隣国 VS 便意
俺は背負っていた鞄を前側に移し、その場にしゃがみ込んだ。
「ほれ、掴まれ」
「は? 何やってんのアンタ」
「だから掴まれって。一気に国境を抜けて、っつーのは流石に無理かもだけれど、とりあえずこの場所からは大急ぎで離れる。いいから言う通りにしろ、じゃなきゃ置いてくぞ」
尾行を警戒していなかったことに負い目があったからか、延寿は渋々ながらも俺の指示に従ってくれた。
「変なところ触ったら殺す」
「触る余裕なんてねぇよ」
さてさて取り出しましたものは先ほど街を出る前に買っておいた長い紐。こいつで俺と延寿を結んで、離れないようにして、
「いや、ちょっと、きっつ……! 何してんのアンタ?」
「いいからしっかり結ばせろって。さもなきゃ落下死だぞ、っと、これでよし」
俺は俺に向かって《ウォシュレット》を発動させる。正確には、手のひらと、足の裏に。
「人間2人分で試すのは初めてだが……持ってくれよ、俺の《ウォシュレット》……!」
ゴゴゴゴゴゴ、と水洗便所の詰まりが取れたような音を立てながら、俺たちの身体は10センチほど地面から浮き、
「飛べよぉぉぉぉぉぉーーーーー!!!」
「っ、きゃああああああああああ!!?」
ウォシュレット 飛んだ
尾根まで 飛んだ
尾根まで 飛んで
壊れて 消えた
と、いうわけで、途中何度か小さな村や少し大きめの町での補給を挟みつつ、数日後、俺たちは無事に隣国へとたどり着いた。
日本の都道府県、いや北海道はデカすぎるんで除外しよう。国の面積は都府県1つ分くらいの大きさを予想してたんだが、思ってた以上に広かった。そういやおっちゃんが大陸の半分を支配していたって言ってたし、アメリカの州の1つくらいの大きさがあるって予想を立てるべきだった。
ちなみに関所みたいなところを無視して、空を飛んで不法入国した。小さな村なんかもいくつか見えたが、そういうのも全部無視。俺と延寿が再開したのと同じくらいの大きさの街を見つけて、そこに立ち寄ることにする。というか立ち寄ることを勝手に決めた。空を飛んでると風が凄くて会話なんて出来ないし。
ところで国が違うと、使える貨幣も当然違う。一応は国境に近い村とか、大きめの街なんかだと両替えも出来るらしいのだけれども、結構な手数料を取られてしまうのだとか。
おっちゃんもこの辺アドバイスしてくれていて、宝石とか貴金属とか、その国でしか買えない品を買っておいて、隣国で売って両替えするのがお得らしい。輸送費とか希少性とかもコミコミで、普通に両替えするのの2倍にも3倍にも増やせるという話だ。
もっとも、そのためには十分な元手と、商品をさばく伝手と、贋作を掴まされない諸々が必要になるとのことで、そんな余裕がない俺たちには取りようのない手段だった。
「で、どうすんの?」
人目に付かないところで降りて、街目指して歩いている途中で延寿が聞いてきた。
「俺がやったのと同じ作戦で行こう。山にじいちゃんと一緒に住んでたけど、じいちゃんが死んだんで山を下りてきた。俺とお前は、えーっと、兄妹?」
「全っ然似てないじゃない。絶対怪しまれるわ。私はおじいちゃんに拾われた捨て子で、姉弟同然に育ったって設定で」
「オッケー、それで。金についてはじいちゃんが使ってたやつで、この国のじゃない理由は死んだじいちゃんに聞いてくれって言おう」
「アンタ本当そういう悪知恵はすぐに働くわね」
「オメーの《占星術》が不発しまくらなければもっとマシな作戦が立てられたかもしれねぇけどな」
「文句があるなら曇り空に言いなさい。それか雲より高く飛んでちょうだい」
「《ウォシュレット》が持たねぇよ。いや、延寿の両手両足も使えば行けるか……?」
「馬鹿言わないでよ。副次効果の便意を無効に出来るのはアンタだけじゃない。私に漏らさせながら空を飛べっての? 変態飛行はこの世界にアンタ1人で十分よ」
「そうなんだよなぁ。そもそも俺以外には重複発動も出来ないっぽいし」
街の中にはすんなり入れた。ただし入場料は馬鹿高い。俺が冒険者登録した街の、5倍もの額を吹っ掛けられた。
「クッソ、足元見やがってあのクソ兵隊ども。《ウォシュレット》使ってやろうか」
「ちょっと止めてよね、そうやってすーぐ揉め事起こそうとするの」
「いや俺がやったってバレねぇって。魔法の特徴は説明しただろ」
最初の目的地は前回と同じく冒険者ギルド、もとい傭兵ギルドだ。
ククク、この街のどぶも隅々まで綺麗に洗い流してやるぜ……! どぶ洗いのトト、復業だ!
