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第0話 赤黒の闇より

 ふく‐しゅう‥シウ【復讐・復讎】

 〘 名詞 〙 あだをかえすこと。 仕返しをすること。


 ある文庫本を読んでいて、何故かその言葉にやけに目を惹かれたことを、今でも鮮明に覚えている。


 復讐、という行為がある。

 家族を、友人を、或いは恋人を、傷つけたモノに対して報いを受けさせ、恨みを晴らす行為。


 考えたことがある。

 なんてことはない、くだらない話だ。

 なんでもかんでも極端な話に持っていきたがる、子供の様な妄想に過ぎない。


 ……仮の話だ。もし、仮に。

 恨みを晴らすべき相手が、一個人ではなく、世界そのものだと仮定したらどうだろうか。

 大切な何かが失われた時に、その結果が誰かや何かの悪意によらず、ただただ、世界が「そう」であるがゆえに「そう」なったのだと告げられたらどうだろうか。


 復讐相手が一個人ならば簡単だ。

 詰れば良い。

 痛めつければ良い。

 殺せばいい。

 やり方を問わないのであれば、その行いを後悔させることなどいくらでもできる。

 

 だが相手が世界そのものだとすれば?

 世界は悔やまない。

 世界は顧みない。

 世界は、何の応えも返すことはない。


 生じた怒りも、悲しみも、全てを磨り潰して均衡を保つ。

 暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐に鎹とはこのことだ。

 無意味だ。無意味極まるだろう。


 だが、復讐が無意味に堕したとして。

 嘗て受けた傷を癒やす事はできるだろうか。疼く哀しみを飲み干す事は可能だろうか。


 ――その怒りは、何処へ行くのだろうか。

 

   ◆


 「つまり、消化の効率がめちゃくちゃ上がったってこと?」


 「まぁ大まかにはそうだな。あとそれと敵の力のコピー」


 フェンリルの撃破に成功した後、二人は自らが得た能力の詳細を共有しながら話し込んでいた。


 涼やかな風が吹き抜ける、穏やかな夕方前。

 死闘の後の小休止には、ちょうどよいだろう。

 

 「まぁ能力についてはこんな所かな……しばらく休んだら、また動くか?」


 「うん、そうしよっか」


 「足のケガは……俺が背負って行けば一応解決か。血、とまってるんだよな?」


 「うん、だいじょーぶ!うへへ、シュウくんのおんぶ、久しぶりだぁ~」


 「あのなぁ……」


 ハルカの気の抜けた発言に苦言を呈しつつも、シュウの口の端はほのかに綻んでいる。


 「そうだ。ねぇシュウくん、この先、どうするつもりなの?」


 「どうするもこうするも、そりゃ、町を目指して——」


 「確かにそれもそうなんだけど、私が言いたいのはもっと……先の話って言えばいいのかなぁ。()()()()()か、それとも()()()()()か」


 「あぁ、そういう……そうだなぁ……」


 思いもよらぬ発言……というほどではないが、少し意識から外していた事に少し考えこむシュウ。


 「うん、俺はこの、『捕食』の力があって、ハルカにも、さっき俺を援護してくれた力があった。

 正直、この世界で生きていくのにはそう困らない——というか、並大抵のことなら多分解決できる、と思う。」


 「なら……」


 「だけど、さっき思ったんだよ、()()()()()()()()()()()()()()。生き抜く術がない~とかじゃなくて、精神的に向いてない。

 多分、この世界は思ってる以上に過酷だ。さっきみたいな事になることも、一度じゃ利かないと思う。そう考えると、なぁ……正直できるからって、あんなドンパチはしたくない。命の取り合いなんて、本の中だけで充分だ。

 それに――」


 「それに?」


 ――ハルカが傷つくのは、怖い。

 その言葉は、喉に突っかかって出なかった。どうにも本人を目の前にすると、面映ゆい。


 「ンッ、とにかく、俺は帰りたいってこと!まだ向こうでやり残したことも全然あるし!」


 「そうだね……そっか、じゃあ当面はゆっくり生活しつつ、現実への戻り方を探すってこと?」


 「そうだな、正直戻り方なんて皆目見当もつかんけど、まぁ二人なら、きっとなんとかなる――」



 ――言葉はそこで不自然に途切れ、シュウの体は横向きに倒れた。


 「シュウくん?」

 

