29話
――ピピピピピ、という不快な電子音の目覚ましが部屋に響き渡る。
ツインベッドに一日の疲れを落としていた二人の少女が、一斉にもぞもぞと動き始める。先ずは藍墨がサイドテーブルに手を伸ばし、自分のスマホを手に取った。しかし、手に取って真っ暗な画面でアラームを止める方法を考えて数秒後、昨晩、どっちか片方だけ設定すればいいだろうと話し合ったことを思い出した。
「海月……」
藍墨が呻くように名前を呼ぶと、「んん」と海月は寝ぼけまなこを擦って毛布から腕を引き抜く。そして無造作な手付きでアラームを停止させると、ふぅ、と二人で一息を吐いた。
「起きるか」
「ですね」
それからしばらくして、二人は朝の身支度を進めていく。
時刻は六時。ホテルの朝食バイキングには六時半に向かって、弥香と澄冷に合流する手はずだ。弥香が果たして時間通りに起きてくるかは心配だが、その点、澄冷が相部屋なので上手くやってくれることを期待しても構わないだろう。
普段着に着替えるなど必要最低限の身支度を済ませた後、藍墨はソファに掛けた。テレビを点けて今日の下田の天気予報をぼんやりと眺める。
すると、珈琲を淹れてくれた海月がマグカップを両手にこちらへ来た。
「どうぞ」
「どうも。いただきます」
そう言って湯気の立つ珈琲を受け取った藍墨は、苦味で眠気を拭っていく。
その傍ら、ちらりと海月の姿を見た。当然ながら、洗濯機と乾燥機を使って着回すなどと手間なことはせず、旅行ということで四人とも着替えは持ってきている。
今日の海月は白地の大胆なオフショルダーの内側に、黒いキャミソールを着ている。下は露出の多いショートパンツだ。髪はポニーテールで縛っている。
本当にこの女は芸術的な美しさをしているなと半眼で眺めていると、視線に気付いた海月が珈琲を片手に不敵に笑って肩紐を摘まみ、その位置を直す。
「可愛いですか?」
藍墨は素直に認めるのも癪だったが、珈琲の礼に代わって頷いた。
「そうね、腫れあがるくらいボコボコに殴ってもあたしと同等な程度には」
「あはは、根に持ちますね。仕方が無いでしょう、私が美しいのは事実ですから」
そう言うと海月はスマホを取り出し、トップスの胸元を引っ張りながら何枚か自撮りを始めた。「よくやる」と呆れていると、挙句にはキャミソールまで引っ張って内側を撮影し始めた。――後で彼女のアカウントを覗いてみるか、などと邪な考えをしていると、
「後で私のアカウントを見ようとか思ってませんか?」
ニヤリと海月が訊いてくるので、藍墨は珈琲を吹き出しそうになる。噎せながら誤魔化すべく彼女を睨み付けるも、その反応が何より雄弁な答えだと言いたげに海月は笑う。
「言えば直接見せるのに。『好きです。可愛い貴女の下着が見たいです』って、ほら、復唱してみてくださいよ。そうしたら上も下も見せてあげますから」
海月が小悪魔な笑みと共にウインクして服の裾を捲るも、藍墨はふいと目を背ける。
「誰が言うか。別にアンタのアカウントを見ようとも思ってないっつの」
「そうですか。私だったら藍墨さんの今日の下着を見たいですけどもね」
そう言いながらマジマジと海月が見詰めるのは藍墨の恰好だ。着心地の良いゆったりとしたオーバーサイズのシャツと、同じく脚が出るショートパンツだ。そして髪には昨晩、海月から贈られた三匹のクラゲのヘアピン。キラキラと揺れている。
「へえ、何。あたしのこと好きなの?」
昨日の意趣返しのように藍墨がにやりと訊くと、海月は目を細めて「さあ?」とはぐらかす。そうして一触即発の視線をしばらく交錯させた後、二人して吹き出す。
「朝から何やってんだか」
「本当ですよ。でもまあ――貴女とこういう時間を過ごすのは嫌いではありません」
海月が素直に白状すると、藍墨は少し照れくさくなって頬を染めながら顔を背ける。しかし、海月は意に介さず、やや恥ずかしそうにしながらも思うところを打ち明けた。
「誰かと同じ部屋で過ごすのって、プライベートな空間が無い分だけ疲れますけども。寝起きに大切な人の顔が見えて、大切な人の声が聞こえるのは――悪くありません」
藍墨はずず、と珈琲を啜った後、「そうね、あたしもそう思う」と賛同の意を返した。
朝食バイキングで合流すると、身支度を完璧に整えてきた澄冷に対して、弥香はいかにも『さっき起きました』とばかりの様子だった。
そんな彼女が豪勢なバイキングにパッと目を覚まし、そしてその目を微笑ましいくらい輝かせる様を料理と共に写真に収めながら朝食は進む。朝食後の後は少しの間、今日の予定を再確認したりカードゲームに勤しんだりして、八時頃、四人は出発した。
今日の移動手段は普通列車とバスだ。
四人は静岡県を六十キロほど、二時間かけて南下した。
その後はバスを乗り継いで、目的地のコテージに辿り着く。
そこは、近隣の住宅に雰囲気を調和させた白亜の外壁が印象的な建物だった。大きさは二階建てで駐車場は広く、手すりの付いた階段で二階のバルコニーに上がると、そこにはバーベキューセットが置かれている。
ホテルとはまた違った風情を湛える景観は、四人の高揚を瞬く間に煽る。
「これは中々……素敵ですね」
「ね! 写真で見るのとは全然違う! わぁ、でも写真を撮っちゃう!」
