チェルトーザの苦笑い
「マンジューク防衛戦」と「クペル平原会戦」の大敗、それに続くクペル城失陥後にフランベーニュ国内では責任問題が起こる。
当然「マンジューク防衛戦」ではもうひとつ敗者の位置にいる者が存在する。
それについて述べておこう。
アリターナ王国。
当然ながら、魔族の将グワラニーの計略によって、多くの人命を失い、さらに長年地道に進めていたマンジュークまでの道が一気閉ざされ、その奪取が軍の偉業のひとつとされていたベンティーユ砦まで奪い返されたこの国にも不穏な空気が漂っていた。
渓谷内においてフランベーニュによるアリターナ軍襲撃。
あの件についてのフランベーニュとの賠償交渉が、予想されたものより遥かに低いもので妥結したため、兵士たちの国王の評判はすこぶる悪かったのだ。
彼らの不満の核。
それはもちろん多くの同胞がフランベーニュ軍に殺されたことである。
そこには例の協定違反が大きく関わってくるわけなのだが、そもそも、相手が手掛けている戦場に割り込みをしないということはフランベーニュが持ちかけた話だった。
それなのに、戦う意志を見せていない相手を騙し討ちのように襲い、協定違反とフランベーニュの行為を警告したエジーデイオ将軍を斬り殺したのは許せない。
そもそも、アリターナ軍兵士は、「この世界にいる弱兵だけを集めてできあがったもの。それが人間の恥アリターナ軍」、「猿より弱いアリターナ軍」、「アリターナ兵は剣を磨くことはないが白旗だけは毎日洗濯する」、「アリターナ兵は敵を見ただけで小便を漏らしながら逃げる」等など数々の中傷を絡ませて揶揄われているというフランベーニュ軍に対する積年の恨みもある。
兵士たちがフランベーニュに対してわだかまりを持つのは当然である。
だが、原因がどうであれ、窮地に陥っていたアリターナ軍将兵が魔族に助けられたということを、賠償金の交渉中にフランベーニュ側が触れてこなかったことも事実。
それは、「これ以上揉めることを避けたい」という明確なメッセージ。
それを読み取ったアリターナ側は、フランベーニュの提示した額に多少の色をつけたもので引き下がったのは、同じ思いをアリターナ側も持っていたことが根底にあったからである。
「ただの協定違反であれば、我々『赤い悪魔』がこの程度の賠償額では済ませるはずがなく、領土その他さまざまなものを手に入れるところだが……」
「今回これ以上強く出ると、フランベーニュも例の件も含めてこちらの都合の悪いことを持ちだしてくるのは必定。もちろんそうなれば、こちらは、『あのままでは全滅は必定だった。つまり、規定違反と虐殺行為がおこなわれたことすらなかったことにするだろう』と反論せざるを得なくなり、対魔族の同盟など簡単に吹き飛んでしまう」
「それだけはどうしても避けねばならない。それをつくるよう動いた身としては」
しばらく後、この賠償交渉をまとめ上げたその男は少々の苦みを込めてそう述懐し薄く笑った。
そう。
実をいえば、フランベーニュとの交渉をおこなっていたのは「赤い悪魔」だった。
だから、その想定よりも遥かに低い賠償額で妥結したことに対する責任は「赤い悪魔」も負うべきものであった。
だが、「赤い悪魔」には最強の無敵神話がある。
「赤い悪魔」が掣肘なしにこんな条件で妥協するはずがない。
つまり、王や大臣がなんらかの圧力をかけたのだ。
兵士たちを含む多くの国民は、そのような言葉を口にし、王や大臣に対する非難を強くした。
「……それにしても、まさかこのようなときにあの虚名が役に立つとは思わなかった。まあ、今回は助かったのだからよしとすべきなのだろうが」
その男はそう言ってもう一度笑った。