◆某週刊誌 婚約者の語る妻の狂気
週刊現代●●●● 2002年11月第3週号
独占インタビュー記事
【婚約者の語る事件に隠された妻の狂気】
〜あの日、妻の身になにが起きていたのか〜
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2002年9月19日、閑静な住宅街に鎮座する名古屋市の神社境内にて腹部を刺された女性の遺体が発見されてから約二ヶ月が経過した。
臨月間近の妊婦が刺殺されるという陰惨な事件にもかかわらず、犯人はいまだ特定されておらず警察の捜査は難航を極めている。
一部では自殺の可能性も示唆されているが、妊婦が自らの腹部を刺すという常軌を逸した行動をとるはずがないと世間の批判は飛び交うばかりだ。
さらに不可解なほど情報開示の少ない捜査状況に対し、警察上層部に何らかの圧力が加わっているのではないかという陰謀論さえ広まりつつある。
今回、本誌編集部は亡くなられた女性の婚約者であり、事件の容疑者として警察の嫌疑をかけられていた匿名希望Fさん(30代・会社員)の独占インタビューに成功した。
憔悴しきった彼の語る、美しき妻に隠された恐ろしい秘密とは――
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取材の待ち合わせ場所は個室のある飲食店。
事件から二ヶ月が経った今でもFさんの顔には拭いきれない暗い影が落ちていた。
大手企業に勤めるエリートサラリーマンだった頃の面影はなく目元には深い隈が刻まれている。
「すみません……こんな状態で」
ソファーに腰を下ろすと彼は小さく頭を下げた。
事件後、警察からの事情聴取は数十回にも及んだという。
その間にも『夫婦仲が悪かった』『実は夫が犯人ではないか』といった根も葉もない噂が世間に広まり、無責任な憶測がネット上に書き込まれ続けた。
「外を出歩くのが怖いんです。
すれ違う人、全員が私を人殺しだと思ってるような気がして……」
Fさんは震える手でコーヒーカップを持ち上げ、一口すすると重い口を開いた。
今回、本誌の取材に応じてもらえた理由はただひとつ。
世間に流布するデマを否定し、少しでも妻との関係を知ってもらいたかったからだ。
しかし、彼が語り始めた内容は我々の想像を遥かに超える異様で不可解なものだった。
「妻の名前は早苗といいます。
とは言っても、婚約関係でしたから厳密には夫婦ではないんですけどね。
彼女は愛知県にある神社に仕える巫女でした」
Fさんは遠くを見るような目で語り出した。
「初めて会った時のことは今でも忘れられません。
肩まで伸びた艶のある黒髪。
透き通るような白い肌。
早苗は今まで会ったどんな女性よりも神秘的かつ魅力的な容姿をしていたので」
Fさんの表情がその瞬間だけわずかに緩んだ。
しかしそれも数秒で消える。
早苗さんの居た神社は全国的にも珍しい旧社家による世襲制が未だに続いている場所だったという。
「明治時代に神職の世襲制度は廃止されましたが、その神社には今も根強く残っていたんです。
旧社家の一族が未だに宮司(神社の最高責任者)を世襲していて、閉鎖的で独特な掟の蔓延る場所でした」
早苗さんはその家柄の中でも分家にあたる家系の生まれだったという。
彼女は幼い頃から厳しく育てられ神職としての才覚は一族の中でも突出していたというが、本家筋の生まれではなかったため宮司への道は閉ざされていた。
「彼女はよく嘆いていました。
私は分家の生まれだから、どれだけ能力が高くとも宮司にはなれない。
宮司になれなければ生きている意味がないとまで口にするほどに。
その執着心は傍から見ていても危ういほどでした」
そんな彼女の孤独と情熱にFさんはどうしようもなく惹かれてしまい、仕事でその地域を訪れていたことも相まって足繁く神社に通っては早苗さんを口説いていたという。
「恥ずかしながら早苗に一目惚れしてしまったんです。
私には彼女の住む世界があまりに窮屈に見えた。
世の中には宮司以外にも素晴らしい仕事がたくさんある。
なんなら今から大学に編入して学び直してもいい。
色々なことを学べば他にやりたいこともきっと見つかるはず。
だから、もっと広い世界を見てほしい。
必死にそう伝えました」
Fさんは資産もあり生活の基盤もしっかりしていた。
今からでもやり直しは効く。
自分について来て欲しい。
その一心な言葉に頑なだった早苗さんの心も次第に解けていった。
「ある日、早苗が折れたんです。
あなたの言う通りかもしれないと。
ただ、両親や一族の許可は絶対に下りないと断言されました。
だから私は半ば駆け落ち気味に彼女を神社から連れ出したんです。
彼女の親族には無断で」
ふたりは名古屋市内にあるアパートで新たな生活をスタートさせた。
Fさんにとっては愛する女性を救い出し、幸せな家庭を築く第一歩のはずだった。
ところが、同棲が始まってからすぐ早苗さんは奇妙な振る舞いを見せ始めたという。
「彼女は寝室で私と一緒に寝ようとしませんでした。
必ず寝室の押し入れに閉じこもって寝るんです。
布団を押し入れの中に引き込んでまで」
Fさんの表情が曇る。
「理由は分かりません。
狭いところが落ち着くからと言っていましたが、正直異様な光景でした。
そして、必ずこう念押しするんです。
絶対に中を覗かないでと。
まるで日本昔話の鶴の恩返しのように」
愛する妻の頼みだからとFさんはその言いつけを守り続けた。
ただ、夜中に目を覚ますと押し入れの中から奇妙な音が聞こえてくることもあった。
「ジ、ジジ、ジジジ……と何か硬いもので押し入れの壁を削っているような、爪を立てているような乾いた音が聞こえきました。
