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第3話 : 定点観測



ファミレスを出ると、夜の空気は刺すように冷たかった。


紡と別れ、美樹と二人で駅へと向かう。

 

美樹はまだ紡の熱が冷めないのか、

マフラーに顔を埋めながら、

何度も足元を跳ねさせていた。



「ねえ、彩華……私さ、さっき紡くんが、

あんなふうに笑ってくれるなんて思わなかった。

やっぱり、彩華がいてくれたからだよね」



美樹が、潤んだ瞳で私を見上げてくる。

 

紡に向けたばかりの「好き」という熱量が、

今度は私への「信頼」となって流れ込んでくる。



「そんなことないよ。美樹が紡のいいところを、

ちゃんと見て、伝えてあげてるからだよ」



私は、嘘をつくときほど相手の瞳をじっと見る。


「彩華のおかげだよ。

私一人じゃ、あんなに楽しく話せなかった。」


美樹は安心したように吐息を漏らし、

私の腕に自分の腕を絡めてきた。


「……彩華はさ、今は、誰かに恋したりしてないの?」


……ああ、恋の話。

恋バナ、とかいう女子特有の儀式。


恋愛というノイズだらけの感情に、

自分の人生のリソースを割くつもりなんて毛頭ない。



けれど、彼女が一番安心するであろう「正解」を、

彼女と紡の為に、差し出すことにした。


 

「……実はね、中学のときに一度だけ、

すごく好きだった人がいたんだ。

でも、その人とは結局上手くいかなかった」


私は視線を少しだけ落とし、

さも大切に反芻しているような間を作った。


――嘘ではない。

かつての私が、自分自身の才能を愛し、

けれどフィジカルという壁に阻まれて、

その恋――サッカーそのものを諦めたのは、事実だから。



美樹は「そうだったんだ……」と、

申し訳なさそうに、けれど私をより、

身近な存在として認識したように、腕の力を強める。



「だから、美樹には幸せになってほしいんだ。

私みたいに、後悔は……してほしくないから」


「彩︎華っ……」


美樹の瞳に、同情と信頼の光が宿っていく。

その顔を見つめながら、懐かしい光景を思い出していた。



小学校の運動会で一等賞を走った男の子。

文化祭でギターを弾いていた男の子。


 

中学に上がれば、顔がいい先輩、

高校一年では身長の高いバスケの部員。


二年では野球部の屈強なスラッガー。


美樹は進級するたび、失恋するたびに、

新しい誰かに恋をしてきた、恋多き女だった。


 

その度に、

私は惚れ惚れするような手つきで彼女の背中を撫で、

恋が成就すれば誰よりも拍手を送ってきた。



移ろいやすく、けれど真っ直ぐな美樹の情熱は、

私にとって眺めていて飽きない、

お気に入りのコンテンツだった。


――でも。

今回ばかりは、少し話が違う。



美樹が次に選んだのが、あろうことか『紡』だったこと。



私の視覚の一部であり、私の理想の体現者である彼に、

いや、それ以前に私の幼なじみである彼に。


美樹がその手垢のついた「好き」という熱量で、

触れようとしていること。



それを想像するだけで、

私の指先には冷たい違和感が走る。



「応援してる。……また明日、

練習のときに紡の様子、見ておいてあげるね」


「本当!? ありがとう、彩華! 本当に大好き!」


抱きついてくる美樹の体温。

甘い柔軟剤の匂い。


私は彼女の肩を優しく叩きながら、

街灯に照らされたアスファルトを見つめていた。


けれど、私は知っている。

その恋が、いつものようには届かないこと。

 

紡の視界の中には私しか存在しないことを。

私は知っている。



あなたのその「幸せな結末」なんて、用意されていない。



私は彼女の親友として、

その残酷な事実を誰よりも理解していながら、

彼女の背中を優しく押し続けている。



私の言葉一つで、彼女はまた一歩、

届かない場所へと足を踏み出す。


その滑稽で美しい盲目さを、

特等席で見つめているという密かな背徳感。

 

