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12/30

12話

 高校の最寄り駅から普段使いの路線で一駅を隔てた場所に、そのカフェはあった。


 駅のロータリーと直結する大通りから一本脇道に逸れた、あまり目立たない場所。立ち並ぶ雑多な民家や店の中に、それは粛々と居を構えている。壁はグレーのセメントのような材質で、屋根は瓦。店の前にはダークウッドのベンチが狭苦しく置いてある。


 あまり広々とした印象を受けない外観だったが、案の定、中は少し狭い。


 木造床の店内にはカウンター席が六つとテーブル席が四つ。回転率か客単価を上げなければ商売も上手く行かないように感じたが――シックな雰囲気を邪魔しないよう店の中に敷き詰められたメニュー表を見る限りでは、客単価の方に振り切っている様子だった。


 澄冷が三人を差し置いてカウンターへ向かい、店主らしき堂々とした振る舞いの男性に会釈をすると、彼は途端に背筋を正して頻りにお辞儀を繰り返す。そして店主は三人と澄冷を丁寧な所作でテーブル席へと案内し、微笑みながらメニュー表を置いていった。


 四人は思い思いに飲み物とスイーツを注文。店主が去った頃、「トイレ」と弥香が席を立ち、「私も失礼します」と海月がそれに続いたので、藍墨と澄冷だけが取り残される。


「――それにしても、流石は有名インフルエンサー。好待遇ね」


 藍墨がニヤリと対面の澄冷に笑うと、彼女は「もお」と仄かに頬を染める。


「そんなに立派なことでもないよ? 私は自分の気になったものとか好きなものを、皆に共有したいだけ。それを受け取ってくれる人が増えたから、私に宣伝を依頼してくれる人も出てきたってだけ。私は、良いものと、それを知りたい人の橋渡し役」


 澄冷は指でちょこちょことジェスチャーを交えてそう説明し、藍墨は感心して頷く。


「本当に、清川のSNSだけがこの部活の唯一の良心よ」

「そんなんじゃ――ない、ことも――ないかぁ」


 否定しようとした澄冷だが、流石にミカエルと海月の裏垢を思い出して苦い顔だ。


 二人でしばらく可笑しそうに笑って、ふと、藍墨は用件を思い出す。


「そういえば清川に聞きたいことがあったんだった」

「うん? どーぞ、私で答えられることなら」

「SNSのバズらせ方を教えてほしい。このままじゃメイド服なのよ」


 すると澄冷は口を押さえながら声を出して笑い「そっか、そういえば勝負してたね」と言いながらスマホを開いて三人の投稿を流し見る。「やっぱり今も海月ちゃんが優勢?」と訊いてくるので「腹立たしいことに」と肩を竦めておく。


 澄冷はしばらく三人の投稿を眺めると、微笑しながら呟く。


「申し訳ないけど、弥香ちゃんは論外として」

「論外」

「海月ちゃんの投稿は、まあ、上手いよね。人の暗い部分を擽ると言うか」


 「ふむ?」と藍墨が相槌を打つと、澄冷は難しい表情で語る。


「時代は冷笑だからね。嘲笑うって行為は、それをした時点で内心、相手より自分を上に置くことができる。海月ちゃんは自分で自分を下に置くような投稿をして、冷笑を誘って投稿を伸ばしたの。たぶん、これを嘘だって見抜いてる人が過半数でしょ?」

「だろうね。なるほど――じゃあ、これに倣うのが正解?」

「まさか。一つの手段だとは思うけど、これだけが正答じゃないと思うよ。さっきも言った通り、海月ちゃんは暗い部分を刺激するのが上手だけど――」


 言いながら澄冷がXを開き、藍墨に、自身が『いいね』した投稿を見せる。


「例えばある学生の投稿。レストランで誰かと食事をしている手だけの写真。文面は『バイトの初給料。母子家庭でお世話になったのでお返し!』って。これが九・六万も『いいね』が付いているのって、間違っても冷笑じゃなくて、ここにある愛情が好きだから」


