◆ 某オカルト月刊誌 2023年9月号掲載短編『ムカデ男』
真夏の蒸し暑さがまとわりつくようなある日。
当時大学生だった私はろくな予定もなく夏季休暇を持て余していました。
男友達Kと女友達Nを含めた三人。
なにをするわけでもなくショッピングモールの喫茶店で駄弁っていたら、ふとKが肝試しをしようと言いはじめたんです。
ちょうどいい所をネットで見つけたと。
場所は奥三河の森の奥にある廃墟。
かつては古いお茶屋さんだったらしいのですが、今では地元でも有名な心霊スポットになっているとのことでした。
Nは最初こそ嫌そうな顔をしていましたが、執拗に懇願するKに根負けして、結局私たちはKに押し切られる形で肝試しに行くことになったんです。
その日の夜十一時過ぎ。
私たちはKの車で廃墟のある森へ向かいました。
山道を進むにつれて街灯も減っていき、フロントガラスに映るのはどこまでも深い暗闇だけ。
蒸し暑い空気に混じって腐葉土の香りが窓の隙間から入り込んでくる。
目的地に着いて車を停めると、辺りはすでに真っ暗で頼れるのは懐中電灯の細い光だけでした。
風もなく、しんと静まりかえっていたのを覚えています。
しばらく峠道を歩いていると、お目当ての廃墟は鬱蒼と生い茂る木々の間にぽつんと佇んでいました。
かつてお茶屋だった名残なのか木の看板が崩れかけたまま傾いており、壁は雨ざらしで黒ずみ、入り口の戸は外れて地面に転がっていました。
中を覗いてみると床は落ち葉に覆われ、壁や机は朽ちてそこら中に青カビが生えている。
どこからともなく木材の腐敗臭が漂ってくるだけで怖いというより、むしろ湿気の不快感の方が勝っていました。
当然、幽霊の類いが出るようなこともなく、そろそろ飽きて誰かが帰ろうかと口にした矢先、Nが廃墟の裏手を指差して小さな声を上げたんです。
「……ねぇ、なにあれ?」
振り返ってNの指さす先を見ると森の奥に淡いオレンジ色の灯りが小さく揺れていました。
焚き火にしては弱々しく、ランタンの灯りのようにも見える。
そんな灯りでした。
「こんな時間に人がいるわけないよね」
「俺たちの他に肝試ししてる奴がいるのか?」
「……どうする? 行ってみる?」
怖さと好奇心がせめぎ合い、結局三人でその灯りを目指すことになったんです。
こんな山奥まで来てこのまま帰るのも味気なかったので。
草藪をかき分けて灯りの方に進んでいくと朽ちた鳥居が姿を現し、その鳥居の奥に屋根付きの祠が寂しく佇んでいました。
全体的に苔に覆われた小さな祠です。
ランタンはその祠の近くにひっそりと置かれていました。
「誰かが参拝にでも来たんだろうか」
「……こんな真夜中に?」
「だけど手入れされてるようには見えないよ?」
お互いに顔を見合わせ、懐中電灯で足元を照らすと奇妙なものが目に入りました。
そこら中に赤いボタンが散乱していたんです。
まるで子供服から引きちぎったような安っぽいプラスチックのボタンが無数に。
異様な光景に背筋がゾッとしました。
さらに祠の屋根の割れ目にはクシャクシャに丸められた紙切れが挟まっており、手にとって広げてみると――
『みられている みられている みられている みられている みられている みられている みられている みいられている みられている みられている みられている みられている みられている みられている みられている みられている』
それだけが紙一面を覆い尽くしていました。
誰かに脅迫されて書かされたような乱雑な字で。
「なにこれ……気持ち悪い」
Nが顔をしかめて呟きました。
見てはいけないものを見てしまった。
そんな嫌な空気が漂いつつ、私たちはそっと紙を元の場所に戻して、その場から立ち去ろうとしたまさにそのときでした。
――ガサッ、ガサッ……
急に落ち葉を踏みしめる音が森の奥から近づいてきたんです。
反射的に草藪に身を潜め、懐中電灯の明かりを消しました。
ほどなくして現れたのは薄汚れた服を着た中年の男。
年齢は40代くらいだったと思います。
髭がぼうぼうで背丈は170センチほど。
手には小さなビニール袋をぶら下げている。
男は祠の前に座り込むと、おもむろにビニール袋を広げて中身を取り出しはじめました。
私はその中身を見て思わず息を呑みました。
中から出てきたのはうねうねと蠢く大型のムカデ。
それも何十匹も。
さらに男はムカデを鷲掴みにして口に運ぶと、ボリボリと音を立てて咀嚼し始めたんです。
まるでスナック菓子でも食べるように次々と。
硬い殻の砕ける音が静かな森に響いて、見ているだけで吐き気が込み上げてきました。
やがて袋の中身をすべて食べ尽くしたのか、男は唐突に立ち上がるとふらふら森の奥へ消えていきました。
私たちは恐怖を通り越して、ただただ呆然と見つめることしかできせんでした。
「は、早く帰ろう……」
肝試しどころではなくなった私たちは急いで車に向かいました。
もはや誰も言葉を発さない。
みな青ざめた顔で峠道の入り口まで向かいました。
ようやく車にたどり着き、Kが震える手でエンジンをかけた直後、ドンッという衝撃音とともに車体が大きく横に揺れたんです。
窓の外を見るとさっきの男がそこに立っていました。
目の焦点が定まっておらず、どこを向いているのかさえ分からない。
まるで魂が抜けてしまったかのように虚ろな顔をしていたのを覚えています。
”ジ……ジジ……ジジジ……“
男は意味不明な言葉を口にしながら何度も体当たりを繰り返してきました。
その度に窓ガラスがガタガタと震え、ドアが軋む。
私たちを車外へ追い出そうとしているんだとすぐに分かりました。
Kが狂ったように叫び声を上げ、勢いよくアクセルを踏み込み、タイヤが地面を滑る音とともに車は森を飛び出しました。
バックミラーには、なおも追いすがろうとする男の姿がしばらく映っていましたが、やがて闇に紛れて見えなくなりました。
胸の鼓動が収まらず、地元に帰ってからも吐き気と震えが止まりませんでした。
もし車をあの男に止められていたら。
もしあのまま引きずり出されていたら。
私たちの身がどうなっていたのか想像もつきません。
あの男が何者だったのか。
ボタンと紙切れが何を意味していたのか。
結局なにも分からないままですが、ひとつだけ確信を持って言えることがあります。
幽霊なんかよりも生きた人間の狂気の方がよっぽど恐ろしい。
高校生の頃から心霊スポット巡りが趣味でしたが、もう二度と肝試しに行く気にはなれません。
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某オカルト月刊誌に掲載されていた奥三河のオカルト短編記事。
どこまでが創作でどこまでが事話なのか不明。
森の中の廃墟の存在が事実だとすれば、場所は愛知県にある●●●だと思われる。
あと、紙に書かれていた『みられている』の文字に誤字が含まれているのは出版社の見落としだろうか?
それともありのままを書いている?
真意が気になるところではある。




