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23話

 そうして迎えた、待望の夏休み。その二日目。


 朝の九時に東京駅から出発する新幹線へ、四人は危なげのない時間に乗車した。


 電車とはまるで違う居心地の良さと速度で滑らかに駆け出す新幹線。人の少ない車内の一画で座席を回転させて向き合った四人は、車窓に映る見慣れた東京の景色が新鮮な速度で過ぎ去っていく様を、しばらく黙って眺めていた。


「これが新幹線……! す、凄い、速い! これは凄いぞぉ……!」


 窓にべったりと近付いて東京の景色を余すことなく堪能する弥香。


 座席を予約する際、彼女は頑として窓際の席を譲ろうとしなかったが、言うだけはある。弥香の隣に腰掛ける澄冷は微笑ましそうにそれを見守り、対面の海月も頬を綻ばす。


「晴れてよかったわね。これなら景色も楽しめそう」


 藍墨がどの程度声量を抑えようかと、殆ど無人に見える車両を見回して呟く。すると、既に調べは付いていたらしく、海月はスマホを取り出して開いてある天気予報を見る。


「今日を含めて三日間、静岡は全面的に晴れです。局所的な雨は降るかもしれませんが、足取りを遅らせるほどのものはないでしょう。ご安心を」


 すると、澄冷は思い出したように顔に不安を覗かせる。


「向こうでの移動手段だけちょっと不安だよね。バスの時刻表までは把握できてないし」

「その辺も昨晩の内にチェックしておきましたよ。取り敢えず、予定している場所に予定している時間で訪れている限りは三十分以上の待ち時間は発生しません。全体的に滞りなく移動はできますし、どこもタクシー圏内なので最悪は呼びましょう」


 海月が淡々と答えるものだから、対面の澄冷と弥香は謝辞を含む賞賛の視線を送る。


「そこまで調べててくれたの? ありがとね、海月ちゃん」

「海月はこういう細かい部分の気配りができる奴だからね!」

「どうして弥香が偉そうにするんですか。偉いのは私ですよ、私」


 軽口を言い合う海月と弥香を尻目に、藍墨は閉口して物思いに耽る。


 それなりに人口のある地域で、駅からも然程は離れていない場所を巡る予定だ。近くにあるバス停はそれなりの頻度で動くだろうと見込んで調べていなかった。それでも問題ないだろうと楽観視していたが、確かに、事前に調べておく方が万全だろう。


 藍墨は自分の軽率さを省みると同時に、その作業を彼女一人に押し付けた事実に対して罪悪感を抱く。チラリと海月を横目に見ると、案の定、彼女は眠そうに小さな欠伸をした。


 色々と思うところはあったが、折角の旅行に暗い感情を持ち込むべきではないか。藍墨は自省の意と共に何度か深い瞬きを繰り返し、そして小さく笑う。


「ありがとね。気が回らなくて悪かった」


 そう殊勝に伝えると、海月は見張った目を藍墨へ。そして、眉尻を下げて微笑む。


「そんな風に言わないでください。気付いた人がやればいいんですから」


 藍墨は何か気の利いた言葉を返そうかとも思ったが、出てこず、「そうね」とだけ相槌を打つ。そして、海月はスマホに視線を落として話を変えた。


「――さて、それでは念のために今回の旅行のタイムスケジュールを確認しましょう」


 「はい!」と弥香が満面の笑みで姿勢を正し、「はーい」と澄冷も浮かれながら続く。


 「よろしく」と藍墨が意識的に相好を崩して頼むと、海月は徐に頷く。


「まずは初日、つまり今日ですね。目的地は静岡県の沼津。現時点では漁港で食事を摂ることと遊覧船に乗ること、それから夜は澄冷さんの案件先のホテルに宿泊――その合間は自由時間として各々が好きに行動してオーケー。勿論、全員で移動してもよし」


 「いっぱい楽しもうね」「ねー」と弥香、澄冷が楽しそうに顔を合わせる。


「で、そのホテルさんについてですが、今回、案件が無事に終了次第、ホテルまでにかかった交通費を負担してくださるとのご提案を頂いています」


 弥香だけは事前に聞かされていなかったので、唖然とした顔だ。


「それに伴って、澄冷さんから皆さんに共有事項があります」


 海月がそう言って視線を澄冷に投げると、藍墨と弥香の視線もそちらに向いた。


 一斉に三人の視線を受けた澄冷は一瞬だけ鼻白むも、すぐに畏まって話し出す。


「えっとね、今回の案件なんだけど、ご存知の通り、四人で旅行をすると話したらホテル側は部屋を二つ用意してくださったの。それでね、向こう側は気にしないでほしいとは言ってくれてるんだけど、やっぱり、厚意には厚意で応えたいなと思ってて」