 得心して何度か頷く藍墨。澄冷はスマホを手元に戻し、こう続ける。


「本質は、感動だと思うの」

「感動――心が動いたら『いいね』が伸びる」

「正確には『感動を共有する』という目的の結果が『いいね』に繋がる、かな」


 どうやら澄冷には澄冷の持論や哲学があるらしく、真っ直ぐに藍墨を見て続けた。


「心が動いたら、人ってそれを発信したいじゃない? でも、言葉を紡ぐという労力を走り切るほどの熱は生まれないかもしれない。でも、SNSはワンタップでそれができる」


 澄冷の提示する持論に、「なるほど」と藍墨は唸った。ベクトルは多種多様かもしれないが、本質的に『いいね』とは、自分が抱いた感動を燃料としたリアクションなのだ。文字を紡ぐには至らない感動をワンタップで伝え、その先は各々の気持ちの伝え方がある。


「じゃあ、その感動はどうやって作るの?」

「分かんない。多分、そういうのはプロのクリエイターとかの仕事かも」


 藍墨の身も蓋も無い質問に、澄冷は苦笑しながら髪を撫でる。が、「ただ」と続く。


「私が思うに。誰かの好きは、誰かの心を動かす力があると思うよ」


 その言葉が胸に突き刺さった藍墨は、口を押さえながら呟く。


「『好き』か……」

「例えば私は、今日、ここに付き合ってくれた皆のことが大好きだよ。こういう好きの感情も、もしかしたら誰かが綺麗だと思ってくれるかもしれない」


 思い悩む藍墨の力になれば、と、澄冷はほんのり頬を染めて言い切る。


「馬鹿にする気は無いけど、よく恥ずかしげもなく言い切れるわね」


 思わず藍墨がそう尋ねてしまう頃、ちょうど、お手洗いから二人が戻ってくるのが見えた。そちらをチラリと一瞥した澄冷は、最後にこう付け加える。


「恥ずかしいは恥ずかしいよ。でも、私は誰かに好きだって伝えるのが好きだから。その為にSNSを始めたし。だから、ちゃんと言うの」


 誰かに好きを伝えること――藍墨はそのSNSの本質を噛み締める。


 それから、弥香と海月が戻ってから間もなく飲み物が到着。更に一巡の談笑の末にスイーツが届き、投稿用に澄冷が何枚か写真撮影。その後、各々がスプーンを突き刺す。


「美味しい! なるほど、これがメロンソフトクリーム!」


 弥香が目をキラキラと輝かせながら己のソフトクリームを掲げて眺め、その様を店主や澄冷が愛しむように見詰める。この店のフルーツ系ソフトクリームは、一般的なコーンの上に果汁の入ったソフトクリームを乗せて、そこに果汁シロップと半解凍の果肉を山ほど詰め込んでおり、品名は山盛り○○ソフト。なるほど、言うだけはある。


 弥香と澄冷が店のイチオシであるメロンを。藍墨は桃。海月は葡萄だ。


 藍墨は桃のソフトクリームにスプーンを突き刺して食べ、その味に唸る。多角的な桃の味が一斉に舌を刺激してきて、ソフトクリームであると同時にこれは果物であった。中々美味しい。思わず別のソフトクリームも注文しようかと思ったが、


「藍墨と海月もメロン食べる? 美味しいよ!」


 そんな風に弥香がソフトクリームを突き出してくれた。


 海月は「ではお言葉に甘えて」と即座にスプーンを突き刺す。間接キスなど気にする柄ではないが、それはそれとして折角頼んだ弥香の注文を貰ってもいいものか、と、藍墨が逡巡すると、弥香がニコニコと藍墨の方にも差し出し、こう続けた。


「メロン嫌い?」


 藍墨は、大人びていると思っていた自分の葛藤が一周して幼稚だったことに気付く。


 そして吹き出すように小さく笑うと、「いや」と言いながらスプーンを刺して訊く。


「そっちは桃、嫌い?」

「んーん! くれるの⁉」

「どうぞ。……うん、中々、甲乙付け難い」

「よければ私の葡萄もどうぞ。こっちはかなり味に深みがあります」


 そんな風に三人でソフトクリームを交換し合っていると、一人、席で顔面を真っ赤にする少女が居た。余程美味しかったのか、既にコーンまで半分ほどまで食べ終えてしまった澄冷は、相手に分け与える量も残っていない手元のそれを恥ずかしそうに見詰める。


