王である資格なき者の末路について――それでも王は廃せない
──わたくしはこの男が王に成ることを認めていない。
精霊紋を持つ者だけが王と成り得るこの国において、それは決して口にしてはならない背信であり、わたくしが何を思っても覆ることがない私的な感情でしかない。
だからわたくしは王太子妃として、この国を守る覚悟を決めたのだ。
※ ※ ※
この国は、かつて悠久に続く不毛の大地に流れ着いた流民によって築かれた。
黄金に輝く髪に新緑を映し取った碧眼を持つ建国の王が精霊王と出会い、加護を承り、枯れ果てた大地は肥沃へと姿を変えた。以降──一代につきただ一人、精霊紋を宿す子が王として生を受けることになる。
王は選ばれるのではない。ただ、産まれるだけだ。
精霊紋を持つ者が王冠を掲げることで、この国は尽きない水を、不作を知らぬ糧を、枯れない森を、そこに生きる命の循環を──そうした黄金にも等しい奇跡を得るのだ。
ゆえにこの国において最も重きを置かれるのは、王の資質ではない。
王を補い、時に導き、時に国を背負う──王妃の資質である。
そのために古くから行われてきたのが、王妃選抜だ。
公爵家、侯爵家、辺境伯家、伯爵家に産まれた才と資質を持った令嬢を幼少期に選定し、数年にも及ぶ厳しい教育を受ける。わたくしは集められた最後の一人であり、今日この場で正式に王太子妃として発表される──はずだった。
王宮の大広間はすでに人で満ちていた。
今宵は王太子殿下とわたくしが婚約を正式に発表する夜会。国内に存在するすべての貴族家門が招かれ、王家主催の夜会に相応しい煌びやかな衣装が会場に花を添え、抑えられた囁きを包むような緊張感が空間を満たしていた。
すでに招待されたすべての家門が入場を終えている。本来であればこの後、両陛下と王太子、そして王太子妃となるわたくしが並び、最後に入場する手筈となっていた。
それがこの国の序列であり、儀礼でもある。
しかし──大広間に続く扉が、予定を違えて開かれた。
「……──王太子殿下、並びに、お連れ様のご入場でございます!」
動揺を押し殺したようなコールの声に、ざわめきが走る。
婚約発表の夜会では決してあり得ない事態。本来共に呼ばれるはずの名前はなく、代わりを務めるのは名前すら呼ばれない存在。そして、現れた姿に誰もが息を呑む。
王太子は──一人の娘の手を引いていた。
年若い娘だった。飾り立てられてはいるものの、纏う気配は明らかにこの場に相応しいものではない。
貴族名鑑を脳裏ですべて洗っても該当者を見つけることができず、この国の貴族であれば当然知るべき事実を完全に無視した今の状態。洗練とは程遠い拙い所作を見て、娘が貴族ですらないという事実を確信する者は多かった。
本来並ぶべき者を欠いたまま、王太子は当然のように歩み出る。
一層ざわめきが広がるが、それは決して混乱からの声ではない。理解と、そして──確認だ。
この国の貴族であれば、誰もが知っている。精霊紋を持つ王が無能であった時、何が起こるのかを。
──この時点で、わたくしは確信していた。
──この時点で、両陛下は覚悟を決めた。
この夜は、予定通りには終わらない。
誰もが理解していることを、確信を持った足取りで中央を進む王太子は理解していない。理解していないからこそ、娘の手を引く腕にも迷いはない。
その仕草に最後の静寂が崩れかけ──その瞬間。
「王国の悠久なる希望──国王陛下、王妃陛下、並びに、アナスタシア・ブラック公爵令嬢のご入場でございます!」
凛とした力強いコールが大広間を満たした。先程とは異なり、コールの反響に続くように、貴族たちは口を閉ざした。
瞬く間に空気が変わる。扉が開かれる音に、貴族たちが一斉に頭を垂れた。
その中で、わたくしは静かに歩み出る。
両陛下に半歩遅れる形で並び、本来あるべき順序で、王座へと続く道を進んでいく。途中、王太子の隣を通り過ぎるその瞬間──前を向いたままのわたくしの視線が、王太子と交わることはない。
本来であれば横を歩くはずの存在が、相対するように前に立っていることに驚くことはない。この男が定めに従うことを、わたくしは期待などとうにしていないのだから。
完璧な速度と、完璧な所作で、定められた位置に立つ。裾の長いドレスの衣擦れの微かな音が聞こえるほどの静寂。すべてが整ったこの場で、あからさまに浮いている異物を前に、一度だけ深く瞬いた王が静かに告げる。
「──王太子の発言を許す」
──一言だ。それだけで、場の主導権は完全に本来あるべき者へと戻される。
同時に顔を上げる許可が下りた貴族たちが一斉に王太子に視線を向け、わたくしは緩やかに王太子へ向き直る。そして──。
