記憶の隅にも残らない彼女が私の家に訪ねてきた訳は。
いつも有難うございます
よろしくお願いします
しいなここみ様の純文学企画、菊池祭り参加作品になります。
鏡の前に立ち、おかしなところがないか見直す。
「あ、ピアスしてない」
慌ててピアスを選び、落とさないよう気をつけながら耳に付ける。
時間ギリギリ。
普通通りならば予約の時間には間に合うが、駐車場が満車で他に探さないといけない場合は間に合うかわからない。
急いで靴を履き、玄関の扉を開けた。
鍵をかけて振り向くと、そこには二人の女性が立っていた。
「菊池さん、こんにちは。お久しぶり、私の事覚えてる?」
時はコロナ禍の最中である。お互いにマスクをしていれば認識が難しい。
私よりかなり年上に見える彼女に覚えはなかった。
「えーっと?」
「ほら、マル君のママよ!覚えていないかしら?犬のマル君」
「…え、…っと…」
「あら、忘れちゃっているのね。まあ、いいわ。こうして話すのは10年振りくらいかしら?」
ブラウスにロングスカートの彼女が前に出て話しだす。
もう一人は一歩引いた所で話しを聞いていた。
2分…
私が彼女に分けてあげられる時間は2分だろう。
「あのね、私、今……素敵な活動をしているの」
そう言って自身が入信した宗教の話しをし始めた。
大きく身振り手振りをしながら嬉しそうに話す彼女の事を見ながら、私は誰とも認識できない目の前の彼女の過去10年間に何があったのかに思いを馳せた。
旦那さんとの仲が悪いのかもしれない。お子さんに何かあったのかもしれない。犬が死んだ時にペットロスにでもなったのかもしれない。
側からしたら大した事ない事でも、本人にしたら深い傷である場合がある。
ただ一つわかる事は、彼女の心の拠り所がそこだったと言う事である。
「……でね、私、これに出会えて本当に良かったと思っていて…」
やっと耳に入ってきた彼女の声にはっとする。時間切れだ。
彼女が続いて話そうとする言葉に被せるように私は声を出した。
「で…それに入って世界が輝き出したんですね?」
私の言葉に驚く彼女。「!!そうなの!」
「それで今がキラキラしているんですね?」
「…!ええ、ええ!そうなの!そうなの!」
「じゃあ良かったですね」
そう言うと彼女は感極まったのか、少し涙ぐんでいた。するとそれまで黙っていたもう一人の女性が口を挟んできた。
「ありがとうございます。そんな事言われたの初めてです。本当に嬉しいです」
と。
「人生の楽しみが見つかって良かったですね。あの、私今から出かけるので、すみません、時間がないので失礼しますね」
そう言って車に乗り込みその場を離れた。
ふと見たバックミラーには、嬉しそうに話す二人の背中が小さく見えた。
彼女と繋がりがあったという10年前、彼女がうちを訪ねて来た覚えはない。
顔も覚えていない彼女が私の事を思い出し、訪ねて来た理由。
出かける為に外に出てきた私を引き止めてまで話したかったこと。
何がきっかけで、何を始めるかは人それぞれだ。
彼女のきっかけはどうであれ、彼女は救われたのだろう。
救われたかったのだろう。
最後までお読み下さりありがとうございます。
これが純文学なのかわかりません。
私は宗教に関して思うところはありません。
何をするかは自由で良いと思っています。