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第一話 好きは、まだ凍らない。


「ねえ、ゆきっこ。滑るの、好き?」


「うん!」


「どのくらい?」


 わたしは、両手をいっぱいに広げた。


「こーれくらいっ!」


 二人で、ゆっくり滑る。


 刃が、しゃ、しゃ、とやさしく鳴る。


 夕焼けが溶ろけて、世界は桃色に染まっていく。


 転びそうになると支えてくれる。

 つないだ手は、ぽっかぽっかで―――


 胸の奥まで、あったかい。


「ほら、前を見て」


「うん!」


 世界は、光でいっぱいだった。


 氷は空を溶かし、

 わたしは、空を滑っているみたいで。


 飛べそうな気がした。


 そのぬくもり。

 その声を―――


 ゆきっこは忘れない。

 



   ❄    ❄    ❄




 雪は降っていないのに、広場はまぶしかった。


 朝の光が、ひとつの氷像(ひょうぞう)を照らしている。


 氷の、母が笑っていた。


 「……おかあさん」


 空が青すぎる。

 目が、ちかちかするのは、お日さまのせい。


 ゆきっこは、そっと氷像に触れた。


 つめたい。


 あの手と、ぜんぜん違う。


 氷は、あのぬくもりを覚えていない。


 指先が、じん、と白くなる。



 「この方は、我が氷河共和国(ひょうがきょうわこく)の誇り、「氷姫(こおろひめ)小雪(こゆき)様です」


 誇らしげに響く。


「シンクロ率百を達成し、女神へと昇華なさいました」


 拍手。


 祝福。

 

 誇り。


 きれい。


 

 シンクロ率。


 それは、「好き」の深さを示す数字。


 氷の妖精と、どれだけ心を重ねられるか。

 

 九十で奇跡。

 九十五で、身体が()み始め。

 百―――完全同調。


 少女は氷像となり、二度と動かぬ女神となる。


 永遠は、動かない。


 抱きしめられない。


 それでも、みんなは言う。


 「栄誉だ」

 「幸福だ」と。



 ゆきっこは、母を見上げる。


 のどが、あつくなり。

 胸の奥が、ぎゅうっとなる。


 女神さま?


 でも。


 さわっても、もう、あったかくない。



 ―――女神さまは、

 ぬくもりを忘れてしまうの?




   ❄    ❄    ❄




氷舞(ひょうぶ)はね、血を流さない戦争なんですよ」


 誇らしげな声が、広場に響く。


「かつて我が氷河共和国とヴェルドニア帝国は幾度も剣を交えました。氷原は赤く染まり、多くの命が失われたのです」


 一拍。


「だから私たちは、選びました。

 氷姫に、国の誇りを託すことを」


 拍手が起こる。

 ゆきっこは、その音が遠く感じた。



「氷上で舞う氷姫こそが、我らの誇り。

 どちらが、より美しく舞うのか―――。

 これは、国の威信をかけた戦いなのです」


 氷の妖精を纏い、少女は舞う。


 妖精は「衣」。


 契約し、心を重ねる。


 重なりが深いほど、美しく舞う。


 それは栄誉。


 祝福。


 幸福。


 そう、みんなは言う。



 ……本当に?



 ゆきっこは、母を見つめる。


 こわい、とは思わない。


 ただ。


 同じ景色が見たいと思った。




  ❄    ❄    ❄




「わっ」


 つるりと転ぶ。


「いたた……」


 氷はつめたいのに、なんだか気持ちいい。


 立とうとして、またよろける。



 ――立てるわ。



 やわらかな声が、心に届く。


「だぁれ?」


 氷の上に、小さな光。


 朝日に溶けそうな、淡いきらめき。

 


 ――紗雪よ。



「さゆき?」


 光が、ふわりと揺れる。


「きれいな……名前」


 泣いていた胸が、少し軽くなる。



 ――凍るの、こわくないの?



「うん。まだへたっぴだもん」


 くすくす。


 立ち上がる。


 おしりに着いた氷をはらう。


 震える足。


 でも、また滑り出す。


 しゃ。

 

 刃が鳴った。


「ねえ、聞いた?しゃって!」


 くるり。


 危なっかしい。

 でも、目はきらきらしている。


 「すき!」


 ただ、それだけ。


 国も、誇りも、栄誉も、祝福、百も知らない。

 

 氷の上にいると、


 心が、まっすぐになる。



 ――ふふ。



 光の声は、やわらかく笑った。


 

 夜になると、少しだけ胸がざわざわする。


 氷像を思い出すと、「こころ」がしん……と白くなる。


 でも。


 リンクに立つと、全部ほどける。



 しゃっ。


 しゃっ。


 回る。


 笑う。


 風が、ほほをなでる。


「もっと!」


 転んでも、また立つ。


「だって――」


 くるり。


「滑るの、すきなんだもん!」


 その「好き」は、


 願いでもなく、

 覚悟でもなく、


 呼吸のようだった。


「ねえ、さゆき」



 ――なに?



「わたし、もっと上手になるね」





 未来なんて、考えていない。


 百の意味も、知らない。


 ただ、光のなかで笑っている。


 「あの子」に似ている。


 紗雪の胸が、わずかに軋む。


 あの子の温もりを、私は凍らせてしまった。


 けれど、その続きは飲み込んだ。



 代わりに、そっと(ささや)く。



 ――私を、(まと)ってみる?



 光が、形になる。


 白い髪のやわらかな女性。


 抱きしめられると、

 つめたいのに、あたたかい。


 胸の鼓動が、重なる。



 しゃあっ。


 透き通った音で、刃が氷を蹴った。


 くるり。


 転ばない。


 世界が、ひろがる。

 空が、近い。


 ―――わたし、飛んでいるみたい。


 腕の中の高鳴りに、

 紗雪は、そっと微笑んだ。




 その日から。


 ゆきっこ―――

 月羽 雪花(つきばね ゆきか)は、ひとりではなくなった。





 「氷の妖精」――紗雪は、


 この「好き」が行きつく未来に、魅せられてしまった。


 それが、百へ至る―――


 取り返しのつかない、初めの一歩だと知りながら。



 それでも、私はあなたを選ぶ。



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