胸の奥で、毒が、トプンと溜まる音がした――。


それは昨日よりも少しだけ、

深く静かな濃紫の色を帯びていた。



 


放課後の喧騒が去り、

校舎の影が長く伸びてグラウンドを侵食していく。


私は一人、校舎の三階にある窓際から、

下の景色を「検分」していた。

 

オレンジ色の夕闇に染まったピッチで、

紡が一人、ボールを蹴っている。



その後ろを、美樹が少し離れた場所から、

邪魔にならないように、追いかけていた。

 

パシッ、という乾いた音が響く。


紡は何度も首を振り、

仮想のディフェンダーを想定しながら、

誰もいない空間に針を通すようなパスを送り続けている。

 

その姿に、年相応の感情はない。

あるのは、私の視覚を正確にトレースしようとする、

機械的なまでの誠実さだけ。


 

「……私の、紡に」


 

そこまで言って、言葉を飲み込む。

喉の奥が、疼くように熱くなる。



美樹は知らない。

彼がどれほど残酷に自分を削り、いかに、私の設定通りに

駆動しているか。



彼はただ、私との『古びた約束』を果たすためだけに、

私の指先が示す軌道を飛び続けている。



けれど、そんな無機質な駆動音を、

美しい旋律か何かだと信じて聞き入っている、

美樹の横顔。


 

それもまた、たまらなく可愛くて、儚くて、

美しいと思ってしまう。

 


届かない機械の心に必死で熱を注ぎ、

私の言葉一つで希望を抱いては、

用意された滑車の中を必死に走り続ける。



その一生懸命な盲目さは、

まるで壊れることが決まっているのに、


壊れるために足を動かし続ける『ハムスター』のようで、

見ていて飽食することはない。



私が完璧に制御する無機質なものと、


その駆動音に恋をして、決して追いつけない背中を、

健気に追いかけ続ける小動物。

 


どちらも、私にとってはたまらなく愛おしい、

愛でるべき存在だった。


 

この歪な関係図を、

特等席から一番近くで観測できるのは私だけ。



彼女がいつか、その車輪の空回りに絶望するその日まで、

私は親友として、彼女の背中を優しく撫で続けて。

 

――毒を塗り込んであげようと思った。





練習を終えた二人が、並んでグラウンドを後にする。



紡はいつものように前だけを見据えて歩き、

美樹はその半歩後ろで、彼に追いつこうと小走りで、

幸せそうに寄り添っていた。



その姿は、端から見れば青春の一頁を切り取ったような、

無垢で美しい光景だろう。

 


美樹は、自分が走れば走るほど、

紡に近づけるのだと信じている。



その愛らしい足が、

どれほど疲弊しているかも気づかずに。


 

「……可愛い」



そう思ったことに気づいて、

私はほんの一瞬だけ、息を止めた。


美樹が笑い、紡が短く応える。


 

その「嘘」のような幸せが、冬の夕闇に溶けていく。


 

彼女を、この残酷な空回りから救い出してあげたい、

そんな親友としての純粋な情。


 

そして、その限界まで走り続けた彼女が、

いつか動かなくなった瞬間の顔を見てみたい、

そんな透き通った好奇心――。



私のなかで、その二つの感情が溶け合うことなく、

一滴の雫となって小さな音を立てて、心臓に落ちる。



二つは矛盾しているようで、どちらも結果的に、

美樹への執着という点では同じだった。



「次は……全国か」

私は窓ガラスから手を離し、暗くなった教室を後にする。

 

舞台が大きくなればなるほど、


紡への負荷は増し、私への要求は過激になっていく。



それに合わせるように、

美樹の走る滑車の回転も速くなっていくはず。



その先にあるのは、栄光なのか、それとも――


 

私の心の中には、十一月夜風のような……、

冷たくて爽やかな、充足感が満ちていた。



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