7話
『友達』『サイバー研』『女子高生』『ズッ友』。
花火が終了してから十分後。賑わいの冷めない屋台の間を歩きながら、藍墨は記念撮影を思い出して笑う。すると、隣を歩いていた海月がかき氷を食べながらこちらを見た。
「楽しめていますか?」
藍墨は照れ隠しに目を逸らして言葉を探すも――あまり多くの会話は不要か。「野暮でしたね」と察したように海月が笑うので、藍墨は「そうね」と視線を前に戻す。
先んじて走って行った弥香と、それを心配して追いかけた澄冷の背中を眺める。
それからふと、学校での出来事を思い出した藍墨は、海月に横目を向ける。
「そういや、さ。アンタとあたしが似てるって、何の話だったの?」
小さな氷が乗ったスプーンを舌に乗せた海月の、丸い目が藍墨を捉えた。そして視線を前に戻して氷を飲み込んだ彼女は「言いましたね、そんなこと」と目を瞑る。
「言いづらい? 忘れようか?」
「いえ、そういう話でもありません。下らない昔話です」
そう言って目を開けた海月は、遠くを見つめながら淡々と語り出す。
「――星ヶ丘グループ。ご存知ですか?」
海月が言いながらスプーンに氷を乗せて差し出してくる。「嫌でなければ」と付け加えられたので、特に抵抗も無い藍墨は顔を伸ばして一息に食べる。レモンの味だ。
「……星ヶ丘……あの自動車の?」
「ええ、その親会社が持つ関連子会社全てをひっくるめたグループです」
藍墨は驚愕に何度か瞬きを繰り返し、その言葉の真意に思考を巡らせる。
「珍しい苗字だとは思ってたけど……マジ? そういうこと?」
「ええ、そういうことです。祖父が会長で父が社長を務めています」
しれっと頷くので、藍墨は暫く呆然とした後「二人は」と向こうで射的に興じる弥香と澄冷を指す。「ご存知です」と頷くので、藍墨は固くなりそうだった口を少し緩めた。
「確認だけど、社長令嬢ってことで合ってる? それも全国規模の会社の」
「表向きはそうなりますね」
「はー……道理で品が……品が……ひ、品……」
腕を組んだ藍墨の脳裏を過るのは下着姿で自撮りを繰り返す星ヶ丘海月の姿。お淑やかな口調ではあるが、言動を総合的に見ると口が裂けても上品とは言えない。
苦悩する藍墨を可笑しそうに見た海月は、目を細めて蠱惑的に笑う。
「いいんですよ、無理に貶さなくても」
「逆だ、逆。上品とは口が裂けても言えねーのよ」
「それに。社長令嬢というのも、表向きは、です」
藍墨が首を捻ると、海月は空になったカップにスプーンを放って、右手を広げる。そして、中指だけを曲げてクイクイと動かした。セクハラだろうか。
「私は五人兄妹でして。三番目、次女が私です。後継ぎに性別は関係なく、経営に関する出来の方で次期社長を決める運びだったので、私も次期社長候補でした」
「へえ、じゃあ社長になってあたしを秘書にしてよ」
藍墨が軽口を叩くと、海月は「そうしたくとも今は出来ません」と肩を竦める。
「――私は既に後継ぎの座を完全に放棄し、星ヶ丘グループとは完全に離縁しています。会社とは完全に無関係で、今は一人暮らしをしています」
微笑む海月と驚く藍墨の眼差しが間で衝突した。「どうして」と藍墨は素直に訊く。
「家族は会社が全てという価値観の方々でして。幼少期から経営学を嫌というほど叩き込まれました。社交の場にも連れ回されましたし、友達との遊び方より先に大人の顔色の窺い方を知りました。お陰様で、プライベートで友達と遊ぶなんてことはできなかったし、折角できた友達も、些細な喧嘩をした途端、大事にされて――疎まれました」
その語り口から全てに合点がいった藍墨は、視線を前に戻した。
「なるほど。アンタとあたしが似てるっていうのは……」
「お察しの通りです。私も、友達と過ごす楽しさに人より疎かった」
「だから、貴女のことも放っておけなかったのかもしれません」と苦笑しながら続けた海月に、藍墨は仄かな感謝を含めて「お陰様で」と伝えておく。
少し照れくさそうに目を逸らし、海月はこう締め括る。
「――後は簡単な話です。嫌気が差した私は家族と交渉をし、合意の上で経営からは完全に縁を切り、責任を手放す代わりに、親の庇護からもできる限り離れることにしました。まあ、そこまでしなくていいとは言われましたし、仕送りも貰ってますが……会社を介さない向き合い方をお互いに知らなかったので、丁度良かったのかも。そんな具合に、表向きは社長令嬢ではありますが、事実上、今は全く無関係の小娘です」
