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15話

「二人とも遅いね。何してるのかな」


 既に十分は経っている時計を一瞥し、弥香はペン回しをしながら呟いた。


 隣の椅子に座って同じく二人を待っていた澄冷は、「何か話してるのかもね」と二人の関係性に想いを馳せる。今は弥香も澄冷も、心から藍墨を受け入れている。同じサイバーセキュリティ研究部の仲間だ。だが――最初に藍墨を招き入れたのは、海月だ。心の深い部分で繋がっているだろうし、二人きりでないと話せないこともあるだろう。


「勉強して待とうか」


 澄冷が薄っすらと笑って弥香を見ると、弥香は冷や汗と共に下手な口笛を吹いた。


「今日は頑張った。私一時間も頑張ったもん!」

「そうだね。でも、今までの分を取り返すなら、もう少し頑張っても損は無いよ」

「帰ったら頑張るから! これ以上はパンクしちゃうよぉ!」

「……まあ、無理に詰め込んでも仕方ないもんね。もうちょっと休憩しようか」


 やはり弥香には甘い澄冷だった。自分に呆れながら澄冷が笑うと、弥香は満面の笑みを咲かせ、甘えるように澄冷の肩にゴンゴンと頭突きを繰り返す。


「んふふ、みんな優しくて嬉しいなぁ。藍墨(あしゅみん)も海月も、勉強を教えてくれるし!」


 そんな風に甘えてくる弥香の頭を撫でたい気持ちをぐっと堪え、澄冷は伸ばしそうになった手をだらりと身体の脇に落とす。彼女の愛嬌に崩れそうになる頬を懸命に抑えて緩む程度に留め、仄かなシャンプーの香りに眩暈を覚えつつ、澄冷は謙遜する。


