◆小説サイトに投稿されたエッセイ
2024年6月10日に某ネット小説サイトに投稿されたエッセイ。
現在は削除されている。
これはその時の魚拓を転記したものである。
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タイトル:旧病棟に潜む悪夢
私の心霊体験を記録に残したくて投稿します。
特定を防ぐため、随所にフェイクを入れることご了承ください。
これは新米看護師の私が病棟で経験した話です。
私が新人看護師として配属されたのは●●市立中央病院の産婦人科病棟でした。
清潔で明るい日中の病棟とは裏腹に深夜の廊下は妙に静まり返っていて、どこか張り詰めた空気さえ漂っている。
そんな病棟です。
夜勤が始まって数週間経った頃。
私が休憩室でお茶を飲んでいると先輩看護師の由佳さんからこの病院にまつわる奇妙な噂を聞きました。
「ねえ?
この病院の地下にある旧病棟って知ってる?」
由佳さんはそう小声で切り出すとコーヒーカップを両手に包みながら話を続けました。
「あそこ、今は物置になってるんだけど昔は未熟児や流産した胎児を安置する部屋があったらしいの。
その部屋には赤ん坊の幽霊が潜んでて、夜になるとすすり泣く声が聞こえるんだって」
最初は冗談を言ってるんだと思いました。
新米看護師の私を怖がらせようとしてるんだと。
だけど、口元を強張らせた由佳さんの顔は真剣そのものでした。
「その声の主は骸童っていう妖怪らしいわ。
かなり昔の都市伝説番組で放送されたらしいんだけど、生まれてくることができなかった胎児の怪異。
この世で居場所を見つけられなかった寂しさから、自分を宿してくれる母親をずっと探してるんだって」
由佳さんは一旦そこで言葉を区切ると、私の顔をじっとみつめて忠告してきました。
「絶対にその声の主を探してはダメ。
見つかったら終わりだから。
私も新人だった頃、先輩から同じ忠告を受けたの。
ちなみに先輩はその赤ん坊の声を聞いてしまって狂ってしまったわ。
オカルト好きで変わった先輩だったけど。
今はこの病院を退職してどこにいるのかさえ分からない」
私は半信半疑でした。
科学や医学を信じる私にとって、そんなオカルトめいた話は作り話にしか聞こえなかったから。
だけど、次の日から私の日常は少しずつ蝕まれていったんです。
最初の異変は深夜の巡回中に起こりました。
新生児室や産婦人科病棟の廊下を歩いていると、どこからともなく赤ん坊のすすり泣く声が聞こえてくる。
母親を呼んでいるような、か細い声。
それは病室の奥から反響してくるようにも、私のすぐ背後から聞こえてくるようにも感じられました。
耳を澄ましても音源を特定できない。
そうこうしていると、その赤ん坊の声はピタリと止んだんです。
私の気のせいだったのだろうか。
首を傾げつつその日は家に帰り、翌日、由香さんに赤ん坊の泣き声がしたことを伝えると、彼女は青ざめた顔で小さく呟きました。
「聞こえちゃったの……?」
由佳さんはそれ以上何も言いませんでした。
ただ、私の顔を哀れむようにみつめていたのを覚えています。
それから毎晩、赤ん坊の泣く声が私の耳から離れなくなりました。
最初は夜勤中だけだったのが自宅にいる時でも聞こえるようになり、ベッドの上で横になっていても耳元で“シクシクシクシク……”すすり泣く声が聞こえてくる。
それは私の精神を確実に摩耗させていきました。
寝不足と精神的疲労がピークに達したある夜。
いつものように夜勤に就いていた私は廊下を歩くうちに、その産声が一段と大きくなっていることに気付いたんです。
それはもう幻聴のレベルではないくらいはっきりと。
まるで赤ちゃんが私のすぐそばで泣いているようにさえ感じました。
私は恐怖と疲労感で正常な判断がつかなくなり、無意識の内にその声の元へ足を進めてしまいました。
その泣き声は由香さんが話していた旧病棟の方から漏れている気がしたんです。