それも一度や二度ではありません。
ほぼ毎晩のように壁を引っ掻いてるんです」
Fさんは一抹の恐怖を感じながらも約束を破って中を覗くことはしなかった。
しかし、本当の意味で恐ろしかったのは、ふとした瞬間に感じる妻の視線だったという。
「夜中、尿意で目が覚めて布団から起き上がると押し入れから視線を感じました。
目を向けると押し入れの襖が数センチだけ開いていて、その隙間から早苗がじっとこちらを覗いていたんです。
まるで私が約束を破っていないか、あるいは私が寝静まっているかを監視しているかのように」
そんな奇妙な同棲生活が数ヶ月続いたある日、ふたりの間に決定的な亀裂の走る事件が起きた。
「私が仕事から帰ると早苗がリビングで自分のお腹を愛おしそうにさすっていたんです。
そして、独り言のように『うまくいった』『やっと身籠った』と呟いていました」
Fさんは自分の耳を疑った。
「彼女は恍惚とした表情で続けました。
これで親を見返せる。
本家の連中も認めざるを得ないと。
そして、嬉しそうに私に言ったんです。
夜中に身籠ったから小夜子と名付けた。
ご先祖様の創始者と同じ名前なんだと」
その瞬間、Fさんの中で何かが弾けた。
激昂したFさんは同棲してから初めて早苗さんに掴みかかったという。
「ふざけるな!と怒鳴りました。
当然でしょう。
ここ数ヶ月、私たちは一度も肌を重ねていなかったんですから」
Fさんは唇を噛み締め、悔しそうに俯いた。
「押し入れに籠もってばかりの彼女とは夫婦らしい生活など皆無でした。
それなのに妊娠したということは私が仕事に行っている間に他の男を連れ込んでいたとしか考えられない。
内密に不倫されていたわけです」
ところが、Fさんの怒りに対する早苗さんの反応は予想外のものだった。
「彼女はポカンとしていました。
私がなぜ怒っているのか本気で理解できていない様子でした。
悪びれる様子も言い訳をする素振りもない。
悪いことをしたという心当たりが微塵もない顔だったんです。
これほどまで一般常識や倫理観が欠けているのかと怒りを通り越して呆れるほどに」
それからというもの、ふたりは毎日のように口論が絶えなくなった。
Fさんが問い詰めても早苗さんは不思議そうに彼をみつめるばかりだった。
「なんであなたが怒っているのか分からない」
その言葉がFさんの神経を逆撫でした。
そんな冷え切った関係の中でも早苗さんのお腹は異様な早さで大きくなっていったという。
Fさんにとっては見知らぬ男との不貞の証。
しかし早苗さんはそれを悲願であるかのように大切に育てていた。
「正直、耐えられませんでした。
自分が養っているのに早苗はどこの誰とも知らない子を産もうとしている。
それも小夜子なんて古臭い名前をつけて。
限界でした。
私は彼女にアパートから出ていけと怒鳴りました」
その時、早苗さんが向けた冷徹な眼差しをFさんは今でも忘れないという。
「彼女は静かに私を見つめ返しました。
そして、低い声で言ったんです。
あなたが連れてきたのにそんなこと言うんだと」
それがFさんの聞いた彼女の最期の言葉となった。
早苗さんはその夜、荷物をまとめてアパートを飛び出し、行方をくらませた。
そして数日後の9月19日。
早苗さんが自宅近くの神社境内で遺体となって発見されたと警察から連絡が入った。
「警察からは私が第一容疑者だと疑われました。
動機もあり、アリバイも曖昧だと言われて。
でも、私はやっていない!
天地神明に誓って私は妻を殺していない!」
Fさんはテーブルを叩き、悲痛な叫びを上げた。
「そもそも、私は不倫の被害者なんですよ!
おそらく早苗を殺したのはお腹の子の本当の父親、つまり不倫相手なんじゃないかと考えています。
私が何度尋ねても、早苗は赤ちゃんの父親に関しては頑なに口を閉ざしていましたから」
Fさんは警察の捜査が進展しない理由についても独自の推測を口にした。
「もしかしたら早苗の不倫相手は政治家の重鎮、あるいは警察上層部の人間だったのかもしれません。
彼女があれほど頑なに守ろうとした相手です。
それなりに力のある人物だったのでしょう。
であれば、警察の捜査が進展しない理由も情報が伏せられている理由も納得がいきます」
事件は物証が乏しく、第三者の関与を示す決定的な証拠が出ないまま捜査は行き詰まっている。
早苗さんが自ら腹部を刺したという自殺説まで出ている始末だ。
「正直、私はもう真相なんてどうでもいいです……」
Fさんは力なく椅子に背中を預けた。
「どうしてあの時、彼女を神社から連れ出してしまったのか。
どうして駆け落ちという選択をとってしまったのか。
彼女はあの狭い世界で生きていくべき人間だったのかもしれません。
あの日の自分を責めるばかりです」
最後に今後のことについて尋ねるとFさんは乾いた笑みを浮かべてこう答えた。
「もう、結婚はしたくないです。
女性という生き物が分からなくなりました」
美しくも謎多き妻と彼女を救おうとして泥沼に嵌ったFさん。
日本を震撼させた妊婦刺殺事件の裏には現代社会の常識では計り知れない深い闇と狂気が渦巻いていた。
早苗さんがお腹に宿していた子の父親は誰だったのか。
その父親の影響で捜査が暗礁に乗り上げているのか。
事件の真相は依然として深い霧に覆われたままだ。
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現在は絶版となっており入手できない週刊誌。
Fさんの境遇に同情する声もある一方で駆け落ちしながら妻を支えきれず突き放したことに対する批判も当時は根強かった。
赤ん坊の父親が誰だったのかは結局分かっていない。




