第4話 銀閃~その二~
「ッ……!」
盛大に吹き飛ばされたシュウが片腕をついてその身を起こす。
腹部には激痛。恐らく臓器が複数弾けている。
夥しい量の血液が口から溢れ出る。
右腕は欠損したまま。
膝が、笑っていた。
立てることが、生きていることが奇跡。そう言える状況だった。
「……ッ、どうやら、この老骨も『漂泊者』に通じる程度には若かったようで。老いてなお盛ん、と言った所ですかな……」
「ハッ、みっともないぜ、ご老人。年寄りの強がり程見れないものはないんだよ……!」
シュウは片頬を吊り上げて必死に口車を回す。
苦し紛れの煽りに他ならなかったが、強ち、シュウの指摘は的外れとも言えなかった。
先刻の応酬でキュリアスにも少なからぬダメージが通っている。
上質な設えの黒衣はあちこち裂け、素肌を生々しい傷と痣が大量に埋め尽くしていた。飄々とした好々爺の笑みを浮かべた頬には血のりが付着している。
中でも深刻なのは左腕だった。シュウのフィニッシュムーブを受け止め、そのまま渾身の拳を叩き込んだ左腕は、橈骨が砕け散っていた。
もはや、利き腕は言うことを聞かないだろう。
皴を重ねた額を、冷や汗が伝う。
「——強がりは、どちらかッ!」
なお、叫ぶ。
(——ッ!来るか!だが、頼みの綱のレイピアはない!利き腕が壊れている以上、先程の銀鎖のガントレットの一撃もない!こちらもダメージは深いが、触手を展開する余力ぐらいならある!利き腕以外で先程の真似事をしようとも、今度は確実にいなす!どう足掻いても貴様の負けだ、キュリアス!)
勝利の確信と共に、復讐者が腰を落とす。
その腹を、地より延びた銀鎖が貫いた。
満身創痍の体が揺らぐ。
(——ッ!?なにを、された……)
霞む視界の中で正体不明の凶器を見据える。
銀色の鎖の様に見えたそれは、銀色の木の枝だった。
(あぁ、そうか、なんて、迂闊——)
——『恩寵』。
シビュティアの言葉にあった、『魔王』の力の一端。『円卓の十二人』ともなれば、それを持たぬはずもなく。
命を司る王の力の一端であれば、それもまた命を操るが道理。
あの破滅的な威力のガントレットすらも、運用法の一端でしかない。
――自らの植物を自らの支配下に置く能力、<玉枝蓬莱>。
それが、円卓第二席キュリアスの授かった『恩寵』である。
高木から、雑草から、天から、地から、四方八方360°から、生育を捻じ曲げられ、敵を刺し貫く槍と化した銀の枝が迫る。
決死の跳躍で回避、飛び回し蹴りの要領で後ろから迫るそれを弾きつつ着地、勢いを殺しながら再び触手を展開、鈍る意識で体の際をかすめる死を感じながら捌いていく。
速度は速い、速いもののキュリアスが振るうレイピアと比べれば大したことはない。
だが、いかんせん数が多い。自らを取り巻く環境全てが敵と化した様な窮状。躱した先にすら次の一手が控えている。
意識から外れた枝葉が、うねりながらシュウの末端を貫いた。
「ガ――ッ!」
激痛の余り白く焼ける視界。震える脚で地を蹴り絶命域から必死に離脱する。
転がるように無様な着地。膝を着いて前を睨む。
——刹那、絶息。
正面にはうねりうごめく銀枝地獄、逃げ場などどこにもない殺戮領域。
見過ごされているに過ぎない。今、この瞬間にもキュリアスは足元の植物を動かしてシュウの心臓を貫くことができる。
(――だからどうした。勝ち目がなかろうが、殺す。躊躇いはない。ただ殺すだけだ。)
殺意と憎悪で微かの弱気を燃やし尽くす。
その殺意に充てられたかのように銀枝の群れもその鋭さを増す。
——上等。
片方だけの笑み。
ビリビリと張り詰める空気。
どうしようもなく周囲を圧するその殺意の中を。
「——無様よの、シュウ」
銀鈴の高笑いが切り裂いた。
「シビュティア、お前、今までどこに——」
口を開きかけたシュウをシビュティアの言葉が制する。
「貴様らの如き怪獣大戦争に巻き込まれては命がいくつあっても足らぬわ……と、思っていたが、貴様が余りにも見ておられずな。貴様はあれしきにここまで追い詰められて恥ずかしくはないのか?『魔王』なぞ夢のまた夢ぞ?」
傲岸不遜なりし化生はその童顔に人を舐めたアルカイックな笑みを浮かべ、せせら笑う。
「そこの名も知らぬお嬢様、少々下がって戴けますかな?幼気な貴女にこれよりは少々酸鼻が過ぎるかと」
「――ハッ、お嬢様、幼気と来たか。笑わせてくれる。たかだか100年足らずで老人ごっことは片腹痛し。頭が高いわ、頭を垂れよ若造!」
「お嬢様、貴女、よもや――」
キュリアスを尻目に、シビュティアはシュウの耳元で囁く。
「良いか?貴様は目先のみを見ることしかせぬが故、物量を捌ききれずに追い詰められる。
