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懐かしき香り

 人間と魔族の接触。


 それは、今までの常識からはありえないことである。

 いや。

 一方がグワラニーの軍以外では今でもありえないことである。

 そう。

 この接触には圧倒的強者となったグワラニーの意向という大きなファクターがあることを忘れてはいけない。


「相手が魔族をこの世界から消し去ることを目標としているこの戦いにおいては、相手を屈服させ、そのうえで強者となった自分たちが譲歩する形でなければ停戦は成立しない」


 そして、これまで何度も口にしているグワラニーのこの言葉がこの根本にある思想である。


 さらに、その先にあるものについても、グワラニーはバイアに語ったことがあるのだが、それがこの言葉となる。


「できもしない人間たちを殲滅。そんなことをしなくても、停戦と国境確定さえ成し遂げてしまえば、金や銀、それから農業生産物の双方からこの国は世界の覇者になれる」


 グワラニーの目標。

 それは一刻も早い講和。

 もちろん、それは自らが王になってから実現するものである。

 だが、現状のままでは誰が王になっても講和などできるはずがない。

 つまり、今はその準備期間。

 まずは自らの圧倒的力を誇示する。

 そのうえで人間たちに自分たちが戦っている相手は話し合いができる者である示しているのだ。


 そのような表には出てこない特別な事情によって保たれている停戦状態でおこなわれる以上、チェルトーザとグワラニーの交渉が友好的な要素で出来上がっているというわけではない。


 情報戦。

 そして、交渉時の主導権争い。


 その戦いは三人の魔族がチェルトーザたちを出迎えたところから始まっていたといえるのだが、三人の魔族、その中心にいたのはアンガス・コルペリーアだった。

 いうまでもなくグワラニー軍の魔術師長であるこの老人が出迎え役に選ばれたのには当然理由がある。


 剣と魔法、双方から出迎え役を守り、必要な場合には魔法によって攻撃をおこなう能力とその的確な判断がおこなえるから。


 それがその役を買って出たコルペリーアの言葉だった。

 だが、それは遠方からでもおこなえるのだから、あくまで表面上の理由であり、真の理由は別にある。


 魔術師適正を調べる。


 それがその理由となる。


 では、三人のうちの誰かが魔術師の適正があれば、どうするのか?


 さすがに自らが安全を保証にして招きいれた相手を排除するわけにはいかないので、交渉場所をベンティーユ砦の内から外に変更する。


 そのような取り決めがおこなわれていた。

 まあ、今回はそのような事態にはならなかったのだが。


 ちなみに、コルペリーアはアリターナ語を解せない。

 アリターナ側の思惑を考えれば、この点からもその人選は間違いではないように思えるし、コルペリーアに関してはそれで十分なのだが、残るふたりもそれでよいのかと言えば、そうではない。


 なぜか?

 それは、ある条件が加わると、その人選基準は一変するからだ。


 相手が自国語を解せないとなれば、当然チェルトーザたちは内輪の話はその言葉でおこなう。

 それを情報として手に入れる。


 それがグワラニーの思惑。


 そして、そこで選ばれたのが、ウビラタンとバロチナというわけである。

 だが、当のふたりにとってこれは迷惑千万。

 不満たらたらである。


「……クソッ。毎回案内係とはつまらん役だ。しかも、今回の相手は剣も持っていないのだろう。何があっても斬り倒せないではないか」

「まったくだ。こんなことなら各国の言葉など覚えなければよかった」


 魔術師長とともに、出迎え係に指名された瞬間、遥か遠くにいる者の耳にまで届くくらいの大声での独り言、いや、ふたりごとをがなり立てた。


 さて、裏話的な前段が長くなったが、そろそろ本筋へ話を進めよう。


 チェルトーザたちとはほんの僅かの距離までやってきたところで、出迎え役とは思えぬ不愛想のお手本を示しているような表情の老人が口を開く。


「ようこそ。私はアンガス・コルペリーア。後ろのふたりはアビリオ・ウビラタンとエルメジリオ・バロチナだ」


 やや癖のあるブリターニャ語による短いとも言えないくらいの簡素すぎる歓迎の挨拶に続いたのは、自己紹介の言葉だった。


 もちろん偽名を使うということも可能であったが、相手がチェルトーザであることを考えれば、見破られる可能性は十分考えられる。

 そんなことで圧倒的な有利な状況で始められる交渉の主導権を握られるなど馬鹿々々しいかぎり。


 そう判断したグワラニーによる指示だった。


 これに驚いたのはもちろんチェルトーザ。


 ……ほう。


 チェルトーザは音のない声で感嘆の言葉を口にした。


 ……てっきり名乗らずに済ます。または、偽名を使うと思ったが、三人の様子をみるにこれは本名。

 