 清川澄冷――SUMIは、自らの『好き』を誰かにも好きになってほしいが為に声を上げるインフルエンサーだ。紹介案件という、代価を得て発信する行為は彼女の初志からはズレる。それに対する澄冷なりの姿勢が、その言葉に表れていた。


 迷いなく賛同の意を示すよう穏やかに頷く藍墨と海月。弥香は頻りに頷いている。


 澄冷は少々申し訳なさそうに五指を胸元で繋いでいたが、三人の賛同の意を受けると、五指の繋がりをそのまま手のひら全体に広げて手を合わせ、ウインクした。


「そこで! ホテル側の要求以上の代価を支払いたいなと思っててね。Xとインスタでそれぞれ一件ずつの投稿の対価として、宿泊と交通費って形になってるから……」

「――もっとたくさん投稿する!」


 弥香が先を読んだようにビシッと澄冷を指で差し、澄冷は「正解!」と指鉄砲を返す。


「そんな訳で、今回の旅行では皆にも動画とか写真を撮ってほしいの!」


 なるほど、そこで、この話に繋がってくる訳だ。


 海月は前もって知っていたらしく、飄々と成り行きに身を任せている。


 つまり、回答をするのは弥香と藍墨だ。無論、協力しない道理は無い。


「どんな写真でもいいの⁉ なんか可愛いお店とかでも!」

「もちろん。ホテルに泊まりたいな、って旅行に来る人はそんなに多くないと思うから。そのホテルの近くにこんな楽しい場所があるよ、って発信をする方が効果的だと思う。もちろん、今はステマ法とか色々あるから、ホテル側と相談の上で、だけどね」

「アンタ達と違って上手には撮影できないかもしれないけど、それでもよければ」


 藍墨が幾らか申し訳なさそうに言うと、澄冷は穏やかにサムズアップ。


「大丈夫! 無理そうな素材だったら使わないから!」

「お仕事の話は本当に頼もしいわね、アンタ。――了解、安心した」


 藍墨がスマホを取り出してカメラ機能を確かめ始めると、隣の海月がこちらを見詰める。


 気付いた藍墨が胡乱な視線を返すと、海月は不敵に笑って己の胸を叩く。


「写真のことならお任せを。私は一流のカメラマンですよ」

「自撮りのね。アンタが綺麗に撮れるのは自分だけでしょ」


 苦笑混じりに答えると、やれやれ、と海月は肩を竦めて話を軌道修正する。


「――初日は今ご説明した通りです。二日目は、沼津から下田の海水浴場付近まで南下」

「海!」


 目をキラキラに輝かせた弥香へ、海月は微笑ましそうに頷き返す。


「海水浴場の近くに未成年だけで利用できるコテージがあったので、今回、部長と朝陽さんにご予約をいただいています。細かいルールは幾つかありますが、基本的には常識の範囲内でご使用いただければオーケー。今の内に伝えておくことは――?」


 海月が藍墨を見るので、藍墨は「んー」と唇を尖らせて考える。


 夏休み直前、必死にコテージを探して奇跡的に好条件の場所を見付けた。予約の際にオーナーと電話をしたが、何とも気の良い女性だった。間違っても迷惑になるようなことをしたくはないが、そんなメンバーとも思えない。


「――安全かつ、健全に使いましょう」

「だ、そうです。そんなコテージに二日目は朝から向かいます。朝食はホテルのバイキングで済ませた後、道中でお昼ご飯を済ませつつ昼過ぎには到着。海水浴を堪能しつつ、手の空いたメンバーは近くのスーパーマーケットで食材を買い込み、夕食のバーベキューの支度を進めてください」


