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6話

 ――さて、とは言いつつも、だ。


「本日、横浜花火大会の開催に伴い、電車が大変混雑しております。恐れ入りますが、お客様は電車の中ほどまでお詰めになって……」


 高校から全力疾走して電車に駆け込み、二回の乗り換えを経て横浜に近付いたものの。気付けば車内は息苦しくなるほどの人で溢れ返っており、四人はもはや別々の場所に流されていた。弥香達と同じように花火を観ようと考えた学生や、着物を着て気合の入っている大学生。明らかに迷惑そうな顔で殺意を顔に見せているサラリーマン、山帰りの老夫婦。


 混迷を極める状況で一駅毎に更に密度が増していく車内は、もはや地獄の刑の一つなのではないかと錯覚するほどだった。これが祭りの日の電車か。藍墨はサラリーマンの背中同士に押し潰されかけてげんなりしながら、そんなことを考える。


 しかし、弥香は大丈夫だろうか。四人の中でも特に小柄な彼女は一番堪えるだろう。


 そんなことを思っていた、その時だった。車内に悲痛な声が響く。


「サイバー! さ、サイバー!」


 まるで聖杯戦争で自身のサーヴァントを呼ぶ時のような張り詰めた調子で、何者かが叫び声を上げた。その声が聞き馴染んだものだったから、藍墨はギョッとした顔で声の方を見る。着物の女子に埋もれたその小柄な彼女は、衆目の中で続けて言った。


「サイバー研! 次、降りるよ! 降りるからねぇ!」


 ざわざわと乗客たちはサイバーセキュリティ研究部を探して視線を巡らせるので、藍墨は必死に他人を装って顔を下に俯かせる。きっと澄冷や海月も同じようなことをしているだろう。そんなふざけた名前の部活に所属しているなどと誰が思われたいか。


 さて、電車はそれから数分揺られて次の駅に停車する。


 乗り込もうとする乗客ばかりで、降りる者は指で数える程度。そんな表面張力の作用しているコップのような車内から、水滴の如く四名の制服姿の女子が吐き出された。


 取り敢えずお互いの姿を確認して安堵しつつ、肩で息をするその背後で何度か開閉したドアがやっと閉まって、あっという間に線路の奥へ去って行った。


 ホームの屋根から覗く空は既に薄暗く、花火が色鮮やかに映えそうな紫紺に染まっていた。蛍光灯がジリジリとコンクリートの足場を明滅しながら照らし、遠くに虫の声。


「急に叫ぶな! ……客観的に見てヤバい人だったわよ」


 藍墨が息も絶え絶えに弥香を見ると、彼女はやや疲弊の様子でふふんと腰に手を置く。


「お陰で降りやすかったでしょ。皆が避けてくれたから。次もこの手が使えるね」

「あたしが居る時は二度とやんないで。他人のフリするのに必死だったから」

「『あたしが居る時』ってことは、今後もこういう機会があると?」


 言葉尻を捉えた海月が目を細めて微笑み、藍墨はピタリと口を閉ざす。


 キラキラした弥香の瞳と穏やかに笑う澄冷に見守られ、藍墨は話題を逸らした。


「それより二夕見、降りてどうすんのよ? 花火は?」


 藍墨が率直に訊くと、彼女は呻いた後に唇を尖らせて指をツンツン合わせる。


「だ、だって……満員電車、辛い」

「まあ、流石にあたしも堪えたけどさ。実際、どうすんの? 次のに乗る?」

「あ、今日は特別ダイヤみたいだよ。すぐに次が来るんじゃないかな」


 いち早くスマホで情報を漁っていた澄冷が電光掲示板を見ながらそう語る。


 言葉とほぼ同時に電光掲示板の文字が代わり、電車が来る旨のアナウンス。「よし、それに乗ろうか――」と弥香が言っている間にも階段を上って来た利用者たちがぞろぞろと黄色い線の内側に並び始め、四人はどうしたものかと目を合わせる。澄冷が苦笑した。


