◆奥三河の山奥に伝わる畏れ 03
<CMが開け、男性タレントは過去の記憶を辿るかのように遠くをみつめていた>
あのカメラが捉えた映像は今でも夢だったのか現実だったのか分からなくなります。
ただ、あの日を境に僕らの日常が少しずつおかしな方向に進みはじめたのは確か。
僕らは――いや、“僕は”と言うべきか。
あの赤い服の女の子がカメラに映り込んだ瞬間から山の神様に魅入られてしまったのかもしれません。
とにかく、あの映像を見てから僕らが取った行動はひとつでした。
――ボタンを祠に戻す
その日のうちに山を登り祠に向かいました。
ワラボエの祠に辿り着くとKディレクターはビニール袋からボタンを取り出し、赤い糸に括り付けた。
それから深々と頭を下げた。
無事に生きて帰るために。
誰に何を謝っているのか分からない。
ただ本能がそうしろと告げていたんです。
東京に戻ったのはその翌日でした。
民宿で寝られなかったのもあり体調が芳しくなかったものの編集室に入ってからすぐにカメラの映像を撮影順に並べました。
疲れで意識が朦朧としていましたが、あの女の子のカットが気になって仕方なかったので。
再生が始まってからしばらくは町の風景、地元の町長へのインタビュー、祠へ向かう林道の映像が穏やかに続いていました。
民宿であれだけ恐怖したのが嘘のように。
ただ、問題のカットに差し掛かったとき――
「……あれ?」
急にKディレクターが呟いたんです。
画面の端からゆっくり現れるおかっぱの女の子。
「……こいつ、昨日より近くなってないか?」
Kディレクターの疑念を僕も否定できませんでした。
前回よりも画面いっぱいに女の子が映っている気がする。
民宿で見たときは布団の近くにいたはず。
それが今ではカメラのすぐそばまで寄ってきている。
女の子はカメラの方向――というよりレンズ越しの僕らの顔をじっと覗き込んでいました。
フクロウのお面に開いた穴から覗く真っ黒な瞳。
首の皮膚はまるで水の底に長いこと沈んでいた水死体のように皺が寄っていました。
このままでは当然、放送などできない。
社内判断で問題の映像はお蔵入りすることになりました。
ただ、編集ソフトで該当のカットを削除しても翌日にはなぜか復元される。
まるで、あの女の子が自分の存在を消されるのを拒んでいるように。
僕はそれ以来、テレビ局の編集室が怖くなりました。
薄暗い部屋で映像が復元されるたびに、あの身震いする黒い瞳にみつめられる。
ADを辞めてテレビタレントになった今でもあの女の子の顔が脳裏をよぎることがあります。
ワラボエが『今でもお前のことも忘れていないぞ』と警告しているかのように。
ただ、本当の意味で蝕まれていったのは僕の方ではなくボタンを切り取った張本人、Kディレクターの方でした。
Kディレクターは徐々におかしくなっていった。
不眠。
徹夜で編集室にこもり続ける日々。
食欲もない。
笑わない。
独り言も増える。
「夢にうなされて眠れないんだ」
「夜になると黒い影が部屋の中に入ってくる」
「俺は連れて行かれるんだろうか」
そんなことを虚ろな目で何度も呟くようになったんです。
バイタリティあふれる敏腕ディレクターだった頃の面影はどこにもなく、痩せこけ肌はくすみ、その目には疲労と底なしの恐怖だけが宿っていました。
「……呼ばれてるんだよ……」
「ずっと、ずっと……」
「返さなきゃ……戻さなきゃ……連れてかれる……」
彼の言葉は支離滅裂で何のことを話しているのかも分からない。
そんなある夜、彼がぽつりと呟いたんです。
「……俺、もうだめかもな」
顔色は生気が抜け落ちたように青白く、それから少ししてKディレクターが自宅で首を吊って亡くなったという訃報が入りました。
警察は現場の状況から自殺と判断しましたが自室の畳には何かを強い力で引きずったような跡が不自然に残っていたそうです。
まるで彼が最後の抵抗をしたのか、あるいは誰かに無理矢理連れて行かれたように。
実はKディレクターが亡くなる直前、僕は編集室で彼と最期の言葉を交わしていました。
あの日、誰もいない編集室でKディレクターは椅子に座って虚空をみつめていたんです。
「Kさん……大丈夫ですか?」
僕が声をかけるとKディレクターはふっと笑いました。
「これでやっと返せる……」
誰に何を返したかったのでしょう。
それは僕にも分かりません。
尋ねたところでKディレクターはもう返事をしなかったので。
ただ、黙って同じ方向――暗い編集室の隅をじっとみつめていたのを覚えています。
そこには誰もいないはずなのに。
もしかすると彼は最期に連れて行かれるのを受け入れたのかもしれません。
Kディレクターの葬儀を終えたあと僕はどうしても気になったことがあって再び奥三河の祠を訪れました。
前回の非礼を詫びるためでもあるし、Kディレクターが何を返したのか確かめたい気持ちもあったので。
ワラボエの祠は前に訪れたときと同じ姿でひっそりと森の奥に佇んでいました。
ただ、ひとつだけ前回と違うものがあった。
――D型の赤いボタン。
前回訪れたときには無かった新しいボタンが増えていたんです。
それが誰のものなのか考えるまでもなかった。
Kディレクターの『連れていかれる』という言葉を思い出した僕は震える手で合掌し、静かに頭を下げました。
ワラボエは胎児の魂をボタンとして受け入れ、自らの管理下に置く。
逆鱗に触れればその対象は赤子に留まらない。
Kディレクターは今も死後の世界で、あのわらべ歌と共にワラボエに囚われているのかもしれません。
そのときでした。
周囲の森から無数の葉が擦れる音とともに何十もの視線がこちらに集中しているのを感じとったんです。
嫌な予感がして周囲に目をくべると、そこには多種多様なお面を被った子どもたちが立っていました。
狐のお面、天狗のお面、ひょっとこ、般若、能面。
子どもたちは何も言わず笑いもしない。
それなのにお面の奥で何か黒いものが渦巻いているのが分かる。
――悪い子眠らぬ 影が来る
――戸口に立って 見ているよ
――悪い子怖がり 影が出る
――虚ろに虚ろに 引きずるよ
――うめく叫びは 闇に消え
――祟られ祟られ 童吠える
どこからともなく民宿の女将から教わった歌が重なるように聞こえてきて、気が狂いそうになった僕は声にならない叫び声を上げて逃げ出しました。
ふらつく足で転がるように山道を下り、背後を振り返ることもできずに。
あの光景は今でも夢に出ます。
逃げようとしても足が動かない。
お面の子どもたちが森の奥からじっと僕を覗いてくる。
そんな悪夢が毎晩のように続いたんです。
それ以来、テレビタレントになった今でも僕は夜になると必ず周囲を警戒してしまう。
そして時々思い出してしまうんです。
赤い服の女の子と真っ黒な瞳、Kディレクターの最期の不審な笑顔。
僕が今、こうしてカメラの前でこの話をしているのも、もしかしたら僕自身を返すためのひとつの区切りになっているのかもしれませんね。
<男性タレントはここで深く息を吸い込むと視線を宙に彷徨わせた。スタジオの照明がゆっくりと落ちていき男性タレントの顔が闇に沈んでいった>
――――――――
この男性タレントは2010年代を境にまったく姿を見せなくなった。
芸能界を引退し、一般人としての生活を送っているようだが現在の近況は知られていない。
ワラボエが順番に迎えに来るのであればKディレクターの次はこの男性タレントだったのかもしれない。