勿論許諾は得ているので、海月の呟きに同調した澄冷がパシャパシャと撮影を始める。
その傍ら、二人を追い抜いてあっという間に敷地に飛び込んだ弥香は、その広々とした敷地に「わぁ……!」と興奮の声を上げる。そしてバタバタと外階段を駆け上がると、その上に広がるバルコニーに「うわぁ!」と声を上げ、そしてそこに配置されている綺麗なバーベキューセットを見ると、「わぁ!」と更に大きな声を上げ、そして振り返る。
バルコニーから広がる青々とした下田の海を見て、浅い呼吸を繰り返す。
「わぁああああああああ! あああああああああああ!」
そして弥香は堪えきれないように、俯いてバタバタとその場で足踏みをした。
「二夕見のテンションが壊れた」
「昨日からずっと楽しみにしてたからね。しかも現物がこれだもん」
「凄いお洒落ですね。よくこんな場所を借りられましたよ」
あまりにも規格外に興奮する弥香に、逆に少し落ち着いた三人は悠然と敷地に入る。
そして興奮する弥香に首輪を付けるように澄冷がその手を引いて、入り口のパネルでセルフチェックイン。「本来は十五時チェックインなんだけど、融通を利かせてもらった」と藍墨が言いながら諸々の手続きを済ませると、コテージの鍵が開く。
中には木調の空間が広がっていた。部屋は二階分で寝室が三つ。寝具は六人分。キッチンや衛生管理用の家具・設備は完璧に揃っており、冷蔵庫や娯楽道具も完備だ。想像していたよりもずっと居心地が良さそうな空間に、ここを選んだ藍墨は少し安堵する。
傍ら、同じくここを選んだはずの弥香は騒ぎながら家中を駆け回っている。
さて、そうこうしながら四人は部屋の確認を済ませた後、別行動をすることとした。
「――よし、確認は完了。管理人さんとも連絡は取れたので、一旦コテージ周りは問題なし。それじゃあ、ここで一旦別行動」
ソファやテーブルが置かれた一階のリビングダイニングで藍墨がそう音頭を取ると、既に水着に着替えた弥香が満面の笑みで「はーい!」と挙手をした。その隣で同じように水着に着替えた海月も「はいはーい」と部長に倣って挙手をする。弥香は白のフリルワンピースで、海月は黒ビキニの上にシャツとデニムパンツを穿いて麦わら帽子を被っている。
対面するのは普段着のままの藍墨と澄冷だ。弥香が申し訳なさそうに二人を見る。
「えっと、それじゃあ私と海月が海に行って、二人にはバーベキューの準備を任せる――で、後で海で合流ってことでいいんだよね?」
両手の指で海の方角を指した後、次にキッチンを指し、最後に再び海を指す弥香。
澄冷が藍墨と視線を合わせつつ、大きく頷く。
「海行った後にバーベキューの準備は疲れるし、でも、多人数を割いても効率はあまり変わらないからね。少数精鋭でささっと片付けます!」
「あたしは海よりプール派だし、清川は泳げない。合理的な役割分担よ」
藍墨が言うと、弥香は申し訳なさそうに眉尻を下げて胸元で手を組む。
「二人ともすぐに来るよね? やっぱり大変だったりしない?」
「大丈夫ですよ、弥香。二人とも大変な時にはちゃんと誰かに頼れる人です」
海月がそんな風に平然とフォローを入れるので、澄冷は不敵にサムズアップ。藍墨はニヤニヤと物言いたげな笑みを海月に送るも、彼女は上手な口笛で誤魔化す。
そんな海月の言葉に「うん!」と頷いた弥香は、両拳を握って二人を見詰めた。
「じゃあ大変かもですが、よろしくお願いします!」
「よろしくお願いされた。けど、その前に――」
藍墨はガッと拳を握る弥香の両手を掴むと、真正面から目を見据えて言い聞かせる。
「――沖には絶対に行くんじゃないわよ。どれだけ泳げるとか関係ないからね」
ドスの利いた声で脅迫すると、弥香は冷や汗を浮かべてコクコクと頷く。
「大丈夫です、私がちゃんと見ておきますので」
海月がそうフォローを入れると、弥香はむっと頬を膨らます。
「……こ、子ども扱い」
少し不貞腐れた弥香へ、藍墨は掴んだ手を放しながら言い返す。
「アンタが百歳になっても心配する。子供だからじゃなくて、大切だからね」
とはいえ海月の方はあまり心配していないから、やはり性格の部分が大きいことは黙っておこう。そんな藍墨の言い分にハッと顔を上げた弥香は、嬉しそうに相好を崩す。
「分かった。じゃあ心配されてあげる!」
「ありがとね。一応、アンタも海月のことを見てあげて」
「子ども扱いですか?」
「半裸の自撮りをSNSに上げる奴を子ども扱いするか。それと高校生は子供だっつの」
弥香に対するそれとは大違いの素っ気ない切り返しを可笑しそうに受け止め、海月は、「それじゃ――」と出発をしようとして、ふと思い出す。「そうそう、最後に」と藍墨へ小悪魔な笑みを浮かべて、用意しておいたチューブタイプのそれを取り出した。
「日焼け止め♪ 身体の隅々まで塗ってくださいね」
藍墨は額に手を置いて溜息を吐く。どう言い返してやろうかと思ったが、昨晩、大切にされろと言い聞かせてしまった手前は断れない。「はいはい」と言いつつ、藍墨は二階の寝室の方を指して歩き出し、海月は上機嫌にその後に続く。
そんな二人を呆然と見送った弥香と澄冷は、少し顔を赤くして視線を交わした。