 そう。

 チェルトーザ自身も同様のことを考えていた。

 連れてきた以上、自己紹介をしないわけにはいかない。

 当然ながら、自分は本名を名乗るが、残るふたりには偽名を使用するように命じており、入念に準備をしてきた。

 だが、相手が予想外の手を使ってきた以上、こちらもそれに対応しなければならない。

 

 そう。

 これはグワラニーと同じ判断。


 だが、ここで問題が生じる。

 それは相手が目の前にいるこの状況でそれをどうやって伝えるかということだった。


 だが、すぐにそれを解決する策を思いつく。

 いや。

 さらにそれを逆手にとっての反撃の一手を打ち返すことを思いついたのだ。


 笑顔を崩さぬチェルトーザは視線を魔族に向けたまま、背後の部下たちに対して言葉を投げかける。


「魔族どもは小賢しい罠を用意しているようだ。だが、魔族ごとき知性の欠片もない下等な生き物が考えついた策など我々に通じないことを教えてやることにしよう。アルタムラ。モンタガート。本名を名乗れ」


 そう。

 これはチェルトーザの罠。

 ふたりに予定変更を伝えるとともに、伝達の言葉に魔族を侮辱する言葉を加えて、反応を見るというものだ。

 もちろん使う言葉はアリターナ語。


 だが……。


 ……まったく反応しない?

 ……ということは本当にわからないということか?


 ……渓谷内で我が軍を救援したときに、グワラニーは流暢なアリターナ語を使用したということから、警戒していたが、どうやら危ないのはグワラニーだけか。


 チェルトーザはそう判断する。


 だが、ここはグワラニーの想定とウビラタンとバロチナの演技がチェルトーザの目を上回ったといえるだろう。

 そう。

 実を言えば、グワラニーはふたりを出迎え役に指名した直後、その隠された役目を説明後、注意事項としてこう付け加えていた。


「相手は表情ひとつで心の読み取る男だ。そして、賭け引きの名人。大小さまざまな小細工を弄してくる」


 そして、相手がおこなう具体例として挙げたものがこれだった。


「もっとも簡単な手は我々を侮辱するような言葉を並べる。おそらく相当なものが出てくるだろう。そして、それを聞き、表情を変えるようであればそれはおまえたちの負けとなる」


「命令である。どのようなものが出てこようが、すべて無視せよ。眉ひとつ動かしてもいけない」


 そして、ウビラタンとバロチナは見事にそれをやり遂げた。

 それがこの場で起こったことの顛末となる。


 そもそもスタート地点が大幅に不利であることに加え、第三者であるワイバーンも一方に加勢したことにより、事前準備にも大きな差が出てしまい、その結果チェルトーザが一方的に押しまくられた格好となった前哨戦。


 だが、チェルトーザが何も得られないまま、本格的な舌戦に入ることになったのかといえば、必ずしそうとは言えない。


 これから交渉をおこなう相手は、これまで対した誰よりも難敵。

 しかも、その手には強力な力が握られているというおまけ付き。


 つまり、自らが挽回不可能なくらいの圧倒的な不利な立場だと理解できたうえで交渉に臨めるのは大きな成果といえるだろう。

 少なくてもこの逆より百倍マシである。


 ……久々にやりがいのある相手。

 ……と言いたいところだが、このような相手こそイーブンで戦うべきであり、これだけ不利な状況では、早い段階で相当な無理をしなければまともな交渉にならない。しかも、相手は交渉打ち切りのオプションを行使できるが、こちらにはそれが許されない。つまり、相手の顔色を伺いながら交渉しなければならない。始まる前に言いたくはないが、これは相手が大きなミスを犯さないかぎり勝つのが難しいレベルだ。

 ……さらに言えば、問題はここが法律よりも力が上位にある世界であること。

 ……言葉でどれだけ勝とうとも力の裏付けがなければ何の意味もない。

 ……まったく嫌な世界だ。


 ……いや。


 ……法律よりも力が上であるのはこの世界だけのものではなかったな……。


 その言葉を口にしながらチェルトーザの中には大昔の苦い思い出が蘇っていた。


 ……形の上では私のクライアントが勝利した。

 ……だが、結局何も変わらなかった。

 ……いや。その後の状況は悪くなったとさえいえる。


 ……勝者であるクライアントが見えざる力によって取引が激減して没落し、敗者である奴らは形ばかりの謝罪をしたものの、その後もそれまでとなにひとつ変わらぬ傲慢な姿で日の当たる場所を闊歩するのを見た時、この国において国家権力と戦うのに必要なのは法律や正義ではなく絶対的な力だと感じた。


 ……あのときに感じた敗北感と同じ匂いがするな。この戦いは。


 もちろんチェルトーザは自らが置かれた状況から自嘲気味にその言葉を漏らしただけである。


 だが、それはある意味で、正しかったともいえる。

 なぜなら、彼がこれから対峙する者は、元の世界で彼が「国家権力を自分の力と勘違いする狡賢い犬ども」と忌み嫌っていたあの国家組織の一員だった男なのだから。

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