愛はいらないので色をください
「ふぅ」
美術館の1コーナー、そこに私の作品が並ぶ。
コーナー作りに取り掛かって4日、ようやく出来上がった。
「いいですね。ノラさんのおかげで客足が増えそうです」
そう世辞を述べてくれたのはこの美術館のオーナーにして私の恩人・エリックさんだ。眼鏡を掛けた優しいお爺さんである。
「だといいんですけどね……私の絵で、少しでもエリックさんに恩返ししたいものです」
「恩返しなど必要ありませんよ。私も孫娘ができたみたいで楽しいですから」
エリックさんは私の素性を聞かない。私を拾ってから1か月、何も聞いてこない。
エリックさんは私の素性を知っても態度を変えない……と思う。でも私は言いたくなかった。万が一にでもこの新しい居場所を失いたくないから。そして、私自身、過去を忘れたいからだ。
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1か月前まで、私はとある屋敷に住んでいた。
「油くせぇ」
それが旦那様の口癖だった。
14歳で私が嫁がされたのは侯爵家の三男、ヴィジャス=バーンズ様だ。私自身は伯爵家の四姉妹の末っ子で、まぁ政略結婚というやつである。お互い『余り物』として家を繋ぐ糧とされた。
昔から油絵が好きで、暇さえあれば油絵を描いていた。それは嫁いでからも一緒で、正妻としての務めはキッチリと果たしつつ、時間を作っては絵を描いた。
ヴィジャス様は私の絵が大嫌いだった。というか芸術品に興味が無かった。
だからか、私が絵を描いているのを見ると不機嫌そうに顔をしかめ、「油くせぇ」と言った後、その場で思いついた雑用をやらせてきた。
「絵なんぞ描いている暇があったら俺のベッドの掃除でもしてろ。汚しちまったからよ!」
ヴィジャス様の両脇には歳を召した美女がいる。ヴィジャス様は年上の女性が好きで、4つも下の私には興味を示さず、統治している街で好みの女性を見つけては屋敷に入れていた。
(別に構いませんけどね。私もあなたに興味はありませんし)
お互い家の格を保つための婚約。絵の具を買うお金さえくれれば好きに生きてくれて結構です。
大抵のことは許す――つもりだったのに、あの人は平気で私の『許すライン』を越えてきた。
「あれ……?」
ある朝、屋敷の外にある私の小屋がなぜか空っぽになっていたのだ。
慌ててヴィジャス様の部屋を訪ねる。
「ヴィジャス様……私のアトリエに、何かしましたか?」
「あぁん? ああ、そういや侍女に掃除を任せたっけな~。油くせぇモンは全部処分しろ、ってな」
ヴィジャス様は私に視線を合わせず、鏡に映る自身の顔を見て、満足げに笑った。
「これで俺様に集中できるな。お前は俺の妻なんだから、俺のことだけ考えておけば――」
パチン。と、私はヴィジャス様の頬を叩いた。
「……お前、自分がなにしたかわかってるのか?」
「もちろんです。お世話になりましたヴィジャス様。失礼します」
「帰る家があると思うなよ? すぐにテメェの家にこの事を通達してやる」
「勝手にどうぞ。もう……家に縛られるのはお断りです」
私は部屋に戻り、ドレスを脱ぐ。動きやすい衣服に身を包み、部屋に隠していたスケッチブックと絵具をバックに詰め、馬車に乗れるだけの金を持って屋敷を出た。
馬車に乗って、私は御者に「できるだけ芸術を理解できる街に連れて行って」と、かなり無茶なことを言った。御者は戸惑いつつも「わかりました」と、空に浮かんだ太陽が沈むほどの時間を掛けて私をその街へ連れて行ってくれた。
芸術の街――『レグアーティカル』。
「ありがとうございます。これがお金です」
距離に見合ったお金を渡し、馬車を降りる。
海に隣接した街で、素晴らしい景観だ。統一性は無いものの、1つ1つの家の外装が凝っている。街には川が通っており、小舟に乗って移動する人がいっぱいいる。どうやらこの街では移動手段として小舟を採用しているようだ。川もとても綺麗。