普段は使われていないひっそりとした階段を降り、私は震える手でドアをこじ開け、薄暗い地下の廊下に足を踏み入れました。
地下は埃と湿った空気で澱んでいて見通しがきかない。
各病室のドアノブは赤サビに覆われていて、長いこと使われた形跡がありませんでした。
しばらく進んでいくと『立ち入り禁止』の札の貼られたドアが目に留まり、私は何か大きな力に引きずり込まれるようそのドアを開けてしまったんです。
部屋の中はひんやりとしていて、その中央のベッドに“それ”はいました。
骨と皮だけになったミイラのような小さな体。
人間でいえば幼児くらいの大きさなんですが、その肌は年老いた老婆のように皺が寄り、眼窩は虚ろに窪んで深い闇が広がっている。
その姿があまりに異様で思わず後ずさると、それはゆっくりと私の方を向いたんです。
虚ろな黒い瞳に捉えられ、私は金縛りにあったように身動きがとれなくなりました。
”……おかあ、さん……“
頭の中に直接子供の声が響き、か細い腕がゆっくりと私の方に伸びてくる。
その指が頬に触れそうになるのを私はただ呆然とみつめることしかできませんでした。
そこで気を失ってしまったんです。
次に目を覚ますと、私は病棟のベッドに寝かされていて由佳さんが私の顔を覗き込んでいました。
巡回から戻らない私を心配して探しまわり、廊下で倒れていたところをたまたま見つけたんだと。
旧病棟のドアは鍵がかかっていて開くはずがない。
気を失って夢でも見てたんだろう。
そう聞かされても私は夢を見ていただけとは思えませんでした。
それからです。
私の体に異変が起きはじめたのは。
食欲がなくなるのと同時に腹部が異様に膨らんでいる気がしてならない。
医師の検査を受けても特に異常はなかったのですが、自分の内側に何かが入り込んでいる奇妙な感覚がずっと付きまとう。
洗面台の鏡を覗いた時も、一瞬私の目が黒く潰れかけているように見え、その瞳は旧病棟で目にした虚ろな眼窩そのものでした。
そしてその夜、私は悪夢を見ました。
自分の赤ん坊を産む悪夢を。
分娩台の上で地獄のような苦しみに耐え抜いたあと、生まれてきたのは私の虚ろな眼窩を宿した骨と皮だけの哀れな化け物でした。
私はすぐに病院を辞めて実家に引きこもりました。
それでもあの日の悪夢は毎晩繰り返され、腹部の膨張感は次第に増していく。
そして、腹の底からすすり泣く赤ん坊の声が時々聞こえてくるんです。
“シクシクシクシク……”って――
骸童の都市伝説には続きがありました。
骸童は自分を宿してくれる母親を探していると。
骸童に触れてしまった者は魂の半分を喰われ、その存在をその身に宿すことになる。
あの夜、骸童は私の肉体に触れ、私の中に自分の存在を植え付けた。
私は骸童をお腹に宿したまま永遠に化け物を産みつづける悪夢を見続けなければならない。
そう思うとあの日のことを後悔せずにいられません。
どうして赤ん坊の泣き声が聞こえた時点で病院を退職しなかったのか。
どうして専門家に早く相談しなかったのか。
ここからは私の忠告です。
もし夜の病院でかすかな泣き声が聞こえたら、絶対にその声の主を追いかけてはいけません。
私みたいな被害者を増やさないためにも。
なぜなら、次にあなたが鏡を見た時、そこに映るのは哀れな骸童を宿したあなた自身の姿かもしれないから。
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投稿された当時、某小説サイトのエッセイランキングを駆け上がった作品。
当時は作り話なのか実話なのか、コアな読者の間でしきりに議論が繰り返されていたが、エッセイが削除されてからは次第に沈静化していった。
某オカルト月刊誌の特別対談記事に掲載されていた事例と内容が似通っているため、この記事を読んだ霊媒師のM氏が投稿者にコンタクトをとったのだと思われる。
おそらく、エッセイを削除したのもM氏の指示なのだろう。