「だから! 責任者を呼べっつってんのよ!! アンタじゃ話にならないっつってんでしょうが!!」
傭兵ギルドに到着すると、何やら豪華なドレスを来た女が受付と揉めていた。護衛なのか、剣や鎧で武装した男女が1人ずつすぐそばにいる。
何度も叱責を受けたのだろう、受付のお姉さんはすっかり泣いていた。併設された食堂の客たちも見て見ぬふりをしている。
「なんかこれアレだな。ほら、何年か前に流行ったコンビニバイトとかに難癖付けて土下座させる動画のやつ」
「は? 何よ急に」
「俺あれ嫌いだったんだよね。というわけで《ウォシュレット》っと」
「あ、ちょっと!?」
ヒステリックに金切声を上げていた女がピタリと止まった。ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるとここまで腹の音が聞こえ、腹痛をこらえるように体を丸くする。
無駄無駄無駄アーッ! 《ウォシュレット》はこんなところでは止まらないーッ!!!
「お、おおおおおおっ!? いっ、いやあああああっ!!!」
ブリュリュリュリュリュリュ! ブリュ!!
また詰まらぬものを脱糞んでしまった……。ウンコだけにね。
次の瞬間、ポカンとしていた受付のお姉さんの首が、物理的に飛んだ。
護衛の男が剣を抜き、突然切り殺したのだ。
「王女殿下の粗相を見られたからには、この場の全員生かしておけぬ……!」
女の方も剣を抜いて俺たちに駆け寄ってきたので回れ右。傭兵ギルドから飛び出して、来た道を全力疾走で逃亡する。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!! アンタやっぱり頭にウンコ詰まってるんだわ!!! どうして毎回毎回王女様に脱糞させんの!? 馬鹿なの!? 死ぬの!? 王女様脱糞指名手配タイムアタック選手権でもやってるの!?」
「今のは不可抗力だろあんなところで王女がヒステリー起こしてるなんて想像できるかってんだ!!!」
「うわ後ろ付いてきてる付いてきてる!!! 早く早く早く! 《ウォシュレット》!!! 《ウォシュレット》使って!!!」
「もう使ってる!!! けどあの女止まらねぇんだよ!!!」
いかにも女騎士然とした美人でバリキャリウーマンな感じの女の人が、「イッギィイイイイ!」「ンッホオオオオオ!!!」とちょっと少年誌には載せられない表情をしながらも俺たちを追いかけてくる。
「空飛んで逃げるわよ! 早く早く早く!!!」
「クソッ、しょうがねぇな!」
がばりと腕を広げていた延寿と抱きしめ合う。足まで絡めてのだいしゅきホールド体勢で、俺は両足に《ウォシュレット》を発動させた。
延寿と抱き合ったままこんな街中飛ぶなんて
頭がフットーしそうだよおっっ
こうして俺たちは、入国1日目にして出国する羽目になったのだった。