「の、乗れそうかなあ」

「まあ、何だかんだ乗ろうと思えば乗れるかと。ただ、弥香はどうです?」

「乗りたくなぁいぃ。人混み嫌いぃ」

「距離はどんなもん? 運転手には悪いけど、タクシー捕まえて四等分すれば……」


 見かねて藍墨は別の解決策を提示しようと地図を開く。


 それより一足早く確かめていた澄冷が、指を五本立てた。


「五キロだね。駅にして四駅」

「二千円前後ですかね? まあ、一人五百円なら割安かと。電話してみますか――」


 言いながら海月はスマホで手際よく電話を掛ける。これでどうにかなるだろうか、と藍墨と澄冷が一息を吐く傍ら、弥香がしょんぼりと肩を落とす。


「ごめんよぉ」


 気落ちしたように肩を落とす彼女を藍墨は澄冷と見詰める。


 ――何と言うか、二夕見弥香という人間がよく分かってきたような気がする。性格は明るく元気いっぱい。良くも悪くも自分の感情に素直で、直情的。社交的で友好的な言動に反して、その実、両翼の大天使ミカエルのような過激な発言で人の気を引こうとする寂しがり屋で――だから、一人くらいはこういう友人が居た方が、退屈しなさそうだった。


「正直に言うと私もけっこうしんどかったから、あんまり気にしないで」


 澄冷はそう言って励ますも、藍墨は毅然と本心を吐露する。


「あたしは我慢できたし、こういう、目的はハッキリしているのに手段でグダグダする時間はあまり好きじゃない。だから――」


 心底申し訳なさそうな顔で見守る澄冷と、しょんぼりと肩を落とす弥香。


 藍墨は柔らかく力の抜けた微笑浮かべ、そこに軽々と言葉を付け加えた。


「――今度、埋め合わせてよ。お菓子かなんか持ってきてくれればいいから」


 弥香はパッと顔を明るくさせ、「うん!」と満面の笑みで声高に言った。


 それから、嬉しさを堪えきれないように藍墨の腕に頭をコツコツとぶつけてきた。猫か、というツッコミを飲み込んで曖昧な笑みで彼女を見下ろす最中、同じように嬉しそうに笑う澄冷と目が合う。「優しいんだね」と敬意を含んだ眼差しが贈られるので、藍墨は照れ隠しに肩を竦めて視線を逸らしておいた。


 さて、逸らした視線の先からスマホを掲げた海月が苦々しい顔で戻ってくる。


「ご歓談中、すみません。タクシー……最短で四十分後です」


 どうします? と視線が尋ねてくるので、三人はどうしたものかと目を合わせた。


 実際のところ、どれだけ苦しくても時間通りに動いてくれる満員電車を使う以外に選択肢は無いように思ったが――「あ!」と、弥香が明るい顔で不穏な声を上げた。






 数分後、四人は縦に並んで、暗くなりつつある市街地を目的地まで走っていた。


 先頭から弥香、海月、藍墨、そして既に息を切らしつつある澄冷の順だ。


二夕見(アイツ)っていつもあんな計画性無いの⁉」


 先程の余裕も何処、藍墨は先頭を元気よく走る弥香の背中を指して叫ぶ。


「みかぢゃ……げほ、はぁ、はぁっ、ミ、みがぢゃんぶぁ……」

「ああ、いいから! 清川は喋んなくて! 自分のことに専念してなさい!」

「わー、皆! 後ろにゾンビがいるぞ! 逃げろ~!」

「誰のせいだと思ってんのよ! どつくぞ!」


 思わず声を張り上げると、後ろで「い、いいの、い、いの」と澄冷の声が絞り出される。その言葉に続いて、喘ぐような呼吸が断続的に続くので、流石に聞いていられなかった藍墨は「ああもう!」と叫んで澄冷の肩から鞄を引っ手繰る。


