話しかけることさえ許さなかったと思う。
エースについて話を戻そう。エースは新馬の中では体が大きく、力が強く、そして声がでかい。
俺の見立てでは、エースはきっとこの先勝ち上がっていく馬だ。そしてこのレース注目されている。
正直俺がエースに勝てる見込みはない。ただしこのレースを除いてはだ。
予想通り、となりのゲートに入ったエースに俺は話しかける。話題は何でも良かった。
「エース、このレースが終わったら大事な話があるんだが…」(10、9、8…)
心の中でカウントしながら、しかしエースの方に視線は向けずに。
「はあ!?こっちぐらい向けよ!」(6、5、4…)
「いや、あとで…」(3、2…)
「今すぐ言えよ!!!!!」ガシャン…!!ゲートが開いた瞬間、俺は一気に飛び出した。
エースのスタートを少しでも遅らせるための秘策だったのだが、エースの声がでかすぎたせいで予想以上の効果があった。他の馬たちは初めてのレースなのだ。初めてのレースで落ち着かない他の馬たちは、エースの大声に一瞬動きを止めてしまった。俺だけがロケットスタートを決める結果になった。
地力のあるエースに外からかぶせられ、前をふさがれるのを防ぐためだった。これで理想の位置取りをとれる。内ラチ沿いギリギリに入る。
内側の馬場は荒れ気味で走りにくいが、内ラチ沿いギリギリ一頭分だけ荒れていない走りやすいところがある。
不慣れな新馬たちでは、騎手はそちらを攻めないというのが俺の読みだ。俺は最短コースを走る。
一流の騎手は馬に体重移動で負担をかけないと言われているが、あんちゃんの重心は少々心もとない。だけど、あんちゃんは俺につきっきりで調教してくれたんだ。『俺が合わせればいい』。あんちゃんの重心の『くせ』は知り尽くしているのだから。ゆるい上り坂を俺は全力で駆けるために少しでも負担を減らしていく。
そしてとっておきの秘策!厩舎で誰にも見られないように練習したーーー掛かった演技!口を開けて舌を出して目を見開く。ベテラン騎手なら俺が折り合いを欠いてゴール前に失速すると判断して追っかけてこないはず!!見よ。俺の名演。
俺の名演あってか、最後のコーナーまでかなりの差をつけて先頭にいることができた。みんなとはスピードが違うのだ。俺は常に全力で走らなければならない。
このコースは直線が短い。直線勝負だったら俺は絶対勝てない。このコースしかないのだ。俺が勝てる可能性があるのは。
ここまでにどれだけ離して逃げられるか、コーナーを回り300メートルを切る直線。短いはずなのに俺には遠かった。まだ蹄音は遠い。あと200メートル。音が近づいてきた。予想より近い。胸が苦しい。あと100メートル。エースの声が聞こえた気がした。音が近い、俺の心臓の音なのか、ゴールまであと、「おい!!」ゴールと共にエースの顔が横に見えた。
俺は負けたのか…?
駆け抜けた後、エースがうるさい。何かずっとわめいている。
あんちゃんが俺から降りた。結果はどうなったのか。
エースの騎手とあんちゃんが話しているのを俺はぼんやりと眺めていた。エースがうるさかった。
急に怒号が響いた。あんちゃんが俺に抱き着いてきた。
「すうううやん、勝ったよぉぉ」俺は『すうううやん』じゃない。そうか勝てたのか。
あんちゃんが他の騎手と握手している、エースが「だから話ってなんだよ」って聞いてきた。
いや、特にないんだけど。
「あー、このレース終わったらお前の子分になるって言おうかと」ととりあえず適当に話す。
エースはきょとんとした。あ、うっかりエースの子分になっちゃったか、まあいいや。
「何言ってるんだ?お前強いじゃん。子分じゃなくて友達な!」エース声でかい。顔近い。
カイザーに何ひとつ及ばないと思っていた俺だけど、ひとつだけカイザーに勝てることあったかも。
カイザー友達いなかったもんな。
正直、全力出しすぎて眠たい。あと、あんちゃん俺のたてがみに鼻水つけたよね?




