19話
夏休みまであと一週。生徒達が店仕舞いをするように徐々に意識を学校から引き剥がしていく頃、今日も今日とてサイバーセキュリティ研究部は活動をしていた。
ただし、その日は珍しく海月が欠席していた。席は三つしか埋まっていない。
しかしながら、誰かが休むことは取り立てて語るほど珍しくもなく、実のところ、過ごし方は普段と変わらない。三人で他愛のない談笑をしたり、勉強会を開いたり、各々無言でスマホを弄ったり、遊びの計画を立てたり。そんな具合だ。
そんな中、持ってきた漫画本を読み耽って山を築いていた澄冷が、ふと「そういえば」と顔を上げて本を閉じる。弥香は持ってきていたノートパソコンを退屈そうに弄る手を止め、藍墨もぼんやりと眺めていた電子書籍から澄冷へと目を上げる。
「もうすぐ夏休みだけど、二人とも、何をするか決めてたりする?」
途端、弥香が威勢よく立ち上がって両手でサムズアップした。
「もちろん! まずね、やっぱりみんなで遊びたいね!」
「あたしも、学校関連の諸々はすぐ終わるし、家族ぐるみの付き合いも無いし、まあ――誠に不本意ではございますが、アンタらと下らない時間を過ごすことになるかな」
「またまたそんなこと言っちゃって、藍墨は。素直じゃないなぁ!」
ふへへと嫌な笑みを見せる弥香の脇で、澄冷もニコニコと笑いながら藍墨を見ている。どうやら彼女も弥香と同様に、藍墨が楽しみにしているだろうことを疑っていない。
笑いながら肩を竦めて誤魔化す藍墨を尻目に、澄冷が話を広げる。
「海月ちゃんは今度訊くとして。取り敢えず、活動日はそこそこありそうだよね?」
「多分そう! 色々なところに行けるよ! 海とかビーチとか海水浴場とか!」
「それ全部海だけどね。――さておき、どこか遠くに行くなら早めに計画を立てておきたいわね。ホテルとか交通手段って早いほど安いものもあるし」
弥香は一人暮らしとは思えないほど不思議な財源があり、澄冷はプロモーションの仕事を請け負っている。海月もアルバイトをしていると小耳に挟んだし、藍墨も中学時代に母親の入院費を稼いだ名残で懐にはだいぶ余裕がある。金銭面は然程問題は無いだろう。
しかし、それは節制を踏み躙っていい理由にはならない。
藍墨の言葉に大きく頷いた澄冷は、スマホを取り出して眺めながら呟く。
「それに、私の方でもそっち方面の仕事が来るからね」
藍墨と弥香は目を丸くして澄冷を見詰める。弥香が憧憬を瞳に煌めかせた。
「お仕事っていうと、観光系のプロモーション⁉ そんなの来るんだ⁉」
「来るよ、それも繁忙期のちょっと前辺りからね。『この夏はこうやって過ごそう』って私達みたいなことを考える人達を掴まえるために、広告の仕事が来るの。だから早めに場所が決まると、その辺の仕事を全部引き受けられるし、多分、お互いに美味しい思いができると思う。から、早めに決めたいなーって思うんだけど」
言いながら澄冷はちらりと海月の空席を見て、仄かに相好を崩した。
「話すにしても海月ちゃんが来てからかな」
「そうね。アイツ自身のスケジュールもあるけど、アイツ日程調整とかも上手いから」
こうして三人で話していて特に感じるのは、会議の進行の滞り。
海月は普段、会話が行き詰まったタイミングで率先して水を運んでくれている。
サイバー研の監査に入った時や、藍墨を花火大会に誘った時。他にも、弥香の過去について藍墨に話を通しておいた時など、思い返すとその役回りには助けられている。
そして、それは弥香と澄冷も痛感しているところらしく、海月無しで話を進めるつもりは一切無い様子だ。寂しそうに空席を見詰めている。
「じゃあ、また明日、海月ちゃんが来たら話そうか!」
澄冷がそう言って話を締め括った。
――しかし、その翌日も海月が出席することはなかった。
少し遅くなった藍墨と澄冷が廊下でバッタリ出くわし、そのまま一緒に部室に入る。
すると、部室には弥香一人だけ。海月の姿はそこには無い。席で突っ伏すようにして退屈そうにノートパソコンを叩いていた弥香が、ガバッと身体を起こす。
「遅いよ二人とも。今何時だと思ってるの⁉」
「アンタは朝帰りした娘を問い詰めるオカンか。そんな遅くないでしょ」
「ごめんね、先生のお手伝いをしてたの。連絡すればよかったね。それで――」
澄冷は軽く謝った末に、昨日に引き続いて海月の居ない座席を見詰める。
「今日も海月ちゃん休みなのかな。珍しいね」
「学校の方はそもそも来てるの? あたしクラス違うから分からないんだけど」
「私達も違うよ。というか、クラスのことは全然。あまり意識して探したりもしないし」
弥香が少し心配そうに言いながらスマホを取り出してサイバー研のグループチャットを開く。そこには四人の他愛のない雑談が繰り広げられているが――海月からの出席に関する話は無い。しかしながら、海月は昨晩の雑談に一言、下らない冗談を言っている。
「星ヶ丘って、部活休む時はいつも無言なの?」
藍墨が訊くと、澄冷が顎を摘まんで難しそうに頷く。