「貴様のような女は王妃に相応しくない!」
場を裂くような声が、大広間に響き渡った。
予想できた宣告にゆっくりと視線を下げ、愚かにも自らの価値を自ら下した王太子へ薄く微笑んだ。
ああ、やはり。この男は最後まで──王たる資質を持ち得ない。
「その気味の悪い笑い方! 貴様はいつもそうだ! 俺を馬鹿にしたような態度! この国唯一の王太子である俺のやることに一々口出しすらする傲慢さが、ずっと目障りだった!」
発言すら稚拙だった。
帝王学が何たるか、王族がどうあるべきかすら忘れたような、感情だけの言葉に眉を顰めた者は多く、己の愚かさを振りかざす姿はいっそ憐れみすら覚える。
「──だが、アンナは違う! 真実、俺だけを見てくれて、常に俺を尊重してくれる得難き者だ。俺の傍に相応しいのはアンナのような存在だ! 王妃選抜などと言うくだらない形式での婚約など、俺は断じて認めない!!」
王太子が傍らに立つ娘の腰を引き寄せる姿は喜劇じみていて。ただひたすらに王太子に縋るだけの娘もまた、酷く場違いだった。
「お前のような冷たい女に、王妃が務まるものか! せいぜい子を産む道具として大人しくしていればよかったものを!」
内心で一つ、大きな溜息を吐いて、ほんの僅かに目を伏せる。
王家に産まれた第四子。
一代につき一人と言う誓約で産まれる精霊紋を持つ赤子は、殊の外誕生せず、輝く金の髪に新緑の目をした王太子が産まれた時、どれだけの人間が安堵で息を吐いたのか。
中には十人以上子を産んでも誕生せず、王は代々公妾を持つことを推奨される中。当代の国王は王妃以外の存在を望まなかった。王妃もまた王の心に応え、体に負担がかかることを承知で子を孕み続け、漸く授かった末の子供がこの男だった。
待望の次代だった。この男が産まれなければ公妾を迎えることになっていた。ゆえにひとしおに歓喜され、そして──甘やかされた。
物心がつくまで。王としての教育が始まるまで。十歳を迎えるまで。臣下の直言すら聞き入れず、そうやって先延ばしにした結果、精霊紋を持つ男の虚栄心は肥大化していった。
精霊紋を持つ者が必ず王になる。
王国に存在する唯一不変の定めを、自分の欲のままに解釈して、歳を重ねるごとに増していく傲慢さ。王と王妃が気が付いた時には、男の自尊心はすでに取り返しがつかないほど膨れ上がっていた。自分だけが特別だと信じた結果が今だった。
かつて、この男が王としての自覚を持つ日がくるのではないかと、そう考えたこともあった。思慕を抱くことはできなくても、互いに尊重し合い、共に国を支え、民を導くことができたのならと。幼いわたくしが願った愚かな考え。
──だが、それもこれで終わりだ。
「さようでございますが」
伏せた目を前へ向ける。家名を示す黒の双眸に王太子を映し出す。
これから始まるのは、資質を持たぬ王の行く末だ。王妃選抜の最後の一人に残ったブラック公爵家の娘が、王太子妃として最初に下す仕事でもあった。
「ですが」
静まり返った広間に、わたくしの声だけがよく通る。
「わたくしが王太子妃の座を降りることは、できません」
「……は?」と、王太子は間の抜けた声を漏らした。やはりこの男は理解していないのだと、わたくしを含めた多くの者が理解する。
「何を言っている? 俺が認めないと言っているのだぞ!」
「ええ、承っております」
唇の端を上げ、微笑みの形を取りながら言葉を続けた。
「ですが、この国において、王とは選ぶものではありません。精霊紋を持つ御方が王となる──それは覆らぬ理でございます」
ゆえに。
「王の資質が問われることはなく、代わりに問われるのは王妃の資質」
視線を真っ直ぐに王太子へと向ける。
「そして、無能なる王がどのように扱われるのかを知ることも、必須の教養なのです」
わたくしの言葉を理解できずとも何かを感じたのか、ぴくりと王太子の表情が引き攣った。
「三代前の王と──同じこと」
この役割を王が担う時、必然的に王の世代交代は早くなる。三代前はわたくしたちの祖父母の次代であり、ゆえに今もまだ当時のことを覚えている者は多いだろう。
己の祖父王の結末を父王から聞かされて育った当代の国王陛下。侯爵家から選ばれた王妃選抜者の一人として他人事ではなかった王妃陛下もまたそうだ。
だから彼らは待望の末に産まれた、愛する息子を引き戻したかった。自分たちの浅慮が王としての息子を殺すことになったのだ。どうにかしてやりたくて何度も重ねた言葉や叱責があり、それでもそのすべては届かず、今日と言う日を迎えてしまった。
「両陛下のお心を思えば、残念でなりません」