美術館が一定距離毎にある。ふと覗いた料理店も上品だ。ウェイターは髪をきちっと整えていて髭は1本も見えない。飾られている絵画も内装に合ったものがチョイスされている。
露天商が並ぶ道に出る。1人の露天商に「ここで商売しても大丈夫ですか?」と問うと、露天商は「自由だよ」と返答した。
最初は似顔絵師から始めた。筆1本で稼ぐにはこれしかない。相手の顔をそのまま模写したり、金額の上乗せ次第で背景も描いたり表現を足したりした。意外に盛況で、1日分の生活費を稼ぐことはできた。似顔絵の売れ行きが鈍り始めた時は街の様々な風景を切り取って描き、風景画を売り始めた。ただ似顔絵も風景画も安定して売上は出せず、金銭的に辛い日もあった。けれど、自分の絵を評価されるというのはとても幸せで、その幸せパワーで貧乏生活にも耐えられた。
そんな博打のような生活をしている時、エリックさんに出会い、美術館専属の画家として雇われた。
それからは美術館のお手伝いをしつつ、絵を描く日々を過ごした。人生とは、世界とは、こんな楽しいのかと思うぐらい充実した日々だった。
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今にしては随分ギリギリの道を歩いたものだ。と、私は自分のコーナーにある絵を見ながら思う。絵を見るだけで、その絵を描いていた時の自分が蘇る。パン屑で1日を凌いだこともあったし、野宿したこともあった。私が誰の悪意にも触れずに済んだのはこの街の治安の良さのおかげだなぁ。
「それじゃあ、そろそろ美術館を開くよ?」
「はい」
エリックさんの美術館はハッキリ言って小さい。エリックさん1人で運営できるほどの大きさだ。絵の点数は48。他には陶器と銅像とかが置いてある。数は少ないがセンスは抜群で、客は毎日そこそこ来る。
緊張する……自信がない。エリックさんは良く褒めてくれるけど、エリックさんは優しいし、お世辞で褒めてくれている可能性が大きい。露天商をしていた時とは違う。ここは美術館なのだ。美術の上澄みが並ぶ場所。そんな場所に、私の絵が並ぶなんてやっぱり場違いだ……。
「いらっしゃいませぇ~」
開館する。
まだ朝の9時。増えてくるのは昼過ぎ13時頃から。
ポツポツと客が入る。10分経過して3人ほどだ。
その内の1人が、私のコーナーで立ち止まった。男性、20歳ぐらい。金髪で、整った顔立ち。ボロボロの服を着ているからアレだけど、ちゃんとした衣装に身を包めばあちらこちらから女性に声を掛けられそう。それにしてもあの茶頭巾は本当にセンスが……ない。
チラチラと、展示物の銅像の陰から覗いていると、
「おや?」
「あ」
目が合ってしまった。
仕方なく物陰から出る。
「なにか用かな?」
「あ、いえ、その……どうでした? そこのコーナー……」
「ん? ああ、ちょっとビックリしたよ。エリックは穏やかな絵を好むのに、こんな迫力のある絵を飾るとはね。風景画を見るにかなり高い技術を持っていて、それでいてこの抽象絵画の持つ独特な表現……素晴らしい画家だ。このノラって画家は」
つい、頬が緩む。
「え、えへへ……そうですかぁ?」
「なんで君が照れるんだい? もしかして、このコーナーを作ったのは君なのかな。このノラという画家は君のお気に入り?」
「ノラというのは、我が美術館の従業員の名ですよ」
いつの間にか背後にいたエリックさんが言う。
「え……え!? まさか……君かい?」
「はい。そうです」
「そうか……そうか! それはまた凄いな。こんな……まだ15にもなってないだろ?」
「はい。今は14で、もうすぐ15になります」
「若すぎる……天才というのは存在するのだな」
天才……!
はぁ……家柄関係なく、素の自分を褒めて貰えるのがこんなに嬉しいなんて……!
