末幕
私は一つの無駄もない洗練された動作で、テーブルに置かれた籠から飴を一つとり上げて包装紙を外し
、口元に運ぶ。スタジオ全体の緊張感が伝わる。しかし、指が震えることも眼球が微細動を起こすことも
ない。それがプロフェッショナルというものだ。飴玉が舌に乗った。ゆっくりと口を閉じる。
「べキ」
「カット。」
まったく、今のご時世、音ぐらいどうにでもなるだろう。
こっちは80年、飴噛んできたんだよ。今更、治るもんか。
嗚呼、私はなんて劣悪な環境で仕事をしているのだ。ここまで落ちぶれてしまうとは銀幕スターだった
頃には考えもしなかったろう。
役者やタレントといった撮られるような仕事はすべてロボットや電脳上の仮想人にとって代わられた。
その方が安くつくし、監督や演出に逆らったりもしない。今はもう誰も役者を目指さないのだ。
こういう特殊な生身が必要な時だけ、私のようなベテランの生き残りやバイトが雇われる。演技の講習
がいらない分ベテランは重宝されるが、小遣い稼ぎにしかならないな。まぁそれでも、ギャランティが自
分に来る分、製作のレベルはとんと下がってしまうが、私の知ったことではない。
「休憩を取らせてくれ。薬の時間だ。」
どいつもこいつも白々と散っていった。一人、薬を流し込む。その数にカメラマンが引いているが、気
に留めない。年寄りとはこういうものなのだ。
「あのですね。このコマーシャルというのは、弊社の商品が、ご高齢でも安心して長時間舐めてもらえる
ことを視聴者様に御覧に入れるためのものでして。そのためには実際に3時間舐めてもらえないとですね。放送時には早送りになりますが…」
監督だというこれは、ただのロボットだ。この話ももう三回目。全く同じ内容を繰り返すだけの安物だな。
長期の撮影を覚悟したカメラマンはセットの飴を一つ拝借する。
「うっ。なんだこれ。」
「おい、どうした。」
「あの爺さんどうなってんだよ。」
サルバドール社の新作、ミル飴。3時間にわたって舐められる大きさと誤飲の問題を解決した傑作。人
間の唾液に触れるとその部分がローションのようにとろけて、誤飲しても喉に詰まることはなく安心して飲み込める。
撮影が再開される。老人は相も変わらず、飴を砕き続けた。時間は不毛に流れ続け、最後の一つも漏れ
なく噛み砕いた。
「バチ」
いや、砕かれたのは飴ではなく。老人の歯ではないか。これは一応労災になるのだろうか。CMの撮影
は今日のところは中止となり、彼は歯科医にすぐ連れて行かれた。こういう現場では以外と手厚いサポー
トを高齢者は受けることができる。私はというものバイトをバックレて初めての撮影に臨んだものの散々たる結果。ギャランティの交渉も難航している。これからどうしたよいか。ミル飴をなめて考えよう。
数日後、ニュースにあの老人が出ている。
「今回の調査で、65歳以上の役者のおよそ9割が人間でないことが判明しました。なお、本人たちは軒並み行方不明となっており、犯人の情報と合わせて警察が懸賞をかけ情報の提供を呼びかけています。」
「これにも大量の偽装ロボットが懸賞目当てに送り込こまれているんですよね。」
「警察は連日、本人かロボットかの確認に追われているそうです。」