 気にしなくていい、と藍墨が言おうとした矢先、恥ずかしそうに彼女は言う。


「――あ、あげられるものは無いんだけど、一口、貰ってもいいかな」


 思っていたよりも一歩分だけ図々しかった澄冷の要求と、そんな要求をする彼女のお陰でソフトクリームを頂けていると事実と。言われるまでもなく、勿論という回答と。


 色々なものが綯い交ぜになって、三人は一斉に吹き出すように笑った。


 さて、そうして四人は間もなくスイーツを食べ終え、飲み物も飲み干した。


 店主は嬉しそうにおかわりを尋ねてくれたが、無料だからと図々しく沢山注文するのは憚られる。それに、お腹を壊すのも嫌だった。


「さて、そろそろ帰ろっか。部室、戻る?」


 十七時を過ぎて間もないという頃、発案者である澄冷が音頭を取る。


 最初に胡麻を擂るのは弥香だった。それに海月も同調する。


「だね! いやー、澄冷様のお陰で今日はとても美味しいものを頂けて。へへ」

「あ、澄冷様、御鞄、持ちますよ。それと弥香(ばしゃ)も用意していますのでご利用ください」

「おんぶして学校まで帰ろっか? 大丈夫、澄冷は軽いからね」


 藍墨はそんなやり取りを笑って眺めながら食べ終えた食器をテーブルの中央に寄せ、席を立とうとして――ふと、中央に寄った食器に一抹の寂しさを感じて動きを止める。


「朝陽さん?」


 海月が藍墨の様子に気付いて声を掛けてくる。


 藍墨は我に返り、腰を浮かそうとして――再び思い留まる。


 ちらりと三人を見ると、不思議そうな眼差しでこちらを見詰めていた。


 そして思い返すのはつい先刻、澄冷から聞いた言葉。『私が思うに。誰かの好きは、誰かの心を動かす力があると思うよ』。


 吹っ切れたように微笑した藍墨は、徐にスマホを取り出した。


「――悪い。最後に一枚だけ撮ってもいいかしら」


 藍墨には珍しい提案に、澄冷と弥香は何故だか嬉しそうに破顔する。


 海月は何やら見透かしたように微笑んで、「喜んで」と呟いた。


「画角はどうします? 朝陽さんらしく私を見上げる構図にしますか?」

「それのどこがあたしらしいのよ。逆だ逆」

「折角だからお店の食器が見える形にする? 食べた後だけど……」

「そうね、まあ、あたしは宣伝が主目的じゃないし。それでお願い」

「なら手だけ写そうか! ほら皆、中央に手を出して!」


 部長の弥香の音頭で全員が片手を差し出し、各々のポーズを取る。


 澄冷は綺麗に爪を切った指で鮮やかなピースサイン。海月は指先だけでも色香を感じるようなあざとい指ハート。弥香は――「何それ」と思わず藍墨が訊くと「無量空処!」と、どうやら漫画のネタの様子だった。さて、藍墨はそこに何のポーズを入れようかと思案する。被るのも何だか嫌だったが、しかし指のポーズというのもあまり多くない。


 考えた末、藍墨は「まあいいか」と構わずフレーム内に己の手を差し出した。


「それは?」


 海月が訊いてくるので、「ん?」と藍墨は海月を横目に一瞥。


「四人だから」


 納得した彼女は、親指だけ折った藍墨の掌を可笑しそうに眺める。


 そして、三人が一斉にこちらを見詰めるので、藍墨は部長に倣って掛け声を発した。


「我ら――?」


 返答はやっぱり、誰一人として合うことはなかった。






「お風呂あがりましたー!」


 都内某所にある一軒家のリビングに、バスタオルを頭に掛けた清川澄冷の声が響いた。


 リビングダイニングのソファでバラエティ番組を眺めていた姉と母の「はーい」という気の抜けた軽やかな返事を切り裂くように、澄冷は冷蔵庫へ直行。買っておいたハーゲンダッツのアイスに木のスプーンを乗せ、炭酸水を持って私室へ駆け戻る。


 そして髪を乾かすのも後回しにアイスを食べようとした澄冷は、テーブルに置いておいた自身のスマートフォンに通知が来ていることに気付く。Xの通知だ。澄冷の普段使いのSNSはインスタグラムであり、Xは基本的にDMも封鎖しているので通知は切っている。しかしながら、成り行きとはいえ藍墨達の勝負の裁定者を請け負ったため、一応、三人の投稿は通知が来るように設定しておいたが、一体誰が――