「お客様、お時間は大丈夫ですか?」
「おっと、いけない。もうこんな時間か。失礼するよ」
茶頭巾の男性は慌てて美術館を去る。
「お知り合いですか?」
「ん? ああ、まぁね。特別なお客様だ」
客に『特別』とか言うのはエリックさんらしくないな……お客様は皆平等、って人なのに。いや、そんなエリックさんが特別というだけの人……ともとれる。
それからそのお客様は3日間隔で美術館に来た。
来る度褒めてくれるので、私は嬉しくなって……新しい絵を次から次へと描いた。これが筆が乗るという現象か。こんなに絵を描くのが楽しいのは初めてだ。
何枚も何枚も絵を描いた。何度も見て貰って、何度も言葉を交わした。時にくれるアドバイスはとても的を射ていて、おかげで短期間で凄く上達した。
本当に楽しい時間だった。
だけど――ある日を境に彼は美術館に訪れなくなった。
「飽きた……のかな。私の絵に」
「いやいや、そんなことはありませんよ」
エリックさんは慰めてくれる。「今は忙しいだけだ」と。
だけど1週間、2週間、1か月と、彼は来なかった。1か月ずっと忙しい……なんて人がいるだろうか。美術館に足を運ぶ数十分も惜しい人がいるだろうか。
彼が来なくなってから2か月後の夕方。
私は自分のコーナーで彼が来るのを待っていた。
……もう閉める時間だ。
「ノラさん、もうそろそろ……」
「はい」
閉館の準備を始めようとした時、
――チリン。
と来客を知らせる鐘が鳴った。
私は僅かな希望をもって、入り口扉に向かう。そこに立っていたのは……見たくもない顔だった。
「ヴィジャス……様」
「よう。迎えに来てやったぜ。レヴィナ」
体が震える。
慣れ、というのは大きい。この男と過ごしていた時はこの男のことをなんとも思っていなかった。なのに、少しの間離れていただけで――こんなにも怖くなるなんて。自分の領域が、人生が、ひび割れていく感覚……全身がゾッとする。
「お客様」
エリックさんが私とヴィジャス様の間に入る。
「彼女はノラという名前ですよ。レヴィナという方とは別人です」
ノラは私がこの街に来てから名乗っている名前だ。レヴィナ、という方が私の本来の名前になる。
偽名を使っているのは家柄を知られたくないためだ。
「どいてろジジィ。おいレヴィナ、早く来い。テメェに役目をくれてやる」
「やく、め?」
「お前に絵を描かせてやる。存分にな」
嘘……。
この人、まさか自分の行いを反省して――
「まさかお前の絵があんなに金になるとは思わなかったぜ」
「え……?」
「使用人がよ、捨てろっつったのに勝手にお前の絵を売りに出していてな。後で問いただしてみりゃすげぇ大金で買い取られていてよ! はっはっは! ビックリするぜ~、あの額! 絵1枚で馬の1頭や2頭が買える程だ。あんな落書きがだぜ!? お前の絵を売って売って売り捌けば兄貴たちに資金力で勝てる! 俺が当主になる道が生まれるってわけだ!」
この人は……どこまでも、腐っている。
「……私は、いきません」
「あ?」
右の手首を、思い切り掴まれる。
「なに生意気なこと言ってんだ! テメェは俺の所有物なんだよ。拒否する権利があると思うな!」
「いたいっ……!」
「ちょっとお客様……!」
「黙ってろジジィ!」
エリックさんはヴィジャス様に仕える騎士に取り押さえられる。
「エリックさん!」
「ぐっ……!?」
騎士は他にも5人ほどいる。
――逃げるのは不可能か。
(ならせめて、エリックさんに迷惑を掛けないように……自分からっ……!)
私はヴィジャス様の元へ歩み寄る。
「それでいいんだ。油女」
ヴィジャス様はその左手を、私の頭に伸ばす――
(ああ……良かった。最後に思う存分、楽しく絵が描けて……)
これからはきっと、奴隷のように扱われ、絵を描かされ続けるのだろう。
そんなやり方で生まれた絵なんてたかが知れているけど、この人にそんなことわかるはずもない。
ありがとうエリックさん、私に幸せの時間をくれて。ありがとう名も知らない茶頭巾の人、あなたのおかげで――私は……描くことを本当に心から楽しむことができた。
ありがとう――
「……これはこれは、とんだ修羅場だな。エリック」
ヴィジャス様の手を、白い手袋に包まれた手が掴み上げた。
「あん? なんだテメェ」
「あ、なたは……」
いつもの茶頭巾じゃないけど、間違いなく、あの茶頭巾の男性だ。
白いスーツとマントに身を羽織っていて、まるで白馬の王子様のよう。
「申し訳ないノラさん、少しばかり国王陛下に急務を任されてね。君の絵を見る時間を取れなかった」
国王陛下……?