「だね。あんまり自分のことを話さないというか、聞いたら答えてくれるんだけど、つまらないことを自分から言いたがらない感じというか」
藍墨は複雑そうな表情で押し黙って、少し考える。
海月自身が話したがらないのなら無理には聞き出さないのが筋だろう。
しかし、それはこちら側の心配を無意味で無価値とするものではない。
無理には聞き出さないべきだとしても、心配は心配だ。
そして、それを払拭する我儘くらいは許してほしい。
藍墨は思い至って、海月との個別チャットを開く。
そして彼女が過去に送ってきたSNSの裏垢を開いてみる。
海月は結構な頻度で裏垢に性的な画像を投稿している自称性的倒錯者だ。もしも彼女がこの二日で何か投稿をしていれば、少なくとも無事は確かめられる。
そう思ってアカウントを開いた藍墨は――ピシ、と表情を固める。
そして、ジッと投稿を見詰めた後、額を押さえながら嘆息した。
不思議そうにこちらを見詰めてくる澄冷と弥香へ、藍墨はスマホを見せる。
「アイツ、風邪だ」
スマホには今朝の海月の投稿。寝間着を半分ほど脱いで下着を露出した自撮りと共に添えられた一言は『風邪ひきました』。性的な画像に頬を染めた澄冷は、次いで文章を見て苦笑。弥香は「やれやれ、もー」と、呆れつつも可笑しそうに腰に手を置いた。
さて、そうして海月の欠席理由が病欠であることが判明したが。
「海月って一人暮らしでさ。看病にでも行ってあげようかなと思うんだけど、どうかな」
事態を知った弥香がそう提案すると、澄冷は僅かな懸念と共に頷く。
「賛成。ただ、大勢で押し掛けるのもどうかなとは思うのと、海月ちゃんがこっちに事情を話さなかった理由を考えると、そもそも部屋に入れてくれるかどうか。伝染したりとか迷惑かけたりするのを嫌がって追い返されそうだよね」
澄冷はスマホで看病に行く旨の文章を用意し、送信ボタンを逡巡の目で見詰める。
藍墨も唸りながら腕を組んで澄冷の懸念に賛同する。
「そうねぇ。多分、アイツって人に心配されるのとか気遣われるの苦手っぽいし」
「大丈夫だよ、大丈夫! 家の前で楽しそうにしてれば気になって出てくるよ!」
「そんな天照大神じゃないんだから。現代でやったら出てくるのは警察だよ」
弥香の能天気な言葉に澄冷が淡々とツッコミを入れる。
「じゃあ凄く寒そうに『マッチはいりませんか』って押し売りして開けてもらおう」
「現代日本の夏にそれやったら紙一重で放火犯の脅迫だよ」
「それなら栗とか松茸を置いていこう。そして海月が私を撃つ! 弥香、お前だったのか。憐れに思った海月は私を部屋に引きずり込む!」
「ならないならない、ごんぎつねにはならないから! 現代だとヤクザの抗争だよ! ぐったり頷く弥香ちゃんはもうただの被害者だから!」
「それやってアンタが入れるのは豚箱だから。真面目にやりなさい」
すると弥香は「はーい」と唇を尖らせ、話を軌道修正する。
「真面目な話、お見舞いには行った方がいいと思うんだよ。一人の病気は辛いよ」
実感の籠った弥香の言葉に、澄冷と藍墨は大きく頷いて得心を見せる。
他でもない弥香が言うからこその説得力がそこにはあった。
「まあ、何にせよあれね。訊いてみるのが手っ取り早い。とはいえ――訊いたら訊いたで拒みづらいっていうのもあるだろうし、大勢で行く理由もない。清川。『本当に風邪をひいているか。こっちから一人、見舞いに行ってもいいか』って聞いてもらえる?」
「了解!」と澄冷は敬礼をしていそいそと文字を打ち直し、藍墨の指示通りの文面を作ってくれた。「どーですか」と見せてくるので「ありがと」と伝えて送ってもらう。
「それで、誰が行く⁉ ここは公平にじゃんけんで勝った人が行こう!」
「あたしは別に構わないけど、勝者の定義は? 仮にじゃんけんで勝っても、真面目に勉強をせずに限られた選択肢から不本意な進路に進んで後悔と共に寿命を全うする人生は本当に勝者と言える?」
「なんで私を見ながら言うのさ! じゃんけんのルール知らない⁉」
「知ってるわよ。グーとチョキとパーがある。頭がパーな奴はパーしか出せない」
「そんないじめを促進するローカルルールは無いから!」
言い争う弥香と藍墨をニコニコと眺めた澄冷は、嬉しそうに呟いた。
「二人とも海月ちゃん大好きだね。そんなに看病に行きたいの?」
そこまで言われると素直に認めるのも恥ずかしく、二人は照れ隠しをする。
「別にそこまで、そういう訳でもないけど。ほら、部長として?」
「あたしもまあ、何。一人暮らしの病気って色々大変だろうなと思うくらいで」
「あ、そうなの⁉ じゃあ私は海月ちゃん大好きだから私が行くよ、じゃあね、バイバイ! 戸締りよろしく、それじゃ――ぐぇ」
二人を罠に引っ掛けて勢いよく部室を飛び出そうとする澄冷。危ないところだった。
間一髪でその襟首を掴んだ藍墨が「させるか」と唸ると、「じゃんけんだって言ったでしょ」と弥香が腰を掴んで部室の内側へと引きずり込む。全く、強かでずる賢い女だった。
そして五回のあいこの末、藍墨が勝利を収めることとなった。
海月本人に送った見舞いの可否についてだが、渋々ながら許可を貰った。