「――ふふ」


 通知をタップして投稿を開いた澄冷は、思わず破顔して小さな笑い声を漏らした。


 投稿は藍墨のものだった。そこには夕方に撮影した一枚の写真。慣れた手付きでポーズを取る二名と、アニメキャラの指を真似る弥香と、ポーズとも呼べないような四を示すハンドサインをする藍墨。そして、写真にはこんな文字が添えられていた。




『人生で初の部活友達とカフェに行った。分け合ったソフトクリームはいつもより美味しい気がした。これからも三人と一緒に遊びたい』




 澄冷は堪えきれない笑みを押し殺すように両踵を交互に床に叩き付け、片手で顔を覆う。気を抜くと変な笑い声が出てしまいそうだった。


 ――海月も弥香も、どこか浮世離れした部分がある人物だ。それ故に、きっと、藍墨に一番似ているのは自分なのだろうと澄冷は思っていた。


 だからこそ心配だった。既に構築された輪の中に、後から藍墨が入ることが。


 自分達は誰一人として彼女を排斥しない絶対的な自信はあったが、しかし、常識的な彼女の方が、どこか遠慮をするのではないか、と。実際、遠慮もあったように思う。だが、それらの心配を一気に拭い去ってしまうような言葉に、澄冷は嬉しくて仕方が無かった。


 朝陽藍墨の『好き』は今、確かに澄冷に届いた。


 だから澄冷はその感動を伝えるために、監視用の非公開アカウントからSUMIのX用アカウントへと切り替える。フォロワーは五十万人。インスタグラムに比べるとやや少ないが、それでも多少は影響力があるだろう。


「えい」


 言いながら、澄冷は藍墨の投稿をリポストした。






 翌日の放課後、藍墨はメイド服を着た二人の少女に囲まれて顔を真っ赤に染めていた。


「うんうん、そっかぁ。藍墨(あしゅみん)は私達とまた一緒に遊びたかったんだねえ、うんうん!」

「私達もまた行きたいですよ、朝陽――ご主人様と。どこでも、どこまでも。ね!」

「ああうるさいわね! 分かったから負け犬は椅子に座ってなさいよ!」


 部室のパイプ椅子に座って恥ずかしそうに突っ伏す藍墨。そしてメイド服に着替えた海月と弥香は、一切の恥じらいも無く、寧ろ嬉しそうにそんな藍墨を取り囲んでいた。


 少し遅れて「お疲れ様ですー」と部室にやって来た澄冷は、その光景を見てプッと吹き出す。昼間の内に勝敗が決したので渡しておいたメイド服を二人が既に着ている点も驚いたが、それよりも、藍墨が二人に弄られているのがあまりにも予想通りだったから。


 澄冷の到着に気付いた藍墨は、耳まで赤い顔で食って掛かった。


「清川! アンタあたしの投稿をリポストしたでしょ!」


 昨晩、藍墨がカフェでの写真を投稿してから間もなく澄冷がそれをリポスト――つまり、拡散した。人気インフルエンサーである彼女の影響力もあって、投稿は瞬く間に大勢の目に入った。そして、若者らしい青春の一幕を微笑ましく思った人達がそれを拡散し、今朝の時点で投稿は三・四万『いいね』を獲得して藍墨が一気に首位へ躍り出た。


「ネットに投稿するってそういうことだからね。文句を言われる筋合いは無いかなぁ」


 顎に指を添えてニマニマと笑った澄冷は、鞄を「よいしょ」と床に置く。


 そしてメイド服の二人の間に割って入ると、俯く藍墨の顔を覗き込んだ。


「私も! 藍墨ちゃんとまた遊びに行きたいなっ!」


 ぐ、と歯を食い縛った藍墨は堪えきれない様子で頭を抱えた。


「勝ったのに! あたしが勝ったのに!」


 その悲痛な叫びも今の面々の前では愛嬌のある言葉にしか聞こえない。


「うんうん、勝ちましたね。偉い偉い。偉いねー」

「負けちゃったー、藍墨(あしゅみん)の私達への愛情に負けちゃったよ~」

「有言実行だね! 凄いなぁ、憧れちゃうなぁ」


 殺してやる。その言葉をぐっと飲み込んだ藍墨は、頭を抱えて悶絶した。


「ころして」


 それから実に十五分近く、三人は満足するまで藍墨の周りを離れなかった。一見すると揶揄っているようで――実際その通りではあるのだが、三人が浮かべている嬉しそうな笑顔は明らかに本物であったから、存外、藍墨も悪い気だけではなかった。



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