無敵交渉人の呟き
クペル平原会戦。
フランベーニュの英雄アポロン・ボナールと彼が指揮した四十万人の軍が成すすべなく敗れ去ったその戦いの結果は多くのところに影響を与える。
ある者は喜び、ある者は悲しみ、ある者は怒る。
そして、もちろんそのどれにも属さない者もいる。
これは、この戦いの詳細を手に入れたアリターナ王国が誇る交渉集団「赤い悪魔」のトップであるアントニオ・チェルトーザが、魔族との国境確定交渉に向かう途中に部下のひとりと交わした会話である。
「虐殺?」
目の前にいるその部下ジョイヤ・モンタガートが口にしたその言葉にチェルトーザはまず黒い笑みで応じ、それからゆっくりと口を開く。
「まあ、多くの兵を一瞬にして失ったフランベーニュの言い分はよくわかる。だが、数十倍の敵に黙ってなぶり殺しにされなければならない義理は魔族にはない。自らが持つ最大戦力を使って勝利を目指すのは当然のことである。そもそも我々と魔族は戦時陸戦協定を……いや、戦う際の違反行為についての取り決めを結んでいないのだから、どのような武器を、そして、どのような魔法を使おうが自由である」
あっという間にフランベーニュ側の言い分を瞬殺したその男の言葉は続く。
「今回の戦いを単なる虐殺とフランベーニュは主張しているというが、魔族がそのとんでもない巨大魔法を行使したのはあくまで戦いのなかだ。それを虐殺と言うのなら、我々がこれまでおこなってきた、魔族というだけで女子供まで殺してきたことこそ非難すべきだろう。それを触れることなく今回の魔族の戦い方にだけ言及しようなどというのはおこがましい以外のなにものでもない。だいたい、あれが逆の立場なら、フランベーニュがその魔法を使用しなかったかといえば、絶対にない。さらにいえば、フランベーニュの奴らがその魔法を手にしていたならば、戦闘以外でもそれを使用し殺戮のかぎりを尽くしたのは疑いようがない。それに比べて、今回ボナールと対峙した魔族の将は撤退するフランベーニュ軍にそれを使用するどころか、追撃することなく見送った。言いたくはないが、実を言えばあの魔法を手にしたのがフランベーニュ人ではなくその魔族の将であったことに私は安堵しているのだ」
「そして、今後、今回と同じようなことが起きないように本当に願うのなら、彼らと必要な条約を結ぶ……」
「いや。それでもぬるい。即時停戦すべきなのだ」
「むろん不満はある。だが、相手だって同じなのだ。それでよしとすべきだろう。そうでなければ……」
「いずれ我々は滅ぶ」
グワラニーとともに二十一世紀の日本からこの世界にやってきたひとりであるチェルトーザは知っている。
元の世界に存在した一瞬で多くの命を奪うあの忌まわしき兵器の存在を。
そして、今回魔族が使ったという魔法をその兵器に重ね合わせていた。
……むろんこちらに同等の手札があれば、あの忌まわしき兵器と同様に使用制限の交渉は比較的容易に成立する。
……だが、残念ながら、こちらの手の内にはそのようなものはない。
……つまり、この交渉に勝ち目などない。
……唯一の選択肢は停戦。そして、我々がおこなうのは、そのために我々が失うものをどれだけ少なくするか。それだけだ。
……ありがたいことに、我々には渓谷内で窮地にあった我が軍を救ってもらった礼を述べるという交渉をおこなう糸口がある。さらに、前線に出ている魔族の将は話のわかる男ようなのも好条件だ。
……そして、魔族は結ばれた約束は守るとされる。
……我々の勝機はそこしかない。
……まあ、どれだけ不利な条件であっても停戦が成立すれば成功などという今回の交渉に勝ちなど存在するのか知らぬが。
……とりあえずやれるだけやってみよう。
……それにしても、興味深いな。
……その魔族の将は。