起こりを見よ。攻撃の前には必ず、直前に生命力の増大などの起こりがある。それを以て、攻勢より先んじて状況判断せよ」
「どうやってそれを判断するんだ。俺はそんなものを見る力は持ってないぞ」
シュウが問うと、シビュティアは深い海ににも蒼色の眼を細い指で示す。
「フン、我の眼は特別製じゃからな。自他の生命力を視覚として捉えることができる。優れた武人やら死線を潜り抜け続けた修羅ならそれを所謂、第六感《殺気》と感じることもあるようじゃが……ま、貴様に求めるべくもない。今回に限って、タイミングを伝えてやろう」
「——そこまでに、御座います!」
シュウが返答するより早く地面から銀枝がうねり伸びる。
「——正面、心臓!」
だが、その到達よりも早くシビュティアの指示が飛んている。
結果として、一撃は赤黒の肉塊に受け止められ、シュウを抉ることは無かった。
次の瞬間、抉れるような踏み込みとともに、彼我の距離を埋めんとシュウが走り出す。
シビュティアもまた、その姿を変える。幼児程だった背丈はさらに縮み、手のひらサイズに。背後に半透明の虫の翅を背負い、シュウの突貫に追随するその姿こそ。
——妖精。
見通す者、シビュティア。彼女が化生と呼ばれる理由は、この変化にある。
「クッ、まだまだ元気元気」
「くっちゃべってる暇あるなら指示出せ!」
「人使いの荒い!右側面、足首!正面、頸動脈!」
「オォォ——ッ!」
音を立てて銀枝と触手が激突する。弾き落とされるのは必中軌道の物のみ。傷だらけの体ながらも、ここに来てシュウの動きは洗練され始めていた。
「ヌゥ……ン!」
地から生える銀枝がキュリアスの手元で絡まり合い、巨大な1本の剣と成す。
「分かりやすいの!」
「言われず……ともォ!」
踏み込みと共に跳躍。土煙と共に足元を凪払うそれを回避する。
「撃ち落とす!」
高空に舞い上がったシュウを、地から延びる無数の枝が殺到する。
「主として手足と首の付け根!掻い潜れ!」
空中で体を制動し、右腕以外の四肢と頭を捥がんとする殺気の中を潜り抜けていく。
貫き損ね、宙に流れた枝を足場とし、シュウは駆け下る。枝の発端はキュリアス直ぐ側の地面。ここを下ればキュリアスの喉元に刃が届く。
当然、敵もそれを阻止せんと前にもまして大量の枝で迎撃を試みる。
右から襲いかかって来た三連撃を前ダッシュで躱し、宙に身を躍らせる。
頭を潰す攻勢を空中に縦一回転し回避すると同時に着地。
その瞬間、彼は銀の枝に手を触れていた。
「<破創>。」
宣言と共に銀枝の群れが崩壊し、降り注ぐ残骸はキュリアスの次手を潰す矢雨となる。
(<玉枝蓬莱>の制御を上書きされた……!?バカな!如何な強力な能力とて使用中の能力の一方的な乗っ取りなど出来るはずが……!
――まさか、この能力もまた『異能』。外なる力である『異能』を二つ以上その身を宿すとでも……!)
だとすれば。
(――彼は、想像を遥かに越えた、脅威!)
彼我の差は5m以内。高低差を加味しても全身に埋め込まれた圧縮筋繊維によって増幅されたシュウの身体能力ならば、宙の欠片を足場に一足で届く距離。
「――終いだ。」
上から下へと、キュリアスに落ちる憎悪の具現。満身創痍。シュウの渾身の一撃をまともに受ければ死は避けられない。
(――しかし、まだ。最早今の彼に足場はない!重力に引きずられて落ちるだけ。ならば!)
刹那、キュリアスの脳裏に走る思考。
<玉枝蓬莱>再起動。咄嗟に判断した着地点に、攻撃を置く。
物理法則に従う限り逃れ得ぬ、不可避の一撃。
――だが。
「<武装>」。
再びの宣言。シュウの背中が歪み、肩甲骨付近から双翼が出現する。
空を裂く大鳥の翼。生み出される揚力が落下軌道を捻じ曲げ、螺旋を描くかのようにシュウが背後に回る。
なにもない虚空に虚しく突き立つ銀色の閃撃。
「オォォォォ――ッ!」
至近距離から抉り込むように放たれるのはシュウの渾身の左拳。
「浅い!」
しかし流石は老獪、完全に虚を突いた一撃でありながらも、すんでの所で衝撃を逃された。
攻め手無し。渾身の一撃を防がれたことで、シュウは敵の絶殺域で一瞬、されど致命的な隙を晒す。
突き立たんとする銀枝の群れ。
「――バカが、本命はこっちだ。」
シュウの右腕が急速に回復、否――再生成される。
触手と同質の、圧縮筋繊維によって構成された、即席の義手。
シュウの心臓が抉られるより、尚早く。
赤黒の右腕が、キュリアスの胸郭を貫いた。
自らの肋骨より生えた、他人の右腕をキュリアスは無感動に見つめる。
――キュリアスは識っている。己が老いを。
――キュリアスは識っている。己が無力を。
それを受け入れるが故に、彼は。
「――呵。」