 訝しむ言葉を発したハルカも、次の瞬間には地に臥せっていた。


 静寂。


 「ハ……ク、ッソ……!なんッ……だ、これ……!」


 体が萎える。

 筋肉が萎む。

 血が詰まる。

 全身から麻酔でも打たれたように力が抜けていく。

 座り込むことすら出来ない。身を縛る重圧の前に倒れ伏すことしか、この環境の中では許されない。


 横隔膜が蠕動しない。

 肺胞が伸縮しない。

 途絶え途絶えの呼吸。

 

 意識しなければ心臓の拍動さえも止まってしまいそう。

 不自然に逆流した血が、空気を求めて開かれたシュウの口から漏れた。

 

 異常が発生したのは、彼らの身体だけではない。

 

 枯れていく。

 草が。

 花が。

 木が。

 この場にあるもの全てが、枯れて朽ちて散っていく。

 

 振るえながら飛ぶ虫が、ポトリと落ちて、動かなくなった。

 

 ――生命搾取。

 それはこの地に於ける()()()()

 ある一定の領域内に存在する生物から、その生命力を際限なく搾り取る。その結果対象に齎されるのは避けること能わぬ『死』ただ一つ。

 まるで日が昇り沈むように、四季が途絶えること無く廻るかの様に、天気が移ろい変わるように、理由も無く、意味も無く、ただ純然としてそこにある「世界のルール」である。

 

 ――何の意義も無く、生命は還る。

 

 今にも閉じそうな瞼。

 重く伸し掛かる意識。

 断絶と再接続を繰り返す五感。


 その中を流れる、思考の上澄み。


 耐える 無理 五分も体は持たない

 逃げる 無理 這いずるだけで精一杯 そもハルカは移動不能

 喰らう 無理 周囲の生物は皆朽ちて消え去りゆく そもハルカは『捕食』の力を持たない 

 

 思い浮かぶ思考を片端から破却していく。

 

 「畜生、が……」 


 詰み。チェックメイト。手詰まり。万策尽きた。


 リフレイン。

 シュウの脳内でどうしようもない言葉の群ればかりが、いつまでも止むことなく反響する。

 

 「クソッ……!なにか、なにか……ない、のか……」


 「シュウ、くん……」


 「大丈、夫。大丈夫だから……!」

 

 ハルカ、ハルカ、ハルカ。

 心内で彼女の名を繰り返し呼ぶ。

 せめて、彼女だけ。彼女だけでも。

 

 打開、せねば。

 その焦りすらもゆっくりと紗がかかり、鈍化していく。


 「――シュウくん。」


 酷くかわいた声がした。


 「私、もうダメだぁ……」


 弱弱しい発言とは裏腹に、ハルカの表情は嫌に穏やかだった。

 まるで、これでいいのだと、これこそが命にふさわしいのだと、言わんがばかりに。


 「死なない、ハルカは……」


 そんな言葉を咄嗟に口にして、シュウは己の発言の虚しさを自覚した。

 それの発言を担保できるものを、力を、思考を、何一つとして持っていない。


 黙り込んだシュウに緩やかにかぶりを振って、ハルカは続ける。


 「この体の重さと関係あるのかな。傷口が開いちゃって、足の血もさっきから止まらないの。もう下半身の感覚もなくなってる。たぶん、私は――」


 どくどくと、溢れるそばから空気に溶け雲散霧消する血液。血溜まりが出来ることこそないが、剥き出しの岩肌は誤魔化しようのない赤に染まっていた。

 どうしようもない現実。シュウは認められずに頭を抱えて呻く。


 「やめろ」


 「ううん、いいの。私はこれでいい。終わって、いい。」


 「やめてくれ」


 「けど、きみも死ぬのは、それだけは、いやだから――」


 「やめてくれ……!」


 シュウの目には、ハルカが触れれば崩れ落ちる砂上の楼閣のように儚く見えた。

 実際儚いのだろう。その顔は異様に青白く、その体温はすでに生者のそれではない。

 どうあれ、数瞬の猶予の後、()()()()()()()


 「だから、だからね――」


 ハルカは、まるで、祈るように、歌うように。

 

 「――私を、食べて」


 微笑みを浮かべたまま、たったひとつの冴えたやりかたを、口にした。


   ◆


 こうなることは、なんとなく、分かってたんだと思う。


 あの狼に食べられかけた時から――ううん、たぶん、ここに来たときから、ずっと。


 臆病な私は、ここじゃあ多分、生き残れないだろうなあって。まぁ思ってたより早かったのは、少し名残惜しい気もするけど。


 だから、君のせいじゃないよ。私はいつか死んでたから。むしろ、良かった。君を助けるなんて死に方を選べた。こんなに嬉しいことないって、心からそう思える。ほんとだよ?