そこで海月は一度口を閉じ、最後にこう会釈した。
「ご静聴、ありがとうございました」
藍墨は軽くパチパチと手を叩いた後、顎を摘まんでしみじみと呟く。
「社長令嬢が今やエロ垢かぁ。人生、何があるか分からないわね」
「あはは! まあ、でも、五倍以上離れたおじさんの顔色を窺うよりは、よほど楽しいですよ。うら若き女の子の肢体に血眼になる方々を見るのは」
それもそれで酔狂な趣味だとは思うが――今なら、海月が本当に楽しんでいるものがSNSではなくこの部活であることは分かる。故に、藍墨は微笑し、言った。
「ありがとう、星ヶ丘」
流石の海月も面食らった様子で瞬きをして、困惑の滲む笑みを見せた。
「は、はい?」
「さっき――楽しいかって聞かれて。恥ずかしいから誤魔化したけど、素直に言う」
パチクリと、大きくなった海月の瞳が瞬きを繰り返した。
「凄く楽しい。一緒に花火を見上げるのも、同じフレームに収まって統一感の無い掛け声で写真を撮るのも。それぞれ好きな屋台に好きなように向かって歩くのも。まあ、疲れたけど……皆でここまで走って来たのも、全部、楽しかった」
驚きに口を半開きにする海月。だが、やがて、穏やかにその頬を綻ばせた。
語り始めてすぐに恥ずかしくなって、藍墨は無計画に話し出したことを後悔しかけたが、この顔の熱はあまり嫌いになれなかった。
藍墨は軽く顔を手で扇ぎつつ、海月の手に残る空のカップを一瞥する。
「レモン味のかき氷もさ。美味しそうじゃなくて、美味しかったのよ」
――味の想像が付かない料理があったら、食べたくありませんか?
学校を発つ前に語った海月の言葉を思い出す二人。その言葉の通りであった。
「だから、星ヶ丘。あたしを引っ張ってくれて、ありがとう」
恥ずかしさから顔を合わせずに伝える藍墨。
海月も、少々照れくさそうに口を閉ざして目を逸らし、軽口を探して目を泳がせる。
すると、射的で狙い通りのぬいぐるみを獲得した弥香と澄冷が、満面の笑みでこちらに駆け戻って来た。そんな二人を藍墨と海月は微笑ましく眺める。そして、二人が迫る寸前、ちらりとこちらを盗み見た海月は、藍墨だけが聞き取れる声量で告げた。
「どういたしまして」
そして――翌日の昼休み。手早く昼食を済ませた藍墨は、やや筋肉痛の残る足を引き摺るようにして廊下を歩く。手にはスマホ。画面にはSUMIのアカウント。
横浜で開催された花火大会の写真がインスタグラムにアップロードされている。花火の美しさを伝えるように、写真には一切の文字が入っていない。代わりに本文には大事な友達三人と一緒に走って会場に向かって、一緒に撮ったと澄冷の文章が。
その場に立ち止まった藍墨は、次いでメッセージアプリを開く。
昨晩に連絡先を交換した澄冷から、文字と一緒に一枚の写真が。開くと、花火を背景に各々のポーズを取る藍墨達四人が映っている。全くバラバラの掛け声で撮影したからか、口の形も全く異なり、でも、その写真がこの上なく愛おしくて、藍墨は頬を綻ばす。
「よし」
覚悟を決めるように呟いた藍墨は、再び歩き出す。
そして職員室に着くと、最後の葛藤を振り払って扉をノックした。
「失礼します。藤岡せんせー、いらっしゃいますかね?」
すると教卓でペンを片手にメロンパンを貪っていた担任は、意外そうな顔で振り返る。
「珍しいな、朝陽。どうした?」
彼は律義にパンとペンを置いて回転椅子を捻り、座したまま藍墨に向き直る。
藍墨は会釈をしながら彼に歩み寄り、軽く息を吸って、答えた。
「入部届を頂きたくて。一旦担任から用紙を受け取れって話だったので」
すると藤岡は目を見開き、直後、安堵したように口許を緩めた。
「そうか、決まったか! おめでとう、何部に入るんだ?」
「ご存知ないと思いますけど、聞きます?」
「あー、ウチの学校、ヘンテコな部活が多いからな。一応、聞かせてもらおうか?」
藤岡は素早く白紙の入部届を取り出し、藍墨に差し出す。
藍墨は不敵な笑みでそれを受け取りつつ、そのヘンテコな部活の名前を言った。
「サイバーセキュリティ研究部です」