「夏休みに弥香ちゃんだけ補習じゃ寂しいもん」

「ほんと? 澄冷も寂しいって思ってくれる?」


 丸い目が期待するような輝きを秘めて見上げてくるから、澄冷は頷く。


「もちろん、私も弥香ちゃんと一緒に過ごしたい。みんなで楽しみたいよ」


 頭を撫でられた猫のように目を細め、弥香は上機嫌に澄冷の肩に頭を擦りつけた。


「もうみんなして寂しがり屋なんだからぁ! あーあ、人気な部長は辛いなぁ! そんなに私と一緒がいいなら、頑張って勉強を教えて貰わないとね!」


 すぐ調子に乗る弥香に苦笑をして、澄冷はその額を指先で小突く。


「こら、ちょっとは自分で頑張らないと駄目だよ。私達がいつまでも……」


 そこまで告げた澄冷は、ふと、言葉尻を掠れさせる。


 脳裏を過るのは、先程の、海月と藍墨の弥香への言葉。


 ――日頃の自分に生じる負荷を全て代替してもらった果てにあるのは堕落の一途。


 ――あたし達が毎回勉強を教えなければいけないって状態は健全じゃないでしょ。


 澄冷は微かに顔を歪めながら葛藤を振り払って、何事も無かったように声を絞る。


「……いつまでも一緒に居られるとは限らないんだから」


 すると弥香は「はーい」と不満そうに口を尖らせ、「でもさ!」と明るく笑う。


「卒業してからも会おうと思えば会えるじゃん。だからそんな寂しいこと言わないでよ」


 澄冷も、卒業を契機にサイバー研の面々との縁を終わらせるつもりなど毛頭なかった。


 少し難しく考え過ぎているだろうか、と鬱屈とした感情を頭を振って落とそうとした澄冷。そこに、弥香は微笑みながらこう続けた。


「私は、澄冷とずっと一緒に居たいよ」


 快感か苦痛か判然としない、ぎゅっと締め付けられるような感覚が澄冷の胸を襲う。


 ドクドクと高鳴る心臓。澄冷はそれを黙らせるように深呼吸を繰り返す。静かにしないと弥香に聞こえてしまう。そんな焦りが頬に紅潮を生み、その顔を固く強張らせる。


 それでも、その愛情に対してこちらだけ気持ちを隠すのは不義理だろう。そう思って澄冷は、緊張を纏ったまま『私も』と伝えようとする。


 しかし――開きかけた口は、ふと、葛藤の表情と共に閉ざされた。


 脳裏には先程の藍墨と海月の言葉。それらがリフレインして離れない。


 ジッと澄冷の顔を見詰めて返答を期待していた弥香は、眉尻を下げて「澄冷?」と不安そうな声を上げる。澄冷はその顔を見詰め、苦悩に表情を歪ませた。


 やがて、澄冷が纏まらない思考を無理やり言葉にしようとした時だった。


「――悪い、遅くなったわ」


 部室の扉が開き、四人分の飲み物を持った藍墨と海月が部室に戻ってくる。


 そして、身体を寄せ合って気まずそうな弥香と澄冷を見た。数秒、沈黙が訪れる。


 途端、二人は明らかに『しまった』とでも言いたげな顔を見合わせる。


 そういう表情をされると、疚しい部分は無かったとしても、こちらも何だかいけないことをしていたような気分になる。


 澄冷と弥香は同時に身体を引き剥がし、何でもない表情を取り繕う。


 海月は空気を読んで素知らぬ調子の笑みを浮かべてくれたが、藍墨は言及するか否か悩んでいる素振りだった。マズイ、と澄冷が慌てた直後、弥香が先手を打った。


「本当に遅かったね、二人とも! どこで油を売ってたの!」


 煙に巻くように矢継ぎ早にそう言い立てると、藍墨が一瞬、虚空を一瞥した。


「自販機の近くで先生方に会ってお説教を貰ったのよ。どうにもサイバー研には著しく成績の悪い生徒が一名居るらしいだとか厭味ったらしく言われてね」


 「ぎくぎく」と空々しく声に出して言った弥香の前に、藍墨がコーラを置く。


「で、代わりにお説教を受けてパシリもやり遂げて帰ってきたら清川とイチャイチャ?」

「へ、変なことなんてしてないもん! ただちょっと話し込んでただけ!」


 眼前で厭味ったらしく笑って吐き捨てる藍墨に、弥香は微かに頬を上気させて言い返す。しかし、「へえ、つまり勉強はしてなかったんだ」と失言を指摘される。


 弥香はハッと助け船を求めて澄冷を見るも、澄冷は冷や汗を浮かべて目を逸らす。


 救いの手は差し伸べられない。代わりに藍墨の手が弥香の震える肩に回された。


「あーあ! 部長が居なかったら夏休みに活動しづらいかなと思って勉強を教えたんだけどなぁ! 本人がこの調子なら夏休みは三人で遊ぶかぁ! ね、星ヶ丘。清川」


 澄冷はこっそりと甘やかしていた負い目から、迎合するように頻りに頷く。


 海月は「旅行とか行きたいですね」と白々しく目を輝かせて声を弾ませた。


 途端、弥香は目を泳がせる。夏休みに補習を受けるということへの危機感をいっそう強く持ったらしい。慌てて藍墨の腰に縋り付いた。