「二夕見! このペースで花火は間に合う⁉」

「私ならヨユー! 長距離はクラスで一番なんだから!」

「清川は⁉ 同じクラスでしょ⁉」

「い、言えない! 澄冷の名誉の為に!」

「それはもう答えだ!」

「だ、大丈、夫……花火、はな、花火、観たいから……」

「しゃ、喋るな! もういい、無理したらアンタマジで倒れそうだから!」

「あはは、一人増えるだけでも賑やかで楽しいですね」

「笑う余裕があるなら荷物くらい持ちなさい!」


 藍墨は澄冷から奪った鞄を前で笑う海月に押し付け、海月は笑顔でそれを受け取る。


 鞄を抱えながら走った海月は、何かを考えるように一呼吸を置く。


 そして、一瞬、こちらを、上体だけ捻るように振り返った。


 段々と暮れゆく陽の中、街灯を浴びるだけではその表情は不鮮明だ。だが、その不鮮明な不完全さがいっそう、彼女の美貌を強調した。


「しっかり者が来てくれて、助かりました」


 一瞬だけ咲いた満面の笑みに見惚れ、藍墨は腹立たしくなって息を吐き捨てる。


 すると次の瞬間には、海月は普段の調子で軽薄な笑みを浮かべ、前に向き直った。


「屋台とかも出てるんですかね? 知ってます? かき氷のシロップって――」

「――全部同じ味なんでしょ? 手垢が付いた雑学じゃない、知ってるっつの!」

「じゃあこれはご存知ですか⁉ 最近、味とは色味や風味も含め、五感を持って堪能するものであるという研究がある場所で進んでるんです。つまりその理屈に倣うと色が違って異なる香料を使ってるかき氷のシロップはちゃんと別の味と定義されるんですよ!」

「そ、それは知らなかった! 後で調べてみる、どこの大学の研究?」

「サイバーセキュリティ研究部です!」

「アンタかい!」


 ツッコミを続け過ぎた藍墨は息も絶え絶えになりながら咳き込み、「ツッコミが追い付かん」と薄暗い空を仰いで深呼吸をし――、


 そして、夜空の星々の美しさに息を呑んだ。


 綺麗な夜空を見ると、たまに思い出す。約四年前の冬を。


 ――中学一年生の秋。その日、度々体調を崩しながらも通勤を続けていた母の帰りが遅かった。嫌な予感がして探しに行こうとした矢先に、藍墨のスマホに他ならぬ母親の番号から電話がかかってきた。安堵して受け取った通話から告げられたのは、駅の階段で力が抜け、転落し、頭を打って緊急搬送されたという、母ではない人からの話。


 母親の会社の人に連れられて病院へ着くと、母は既に目を覚ましていた。しかしその表情は浮かず、その傍らに居た医師は難しい表情で母の怪我の原因を語った。


 明確な検査はまだだが、ギランバレー症候群の可能性が極めて高い。入院を余儀なくされるため家族のサポートが必要だが、誰か頼れる大人は他に居ないだろうかと。


 罪悪感に目を濡らしながら、夫との離婚や両親との絶縁を語る母親の弱々しい姿に、やるせない気持ちを抱えたのをよく覚えている。その後、泣きながら繰り返し謝る母に抱き締められながら、藍墨は病室の窓に覗く星空を眺めていた。


 そして、後日。教師へ経緯を説明し、学校に行かないことと働くことを伝えた。


 その帰り道、楽しそうに騒ぎながら帰るクラスメイトを遠巻きに眺めた。友達同士で見詰め合う同年代の少年少女と、その瞳に映らない場所で一方的に眺めるだけの藍墨。


 いつだって輪の外に居た。そこが藍墨の居場所だった。


 でも、今は――


「ぎゃー! 花火! 上がってるぅ!」


 弥香の声にハッと意識を取り戻すと、遠くの海沿いに綺麗な花火が咲いた。


 一斉に見上げた四人の顔が色とりどりの明かりに染まり、虹彩に、同じ光が宿る。呆然と歩調を緩めた藍墨は、その美しさに見惚れ、そして、もっと近くで見たいと足早に歩き出そうとした。しかし、それより早く最前線を駆けだす者が。


「急ごう!」


 潮風に流されて飛んできた火薬の香りに爛々とした表情で駆けだす弥香と、「す、凄い! (おっ)きいね!」と疲弊も忘れて追いかける澄冷。


 弥香は「置いてくよ!」とこちらに手を振って、澄冷は「早く早く!」と先程まで自分が足を引っ張っていたことも忘れたように手招きする。


 藍墨が色々な感情と共にその姿を見詰めていると、そこに海月が映り込む。軽い足取りで藍墨の前に出た彼女は、くるりと振り返り、小さく笑って手を差し出す。


「もう疲れちゃいましたか?」


 そう尋ねる海月のガラス細工のように綺麗な瞳の中央に、藍墨は自分の姿を見付ける。思わずフラッシュバックした数年前の孤独が、潮風を切り裂くような平日の花火に打ち上げられ、気付けば全部忘れて、海月の手を握り返す。