「いってぇな!」
ヴィジャス様は手を振り払う。
「ロイ様……ありがとうございます」
エリックさんが言う。
ロイ……どこかでその名を聞いたような……?
「ロイ……だと!?」
ヴィジャス様の顔が青ざめる。
「ロイ=フリュードルか……!?」
「如何にも。私がロイ=フリュードルだ。一応、国王様に騎士団を一任されている者だ」
「え……!?」
ロイ=フリュードル……知っている。とんでもない大物だ。
平民の出でありながらその指揮と武勇で何度も国の窮地を救い、国王様より寵愛を受けている。この街もロイ様が国王様より預かっている領地だ。確か歳は28とかだったはず……わ、若作り過ぎる!?
「悪いけどヴィジャス殿、彼女はこの街の人間、つまり私が守るべき『民』だ。おとなしく引いてくれるかな?」
「ぐっ……平民出が調子こいてんじゃねぇぞ……!」
「おいおい一応公爵同等の権力を与えられているんだよ? 少しは言葉に気を付けるべきじゃないかな。ねぇ、侯爵家の三男坊さん」
「お前、俺のこと……!? くそが!!!」
ヴィジャス様は腰の剣に手を添える。
「別に力づくできてくれても構わないよ。荒事は嫌いじゃない」
ロイ様は顔こそ笑っているけど、その瞳は狼のソレだ。
「早く決断したまえ。退くか否か」
ロイ様はいつもは持ってこない騎士剣に手を添える。その瞬間、空気が鋭く尖るのを感じた。
権力、知力、迫力、暴力、ついでに言えば容姿も、ヴィジャス様より遥かに格上だ……。ヴィジャス様付きの騎士はもう完全に戦意を喪失している。
「…………ちっくしょうが!!」
ヴィジャス様は何もできず、騎士を率いて美術館を出た。
「やれやれ、君も厄介なのに執着されているね」
執着、か。
「……あの方が執着しているのは私ではありません。貴族の娘で、自分の言うことをなんでも聞くレヴィナです」
「あれ? 君がそのレヴィ――」
「私は『ノラ』です。お忘れですか?」
「……っ! はは! そうだったね」
これからは『偽名』じゃない。
『ノラ』を真名として、生きていこう。
「ありがとうございますロイ様……本当に……」
深々と頭を下げる。
頭を下げたのは謝意の気持ちを伝えるため。そして、涙を隠すためだ。
「感謝の気持ちがあるなら、ちょっとばかし私のお願いを聞いてほしい」
「? なんでしょうか?」
「部屋に飾る絵を描いてもらいたいんだ」
顔を上げる。
「絵……ですか」
ロイ様は困ったように眉を寄せる。
「実はね、今度重要な会議があるのだが、その相手がとても目利きでね。彼は城に飾られている絵や銅像が芸術性に欠けると無言で帰ってしまうんだ。君には――彼との会議の場に飾る絵を描いてほしいんだ」
「そ、そんな重要な絵を……私が!?」
「ああ。君にしか頼めない。この街には美術家は多くいるが、皆彼に怯えて依頼を引き受けてくれないんだ」
そんなの私だって……でも、そんな目利きの人に絵を見てもらえるのはまたとないチャンスだ。
それに、ロイ様に恩返しもしたい。
「やります。やらせてください」
「……やはり君はいいね。うん、とてもいい目をしている」
ロイ様……今は『様』なんて付けているが、『ロイの野郎』と呼び出すのはそう遠い話ではない。
これは、1度貴族から平民に身分を落とした私が、画家『ノラ』としてまた成り上がる物語。そう、この人、ロイ=フリュードルのせいで、灰色だった私の人生は色づいていく。
【読者の皆様へ】
この小説を読んで、わずかでも
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よろしくお願いいたします!
あと女性主人公の新作を始めました!
『スナイパー・イズ・ボッチ ~一人黙々とプレイヤースナイプを楽しんでいたらレイドボスになっていた件について~ 』(https://ncode.syosetu.com/n1479kd/)
コミュニケーションが苦手な女の子が頑張るVRMMOモノです。こちらもよろしくお願いします。