「ご、御堪忍を! わたしも、私も旅行に連れてってくださいよぅ!」

「だったら勉強をしろ! ペンを離すな! 椅子を立つな! トイレは飲み干したコーラのペットボトルにしなさい! 赤点一教科ごとに一本指の爪を剥ぐ!」

「す、スパルタぁ……」

「スパルタ⁉ よし、それじゃあスパルタの由来! 世界史をやるわよ!」


 半泣きで世界史の教科書を取り出す弥香の隣で、藍墨は紅茶の蓋を捻る。


 その脇で海月が澄冷へ緑茶を差し出しつつ、目を合わせて訊く。


「実際、このペースで勉強して赤点を回避できそうですかね?」


 澄冷は「あざます」と合掌してお茶を受け取りつつ、「そうだねぇ」と蓋を捻った。


「飲み込みはホント、嫉妬するくらい早い。頭が良いんだと思う」


 「むふぅ」と聞き耳を立てていた弥香が満面の笑みでそちらを見る。そして藍墨の両手がその頭を挟んで首を前に捻り、弥香は眉尻を下げて呻きながら勉強に戻った。


「ただ、基礎の部分から忘れていたり、苦手意識のある分野は徹底的に駄目だったりするから、このまま放課後にちょこちょこ勉強しても……駄目そう?」


 澄冷がどうだろうと訊くように藍墨を見る。――総合的な点数は海月、澄冷、藍墨の順に高い。だが、主要教科に関しては藍墨が最も隙が無い。そんな藍墨から見ると、


「ちゃんとプライベートでも勉強をするなら、六教科は問題ないと思う」


 そう言って藍墨はジッと弥香を見詰めるが、弥香は険しい表情で押し黙る。


 「何とか言いなさい」と藍墨が小突くと、「何とか」と弥香がこぼす。「あぁ」と海月が痛ましいものを見るような目で呻いた次の瞬間、藍墨は笑顔で弥香の肩を叩く。


「補習は最低でも五日あるんだっけ? じゃあそこに旅行を被せるわ」

「ごめんなさいごめんなさい! 嘘です、冗談です! プライベートでも勉強します! でもぉ、でもぉ……みんなに教えて貰ったらもっと頑張れるぅ……」


 弥香は藍墨の腰に縋るように抱き着いて懇願し、藍墨は額を押さえて嘆息する。


 そんな中、「あ、じゃあ!」と澄冷が妙案を閃いたとばかりに手を叩く。


「次の土日に――」


 澄冷はそこまで口にしたかと思うと、ふと、大きく目を揺らして藍墨と海月を見る。首を傾げる藍墨と海月だったが、澄冷は「ええと」と後ろ髪を撫でると、押し黙った。


 三人の視線を一身に浴びて誤魔化すような愛想笑いを浮かべる澄冷。


「どうしました? こちらに気を遣ってます?」

「そういう訳じゃないんだけど……えっと」

「――勉強会でもしようってこと?」


 何となく先の読めた藍墨が尋ねると、澄冷は微かに顔を歪ませた。


 不正解だったかと目を丸くするも、どうやら正解らしい。澄冷は恐る恐る頷く。


 何だか様子がおかしい気がしたが、浮かれて上機嫌の弥香はそれに気付かず藍墨を振り返る。「勉強会!」と目を輝かせるから、藍墨は僅かに首を左右に振る。


「日本語は正しく使いなさい。正確には勉強会じゃなくて一方的な授業よ。私達がアンタから学ぶことは図々しさと炎上のやり方だけだから」

「ひどくない⁉ 他にもあるでしょ、もっと、こう……もっと!」

「自分でも言葉が出てこないならそれが全てですよ。弥香」

「嘘だ! 良いところって周りの人の方が分かるっていうじゃん!」

「強いて言うなら明るい、かしら」

「ほら、長所だよ、長所! 私のいいところ!」

「電球とどっちが明るいですか?」

「明るさってルクスの方⁉」

「常夜灯になら僅差で勝てるわね」

「ならもう長所じゃないじゃん! 短所じゃん!」


 「澄冷~」と弥香が泣きながら抱き着くと、澄冷は意外にも複雑そうな表情だった。恐る恐るという調子で抱擁を返した澄冷は、やれやれと苦笑して背中を撫でた。


「つまり――勉強会じゃなくて、授業をしてくれるってことだよ? 弥香ちゃん」


 ハッと顔を上げた弥香は、途端に満面の喜色を浮かべて澄冷から離れる。


 そして小躍りしながら藍墨に近付くと、「ういうい!」と肘で小突く。


「素直じゃないなあ、藍墨(あしゅみん)は! 私のこと大好きじゃんかよ!」


 てっきり言い返されることを予期していた弥香だったが、意外にも藍墨は呆れ混じりの溜息を吐く程度。そして、怪訝そうにする弥香の頭をコツンと叩くと、苦笑した。


「そうね。だから、くだらない夏休みにならないように、ちゃんと勉強して」


 一瞬、弥香の目がたくさんの水分を含んで大きく揺れる。


 それを隠すように目尻を拭った弥香は、満面の笑みで「うん!」と頷いた。


「ありがとね」



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