正しさの戦記
何処の文献をみても、何処の記録を見ても、歴史にこの話は載っていない。
飛び交う銃声の音、男は必死に逃げ惑っていた。このままだと殺されてしまう。祖国に恥じる行為であることは重々承知しつつも、そこまで本能を抑え込むことができなかった。
急いで地下の防空壕へと逃げ込んだ。敵兵も、自国の兵も誰も使っていないであろう、たまたま見つけた寂れた穴蔵だ。
周りを怯えるように見渡したあと、男は素早く穴へ逃げ込んだ。
「オゥ、誰だよこんな所に」
ドクン!と心臓が跳ねる。咄嗟に銃を構える。が、無意味なことは分かっていた。もう玉がない。
「動くな。動いたら撃つぞ。」
我ながらギャンブルに出たものだ、と男は思った。緊迫する心とは裏腹に、暗闇の中から聞こえてくる声は想像よりも穏やかだった。
「待てよ兄弟。俺は武器をどっかに落としちまった。今はそこら辺の骸と何ら変わらない。無力さ。捕虜にしてくれよ。」
「何処だ。何処にいる。本当に武器は持ってないんだろうな。」
シュボッと音が聞こえたかと思うと、マッチの明かりが辺りをぼんやりと明るく照らしていた。
「ほら、この通り。」
おどけたように手を挙げてみせたのは、確かに敵国の兵だった。ホッ、と内心安心し、的を睨みつけながら少し離れたところに座った。勿論、武器は構えたままだ。
「ハハッ。そんな恨みを買うようなこと俺ぁしたかな?」
おどけた声に反吐が出る。家族も敵国の空襲で殺された。恨みがないわけないだろう。
「黙れ。」
「………。」
上で銃撃戦が激しく繰り広げられている音がする。命からがら逃げてきた。その事実に複雑な気持ちが入り交じった。逃げてていいのか?家族の分も生きなければ。敵兵を殲滅しなくていいのか?
「お互い逃げてきた同士なんだからさ。そんな考えても仕方がないだろう?」
「黙れ。それ以上喋ったら殺す。」
腹の中の毒々しい気持ちがまるで重い鉛玉のように口から出てくる。もう何も考えられなかった。
「これ以上殺すなよ。もう。」
「は?」
「頭ではわかってんだろう?自分が復讐にとりつかれてることくらいは。」
思わず近寄って、そいつの頭を思いっきり殴った。
「今はこれが正しいんだ。誰にも文句は言わせねえぞ。」
「そうか。そうかもな。まぁ良いよ。家族がいたんだってな?それは俺も同じだぞ。お前と何ら変わりない。」
「………」
何も言えなかった。自分が言っていることが間違いだとは思わなかったが、そいつの言っていることもまた、間違いではなかったのだろう。
敵兵の男は装備を外した。そして、内側にあった3つのポケットのうち真ん中のポケットのボタンを外し、何かを取り出した。とても慣れた手つきだった。
「おい、変な真似はするなよ!」
「変な真似はするかもな。だがもう人は殺しやしねえよ。」
嘲笑混じりに敵兵は話した。そして、手に持っているものを前にかかげた。
指先が震えていて、あまりよく見えない。
「俺の家族の写真だよ。まだ生きてる。」
そこに写っている女性と男、そして2人の小さな人間。子供だった。そこに写っている人間はとても幸せそうで、心底腹が立った。何でこいつらだけ生き残ってんだよ。俺の家族は全員死んだんだぞ。
「生き残ってるだけクソマシだろ。」
「そんなもんかね。」
そいつは落ち着き払っている。ギュ、と目に巻いた包帯を締めなおし、敵兵は男に語りかける。
「見ての通りもう両目はつぶれてる。腕と足も片方ずつなくした。これじゃもうアイツらと遊べねえし、アイツらのこと見れねえ。満足にハグすら出来ねえ。」
そして、人を殺すこともな。と、そいつは零した。腕と足をもがれ、両目をつぶされた時に出てくる考えられる可能性。そこに人を殺せなくなるということが入っているのに無償にやるせなくなった。
「殺せよ。もう絶望しかねぇ。暗闇の恐怖の中、家族の顔を思い浮かべながら徐々に死んでいくなんてとても耐えられねぇ。せめてここで偶然知り合えたクソ野郎にぶち殺される方がマシだぜ。」
そうだろクソ野郎?とそいつは豪快に笑った。その笑い声は驚くほど掠れている。
だから俺は答える。
「……お前が正しかったよクソ野郎。」
玉の入ってない銃口を敵兵に向けた。
「お前もな、クソ野郎。俺等は正しい間違いを犯し続けてる。玉、それ入ってないんだろ?」
そいつはポケットから一発の玉を取り出した。
「俺の国が作ったんだ。性能は抜群だぜ?」
「ハッ。かもな。」
銃に玉を込める。それと同時に言葉も口をついて出る。
「じゃあな兄弟。」
「あぁ。」
引き金に人差し指をひっかけた。
頬に涙が伝う。或いは血だったのかもしれない。
「あぁ、アイツらにまだ言えてねぇや。」
「「じゃあな。」」
引き金を引く音だけが防空壕に響いた。




