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第6話 : 愛情の形




雪を両手に抱えた街路樹が、

街灯のオレンジ色に照らされて、枝をたわませている。

 

隣を歩く紡の足取りは、もう殆ど以前と変わらない。


その回復の早さを、

私は観測者として冷ややかに見つめていた。



「ねえ、大学の寮の準備、進んでるの?」

 

「東京に行ったら、私の目は届かないんだから。

ちゃんと自分で管理しなよ」


 

「へいへい」

 

その気の抜けた返事を聞いて、私は小さく息を吐いた。

 

——この男は、もう私の視界から出ていく。


 

そんな事務的なラリーで油断した隙間に、

私は、不意に本題を滑り込ませた。


 

「そういえば、美樹のこと聞いたよ。

……振ったんだって?」

 

私は前を向いたまま、わざとらしく小首を傾げる。


 

「あんなに紡に懐いてたのに、なんで?」

 

 ――まあ、理由は知ってるけど。


 

「……青山には、悪いと思ってる」

 

紡の声が、僅かに沈んだ。


私はそれを逃さず、

追い打ちをかけるように笑みを深める。



「ふーん。なら付き合ってあげればよかったじゃない」


「……いや」

紡は、バツが悪いとすぐに被せて、何かを言おうとする。



そんな悪癖すら、私には調整余地のある可愛い機体。



「国立までついてきてくれてさ、誰よりもあの子の声、

響いてたよ。紡だって、励まされたでしょ?」


――どんな答えが返るかさえ、手に取るようにわかる。


「……だから」

紡が足を止めた。私も歩みを止め、彼を振り返る。


 

街灯の下、紡が真っ直ぐに私を見据えていた。

その瞳は、凍てつく冬の夜気よりも鋭かった。


「……一番聞こえたのは、お前の声だ。彩華」

 

街灯の下、紡の視線は真っ直ぐだった。

逃げ場のない、あまりに澄んだ光。


 

「ガキの時から、ずっとそうだ。

お前は、俺の憧れだった」


 

その言葉を聞いた瞬間、私は理解してしまった。

 

——この男は、自分がどれほど残酷な告白をしているかを、何ひとつ分かっていない。


 

「彩華。俺は、お前が好きだ」

 

「俺には、お前が必要なんだ。

国立での約束、守れなかった。だから、延期してくれ」


 

紡の手が、私の肩を掴む。

熱が、コート越しに伝わる。

 

役目を終えたはずのドローンが、

自ら操縦者を必要としている。


——ああ。

なんて、都合のいい光だろう。


紡のこの真っ直ぐな告白を、

そのまま、美樹の心にも、分け与えてあげよう――。


 

「親友の私」が、彼女の「憧れの男」を。

 

彼女がどれほど望んでも手に入らなかった、視線。



その視線を、独占したのだと。



「……いいよ、紡」



私は、聖母のような慈愛を瞳に宿して、大いなる愛情で、

両手を広げ、彼の告白を受け入れてあげた。



私の頭の中では、明日この事実を知る美樹の、

崩壊した顔ばかりを思い描いていた。


 

――ああ、可愛い。私の可愛い美樹。


 

一晩、一睡もせずにその瞬間を反芻していた。



窓の外で降り積もる雪を見つめながら、

私は自分の内に芽生えた感情の正体を、

顕微鏡で、覗き込むように観察していた。


 

紡と付き合えば、美樹は確実に壊れる。


 

自らの唇を奪った「親友」が、

自分の欲しかった「光」を奪ったという事実。


その絶望が、あの子の瞳から輝きを奪い、呼吸を乱し、

私という、唯一の酸素にするだろう。



戻れない……。

いや違う、これが私の本当の願い。

 

背徳感など欠片もない。


あるのは、完璧な計算が結実する直前の、

静かな昂ぶりだけだ。


私は美樹を愛している。


だからこそ、彼女から私以外のすべてを奪い、

私の腕の中でしか生きられない「標本」にしてあげたい。




翌朝。

紡を呼び出して昨日の返事の「続き」を話した。



「美樹には、私たち二人から伝えよう。

それが、あの子に対する誠実さだと思うから」



私の提案に、紡は硬い表情のまま頷いた。



「……ああ。そうだな。

隠しておくのは、あいつに失礼だと俺も思う」



紡はどこまでも真っ直ぐだ。


その「誠実さ」という名の鈍器が、

どれほど深く美樹を打ちのめすかも知らずに。


私は彼のその純粋さを、

美樹の酸素を奪うためのスパイスとして利用する。


私たちは土曜日に、美樹を駅の改札前へと呼び出した。

冷え冷えとした空気の漂う、二月の空。


私と紡は、向かってくる彼女を待つ間、

静かに並んで立った。

 

「彩華」

「……なあに?」

「俺の覚悟は、昨日言った通りだ。二度と揺らがないよ」



その誠実な責任感は、

私の中の濃紫の毒を、器から溢れさせる。

 

 

ああ……はやく、私の目の前まで来て欲しい。



私は、その瞬間が待ち遠しくてたまらなかった。

 

自分の中の加虐心と、

これから訪れるであろう美樹の崩れ落ちる姿を想像して、

指先が微かに震える。



紡は私のその震えを、緊張だと勘違いしたのだろう。

 

「大丈夫だ」と、さらに強く握り返してきた。



「俺もいる。俺から、ちゃんと説明するから」



その真っ直ぐな言葉が、

美樹を切り裂く最上のナイフになることも知らずに。


 

きっと――

絶望に引き攣り、大粒の涙が頬を伝い落ちるだろう。

 

震える肩、溢れ出す嗚咽、崩れ落ちそうな膝。

 

紡という光を失い、親友という安息地さえも、

裏切りの戦場に変えられた彼女の姿。


 

ああ、なんて――なんて、美しいんだろう。



その彼女からすべてを奪った私が、

最後には唯一の救いとして、その震える肩を抱き寄せる。



この矛盾した支配こそが、

私の求めていた完全な独占の形。

 

ああ、どんな顔をするのだろう。


これから、

私の腕の中でしか呼吸ができなくなるあの子は。

 


もう、戻れない。それでいい。


 

――あの子を乗せた箱がやってくる。

 

遠くから、電車の走る地響きが聞こえてくる。




私たちの舞台へ、音を立てて、近づいてくる――。



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