 そんな感じで私的にはだいぶ満足してるから、気に病んで欲しくないんだけど……君は多分、守れなかった〜とか自分を責めるんだろうなぁ……


 そんな君が哀しいな、って思う反面、嬉しいな、とも思います。

 それだけ、私のことを想ってくれたってことだから。ワガママ、だよね?私は、どうしようもなく身勝手で、どうにもならないくらい、君が大好きな女の子なのです。

 

 うん、伝えたいことはそれぐらいかな。君に伝わってるかはわかんないけどね。

 さよなら。元気でね、シュウくん。

 こっちにきちゃ、ダメだよ。

 大好き。


   ◆

 

 その問いに、今こそ答えよう。

 受けた傷は癒えない。疼く哀しみは飲み干せない。

 

 ――その怒りは、何処へも行かない。

   

 頬に付いた彼女の血を手の甲で拭う。口の端に微かに触れたそれは、ドロリと濁る蜂蜜の様に甘かった。今まで喰らったどんな食物をも凌駕するような美味に舌が腐り落ちそうになる。


 嵐が如く続いた重圧から、体が解き放たれる。

 眼前には、生前の面影など微塵も残らぬ彼女だったモノ。

 

 外付けの捕食器官である触手は、使わなかった。

 こんな汚らわしいモノが、彼女の体に触れると考えただけで、虫唾が走ったから。彼女は俺だけのもの。俺だけが彼女に触れていい。

 

 狂おしい程の思慕が、胃を起点にして駆け巡るのを感じる。血液は熔けた鉄に、五臓六腑は竈になったかのよう。今更、なのに。

 

 応急処置で埋めていただけの腹の傷は疾うの昔に快癒している。

 散々吸いつくされた生命力も今は総身に満ち満ちている。

 生きる理由を失ったのにも関わらず。

 それでも、生かされた以上、生き延びて、生き延びて、何かを為さねば成らないのだろう。


 ――フザけた喜劇だ。


 空っぽだった。

 空っぽだった。

 彼女を失った自分を顧みれば、自らの内には底なしの空虚があった。

 生きる意味も、生きる理由も、何も見当たらない。


 ――なら何故。

 こんなにも、何かに耐えるかのように、歯を食いしばっている?


 あぁ、そうか。

 空などではない。


 これは、『怒り』だ。

 『怒り』。ただそれだけ。ただそれだけは、自らの空洞の中で種火が如く、尽きることなく燻っていた。


 ……そうだ。許すことなどできない。

 

 世界が「そう」であるがゆえに「そう」なったなんて、納得できない。

 確かに温もりを持っていたはずの彼女が、こうして無残極まる残骸になったのは、それがルールだったから、仕組みだったから、残念な話だった、仕方がない話なんだ、なんて、そんな浅い言葉の濁流で彼女の死が押し流されるなんて。

 

 そんな言説。

 そんな理不尽。

 そんな非道。

 罷り通っていいはずもない。


 「ふざ、け――」


 血を吐く様な怨嗟の声が、食いしばった奥歯の裏から漏れた。自分でも驚く程、嗄れた声だった。


 絶望を揺蕩う思考。いつまで立っても消えない後味で舌が痺れる。

 

 グラグラと煮立つ頭を振って立ち上がる。

 一拍ごとに心臓が杭を打たれた様な痛みを訴える。

 

 誰に為すべきかも分からない、やり方も分からない。目標への5W1Hが丸々欠落している。

 それでも、今の俺には()()しかないのだ。 

 

 ならば応えよう。

 生き延びた命を全て篝火に捧げ、憤怒の炎に油を注ごう。

 双頭の蛇が如く、自らの命すらも喰らい尽くして灰に還る果てに、俺は再び彼女に会えるのだろう。何の根拠もなく、そう思えた。


 ――それが俺が生き延びた意味。それが俺が生かされた意味。


 刻一刻とその光量を減じゆく茜空。沈む光が影を生み出し、赤とも黒ともつかぬ色彩の陰影が体を包み込む。溶けゆく様な、影の中。


 「――復讐だ。」

 

 赤黒の闇を引き裂いて、永劫の復讐鬼が、産声を上げた。

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