「な、にを……」ここにきて漸く何かがおかしいと気がついて狼狽える王太子を、視線のみで見下ろす。
「三代前の王と同じ道を進んでいただくことを、王太子妃であるわたくしが決定いたしました。そして、これは決して覆らぬことでございます」
「ふ、ふざける……! 貴様に何の権限があって──」
「ございます」
言葉を待たず、断言する。
権利は有している。だからこそわたくしは今ここに立っているのだ。
「王太子殿下は、今これより王族としての権限をすべて制限され、王宮内の専用区画へと御身を移されます」
これは王太子に向けた言葉ではない。この場にいるすべての者たちへの宣誓だった。
「以降は、精霊紋を持つ御子が産まれるまでの間」
ほんの僅かに言葉を区切る。
「──子を成すための役割のみを担っていただきます」
この国から国を生かす奇跡を失わないために。
「……っ、な、にを……言って……」
「お分かりになりませんか?」
静かに首を傾げ、愕然とした表情をした王太子を見た。
「子を成すためだけの道具になっていただく──と、言うことです」
酷薄とも言える事実を前に、その瞬間、王太子の顔から瞬く間に血の気が引くのが分かる。
はくはくと音を忘れたように数度唇を動かし、その震えを払い除けるように、王太子は声を張り上げた。
「そんなっ、そんなもの! 認めるものか! 俺は王になる男だぞ!? 精霊紋を持つ、この国唯一の──」
「だからこそです」
言葉を重ねるように、ただ事実だけで遮った。
「王を変えることができぬ以上、国はそのあり方を選んだのです」
わたくしから視線を逸らすことはない。ただ告げるだけだ。
「無能な王は国を亡ぼす前に、精霊紋を繋ぐための役割を果たす存在へと成る。──そしてそれが、貴方の価値です」
緩やかに一礼する。王太子にではなく、この国の奇跡の象徴たる王座に向かって。すべてはすでに裁かれているのだと。ただそれを言葉にしただけだと示すために。
「……嘘だ」
掠れた声を零した王太子が、忙しなく周囲を見渡している。
けれどそこにあるのは嘲笑でも怒りでもない。ただ冷ややかな現実を見る目が、王太子を見返すだけだ。そして壇上の奥に立つ王と王妃の、痛ましげな──それでもどこか諦めきった表情。
広間を満たすものを知り、声すら出せずに王太子の目が大きく揺れた。
「──衛兵」
短く呼べば、すぐさま数名が進み出る。
「王太子とその娘をお連れして」
自ら落ちた王太子はともかく、事態について行けずに、ただ王太子に縋り付くことしかできない娘に、憐憫を抱かない訳ではない。王太子に何を言われてここまで来たのかは分からないが、甘言に乗せられてしまった以上、娘に対しても処理を行わなければならない。
精霊紋を持つ者が子を成すためだけの役割に落ちた時、その子種を授かるのは貴族でなければならない。こうなってしまえば相手は高位貴族である必要はなくなり、胎としての役割は、資産が乏しい下位貴族の娘や、家門を継げない娘から選ばれることが常だ。
その多くが真っ当な嫁ぎ先を用意することができない家であり、選ばれた娘は最長で一年の間に子を成せば、精霊紋の有無を問わずに報酬が支払われ、子を成さずとも希望者には修道院や貴族家門の使用人としての紹介状が与えられる。産まれた子は全て王家の管轄に置かれるため、娘は王家に名を遺すことはない。それでもこのまま不幸な婚姻を結ぶくらいならと、立候補者はそれなりの数に上る。
しかしそれも、あくまでも貴族家門の出であることが前提だ。そうでない、ただの平民でしかないこの娘は、本人にその意思がなかったとしても、王族を侮辱した罪を問われることになる。
「やめろ! 離せ! 俺は──俺は王になるのだぞ!?」
「……い、や……嫌……、私、私っ、知らなかったんです。本当に知らなかったんです!」
抵抗は長くは続かなかった。
わたくしの目。
貴族たちの視線。
王と王妃の顔。
そのすべてが示すものを、本当の意味で理解できたのだろう。今から自分たちがどうなるのかすらも。頭を振り、項垂れ、引き摺られるようにして、王太子と娘は広間を後にした。──すべてが定められた通りに場が整う。
そしてわたくしはゆっくりと姿勢を正し、居並ぶ貴族たちへ向き直った。
「皆様、お騒がせいたしました」
王妃教育で、言葉の通り骨身に叩き込まれた、王族としての礼を取る。
「誠に残念ではございますが王太子殿下は御身体を損ない、療養の身となられました──ですが、これよりわたくしが王太子妃として、国の安寧と繁栄のために責務を果たしてまいります」
一瞬の静寂の後、黒い髪と目を持つ令嬢が完璧な笑みを刻んだ。
「──どうか今宵は、心置きなく夜会をお楽しみくださいませ」