 露骨にそわそわし始めた弥香が「お肉もあるの?」と弾んだ声で訊く。「もちろんです、スーパーにも目当ての品があるかは確かめてあります」と、平然と答えた。


 流石に手際が良すぎて、鬱屈とした感情の前に尊敬の念が浮上する藍墨だった。


 弥香はニコニコと笑いながら「私、バーベキュー初めて」と身体を揺らす。そういえば藍墨も体験した覚えはなく、「私もだわ」とポツリと呟く。


 そして初体験同士で視線を合わせ、ニヤリと笑って頷き合った。楽しみだ。


「そのままコテージで宿泊し、三日目に帰宅。以上、二泊三日の旅程でした。皆さん、現時点で何かご質問等はございますか?」


 ぐるりと視線を見回すと、一同が首を横に振る。


 それを確かめた後、海月は最後に弥香を見詰めた。


「それでは部長。ご挨拶を」


 「うむ!」と大仰に頷いた弥香は、ちらりと澄冷越しに車内を見回す。


 少なくとも見える場所に他の客は居ないので、少しだけ声を出して拳を突き上げた。


「怪我せず、めいっぱい楽しみましょー!」


 「おー!」と、少し抑えた三人の声が続いた。






 それから新幹線に揺られること約一時間。三島駅を経由して、昼には少し早い時間に四人は沼津駅へと到着した。照り付ける太陽が歓迎の声を上げる。


 夏休みとはいえ平日の昼前、辺りを行き交う人の数は東京都心に比べれば遥かに少ない。少なくとも、弥香がご機嫌に両手を広げてロータリーを囲う歩道へと駆け出すことを、泡食って止める必要は無い程度には落ち着いた人の数だ。


 ぶーん! と駆け出した弥香を、澄冷が「転ばないでね!」と呼び掛けながら追う。


 すっかりテンションが上がり切っているらしい。夜には熟睡していそうだ。


「風が通る分、体感温度は若干こっちの方がマシですね」


 藍墨の隣を悠然と歩く海月が、シャツの襟をはためかせながら呟く。頭には目深の白キャップで、全身には白寄りのコーディネート。徹底した日射対策だ。


 藍墨は「そうねぇ」と間延びした相槌を打つ。そして、気のせいかもしれないが、ほんのりと香る潮風に気分を洗われながら、仄かな笑みを海月へ返した。


「ま、念のため、定期的な水分補給を徹底させときましょ」

「ですね。部長のあの様子を見るに、『楽しい』最優先で忘れそうですから」


 視界のずっと先で、弥香が散歩に連れて行ってほしそうな犬のように、飼い主の澄冷と一緒に藍墨と海月を待っている。ぶんぶんと手を振ってくる姿が余計に暑苦しい。


 藍墨が苦笑しながら手を振り返していると、視界の端で海月が歩きスマホをする。


 対面を歩いてくる通行人が居ないか気配りをしつつ、藍墨はそちらに視線を投げた。


「どうした?」

「想定よりも時間がありそうですし、この辺に何か良いお店がないかと」


 藍墨は少し悩んだ後、呆れ混じりに自分のスマホを取り出す。


「アンタはそうやって、黙って気配りをするのやめなさいよ」


 海月は驚いたように何度か瞬きをすると、苦笑をする。


「気配りとは綺麗な言葉を使いますね。そんなつもりはありませんよ」

「そういうお店はさ、全員でどこに行きたいかとか訊いた方がいいでしょ」

「存じ上げています。ですから、どの辺のお店なら遊覧船のスケジュールに都合が合いそうかを調べていたんですよ。まとまったらちゃんと候補を出すのでご安心を」


 海月の言い分が正しい。藍墨は口を噤んで唸るように黙ること数秒後、嘆息した。


「――分かった。でも、何か困ったらちゃんと頼ってほしい」


 藍墨が目を見て伝えると、海月は再び意外そうに藍墨を見詰める。少しの間、スマホを操作するその指が不安定に揺れる。やがて、海月は愛おしそうに藍墨に微笑んだ。


「今朝から少し変だなと思ったら、そういうことですか。私なんかに気を遣って」

「なんかとか言うな。友達でしょ。友達が抱え込んでいたら、寂しいじゃない」


 藍墨が努めて真面目に言うと、海月は幾らか省みるように目を細めて頷く。


 ロータリーから大通りへの接続付近で待っている弥香と澄冷に近づく頃、少し言葉を探した海月は、声を潜めながら笑顔で肩を竦めた。


「本当に、苦労でも何でもないんです。貴女達の笑顔に繋がるなら」


 その言葉を笑顔で言われてしまったら、返す言葉も見つからない。不服そうに押し黙る藍墨だったが、「折角の旅行中なんですから」と海月が笑顔で背中を叩いてくるので、渋々、何度か頷きながら額を叩いて意識を切り替える。「そうね」と両頬を叩いた。


「私を気遣えるくらい暇ならアニメでも観たらどうです? ほら、沼津ってアニメの聖地ですから。『ラブライブ!サンシャイン‼』ですよ」


 言いながら海月が視線を巡らせると、駅にはアニメのポスター。藍墨は胡乱な目を可愛い女の子のキャラクターに向け、スマホで一枚、写真を撮っておく。


 ちょうど先行していた弥香と澄冷に近づいていた頃の発言だったので、そわそわしていた弥香は敏感に反応する。「それ! 私、旅行前に調べて半分くらい観たよ! 毎回アニメの開始前に始まる要約が好きなの」と声高に語り出す。そして、朗々と声を上げた。


「今回のラブライブ!」

「それは本編でやりなさいよ」



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