「まさか」


 その声がくぐもったように聞こえたのだとすれば、どうか忘れてほしい。


 藍墨は海月に引っ張られるように走り出し、そして手を離し、横並びに駆けた。


 もうすっかり長い距離を走っていたようで、段々と人混みも増えてくる。気付けば交通規制された通りに差し掛かり、四人は迷惑にならない程度の駆け足で群衆を縫って走る。


 そして橋に差し掛かり、途端に視界が開ける。


 同じように考えた群衆が同じようにその場で立ち止まり、一様に空を仰いでいた。


 待っていたように打ち上がる花火。それは火の尾を引きながら風切り音のような笛を鳴らして空へ打ち上がり、硝煙でくすんだ夜空に一条の銀の線を引く。そして線香花火の如く静かにその姿を消し、訪れる一瞬の静寂。直後、夜空に満開の火の花が咲いた。


 上がる歓声と鳴るシャッター音。藍墨は己の口から感嘆の息が漏れ出ているのにも気付かなかった。同じように、海月が呆然と「綺麗ですね」と囁く。


 花火に照らされたその顔を暫く見詰めた後、藍墨は「うん」と素直に頷いて、再び花火に見惚れた。


 ――と、その時。「写真!」と澄冷が我に返ったように声を上げてスマホを取り出す。


 彼女は綺麗に撮影できるようレンズ越しに花火を眺めては、堪え切れないように肉眼で花火を見詰め、忙しなく繰り返す。「見たいのに……見ながらだと綺麗に撮れない……」ひーひーと呻きながら四苦八苦する彼女を横目に、藍墨は吹き出すように笑った。


「撮ろうか? あたしは満足したから」


 そう言ってスマホを取り出す藍墨に、澄冷は少し考える素振りを見せる。


 しかし、ハッと、思い出したように首を左右へ振ると、「だったら」と藍墨が預かっていた自身の鞄へ手を伸ばす。何事かと思えば「じゃきん!」と擬音と共に棒を抜いた。


自撮り棒(じどりぼー)! 皆で記念撮影したい!」


 藍墨が面食らう傍ら、慣れたもので海月と弥香は早速ポージングを取る。


「いいね! 花火をバックによろしくぅ! 花も恥じらう私だぞ!」

「幸いにもこの辺は人通りが多くないので、早い内に撮っちゃいましょう。っとと、小顔ポーズをしてしまいました。これ以上小さいと肉眼で見えませんね」


 よく恥じらいも無く言えるものだと呆れつつ、藍墨は念のため澄冷に訊く。


「SNSに上げるやつ? 顔とか隠した方がいい?」


 きょとんと首を傾げた澄冷は、意味に気付いて笑いながら首を横に振った。


「違う違う。そういうんじゃないよ。こっちは単に――記録に残したいだけ。友達四人で、走って、花火大会を見に来たって記録を。いつか思い出す時の、栞として」


 藍墨は少しだけ黙ってその言葉を噛み締める。


 軽い言葉だ。海月はさておき、澄冷や弥香は、まだ藍墨との付き合いは浅いだろう。友達と軽々しく呼ぶほど距離が近いとも思えない。だが――だが、今、明確に。澄冷がその関係をそう言語化した途端、藍墨はこの三人を友達と呼んでいいのだという安堵を覚えた。


「後であたしにも送って」

「もちろん! 連絡先、交換しようね」


 藍墨は海月と弥香に合わせて、勿体ないとは思いつつも花火に背を向ける。


 「はやくー! 花火が見れないー!」とピースサインを維持したまま弥香が不満そうに喚き、「悪かったわよ、ほら!」と藍墨は迷った末にサムズアップを決める。「ダサいですね」と胸元にハートを作った海月の白い目が向くので、「そんなこと言わないの!」と澄冷が片手で自撮り棒を伸ばしつつ、もう片方の手で指ハートを作った。


「それじゃあ弥香ちゃん! 部長として撮影の合図を、花火に合わせて!」

「任せなさい! ほら、来たよ。来た来た来た、いくよ皆! 我ら~?」


 一足す一を身構えていた藍墨はギョッと目を剥き、何を言えばいいのか分からず「え、ちょっ」と制止の声を上げようとするも、背後で花火の笛の音。「ノリです!」と海月に言われたので、藍墨は目を回しつつ、迫るその瞬間に合わせて思い付きの単語を叫んだ。



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