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行先は双六の出目次第。

「刑事さん――、私の邪魔をしないでくれるかしら」


「そうは言ってもマダム、――事件解決のために、もう少しお話をお聞かせ下さいませんか?」


 エロイーズ・ホールデン、――猛スピードで美術館まで続く歩道を車で乗りこみ、乱暴に入口に横付けし、中から現れたのは頭から指の先、足元までいたるところに華美なアクセサリーで飾り立てた女性だった。彼女の前にラミナ・クロスフォードが立ちはだかれば、両者の間にバチバチと音が聞こえてくるような物々しい空気に変わればいやでも息苦しさが周囲に漂う。

 自分の伴侶が無惨な死体となって置かれた場所でもあるが、元々は自分たちの所有地でもある。ここの主人としての振る舞いか、堂々としたものだ。

 彼女の横暴な振る舞いに巻き込まれた人は幸いにもいなかったが、穏やかに流れていた美術館の前にあった空気が緊張に変わっていくのがこちらを見る人々の顔からも伝わる。

 折れそうな細く高いヒールとカツンと鳴らし車から降り立てば、女性らしいアウトラインがハッキリと陽の元に照らされた。

 繊細なレースが飾る光沢のある深紅のスリットが深く入ったタイトなドレスが、身体のラインとこぼれんばかりの豊満な胸元を強調したデザインで、こんな場所でこんな話題でもなければ見惚れていたかもしれない。

 ベージュ色の短い髪が動くたびにふわりと揺れ、華やかな化粧を施している顔には気の強そうなブラウンの瞳がまっすぐとラミナを睨み付けており、一歩もここを引かないと腕を組んでいた。

 彼女のボディガードだろうか、屈強そうな黒いスーツの男性が次々に車から降り彼女の後ろに並べば一触即発の空気が流れるようだった。


「この前そちらに出向いたときにも散々お話しさせていただいたでしょ? これ以上話すことなんてないし私は忙しいの。――この場を強制的に退かしてさしあげてもいいのよ」


 白く妖艶な腕を腰に当て正面から防火扉のように無機質で無感情なラミナを笑えば、黒スーツが三人一歩前に出た。


「穏便に行きましょう。それにここはもうあなた方ホールデン家のものではなくなりました。――彼らから要求があれば我々が出ざるを得ませんし、手を上げれば皆さん一緒に署まで強制的に来ることになりますよ」


 彼女の登場を待っている間に既に応援は呼んでいるので、もうすぐ警察(仲間)が到着するだろう。だが彼女たちは少しも気にした風もなく、不満そうにカツンとヒールを鳴らしてまた一歩ラミナの前に出た。


「ふぅん、……顔立ちは悪くないけれど、不健康的すぎるわね。――あとタバコ臭い」


 顔の前で手を振り、わざとらしく顔をしかめた。染みついた匂いを払おうとしているようだが、皮肉に笑んだ顔が嫌がらせ以外の何物でもないことを示している。

 ただ何か別の事を思いついたのか、エロイーズが獲物を値踏みするように目元を歪めれば、止めていない臙脂色のネクタイをクイと引き彼女より背のあるラミナの首を下げさせた。


「なにか私を楽しませてくれれば、今日のところは引いてあげなくてもいいわ。――ただ話をするんじゃつまらないし、そちらばかり欲しいものを手に入れようって態度も気に食わないじゃない。私も見返りが欲しいわ」


「我々はサービスを提供している訳じゃないので、そういった要望にはお応えできかねます」


 抵抗するわけでもなくされるがまま彼女に首を引っ張られているが、一歩も譲らぬ態度と何ひとつ動じない灰色の瞳に彼女は機嫌を損ねたようで一気に不快感で顔が歪んだ。

 ――って、今回はこのエロイーズが事件を早く解決するようプレッシャーをかけていると聞いているのに、そんなことも忘れてしまったのだろうか。暴君のお手本みたいな振る舞いにただただ呆れるばかりだ。

 綺麗な顔に似合わない舌打ちをすれば、彼女のボディガードたちがラミナを囲った。――呼んでいるはずの警察はまだ到着する気配なく、この空気に周囲にいる人たちは恐れて距離を取っている。

 この暴力的な空気が苦手だ。自衛するだけの体術は習っているが得意という訳でもないことから、彼らが手を出してしまえば止めることは出来ないだろう。それに――、腹を決め息を吐き出し彼らの近くに行く。


「あの~、争いごとはやめません? ここは美術館ですよ? 周りの人もこんな現場を見るために来ている訳でもないですし、この庭や館内を見に来て穏やかな時を過ごしている人がほとんどです。……なによりもこんな空気にしたんじゃ、ここにある美術品たちが可哀そうだ」


 三人の山みたいな男たちと緊縛トラップ男の間に入るのは正直気が進まない。止められるか自信もないが、どうにか時間を稼ぐしかないだろう。

 誰かの想いが形になった物言わぬ作品たちが、他の誰かの意志で尊重もされないこの空気を終わらせたかった。


「旦那さんも、もしかしたらそう思ってこの場所を静かに管理しようとしていたんじゃないんですか?」


「モーリスが――? ハッ、アイツがそんなロマンチストな訳ないでしょ。コレクションを最適な形で保管するためにこの美術館を建てただけよ。だからS・V・Cに頼んだんだし、いずれ買い取りたい人が現れたら金にするつもりだったわ」


 腕を組みせせら笑いながら、本音を教えてくれる。――既にいないからだろう、誰に気兼ねすることなく大声で伝えてくれた。だが自分の立場を悪くしていることにも気にしないところが、彼女の立ち位置を明らかにしていくようでもあった。

 こんな場所でそんなことを公言すればより立場が悪くなるだろうが、自分の意志を押し通せるだけの位置にいるのだろう。

 ボディガードたちの間を割り、カツンカツンと音を立てながらこちらへと近付く。


「ボウヤ、――お金はね、巡り巡るものなのよ。アシャンゴラ・ビ・アゲートにいながらそんなことも知らないのかしら。ここは私たちにとって宝石箱と同じなの。気に入ったアクセサリーを見つけて手にするために、美術館(ここ)はあるの」


 細くシミひとつないご自慢の肌艶の良い手を見せれば、彼女の衣装と同じ色の真っ赤な石が指を飾っていた。――絵画や彫像、文書なんかもバライバル美術館に飾られているが、それらは彼女の眼には入っていないようだ。

 一部の隙なく爪の先まで派手に飾られた指先が顎の下を触れて、彼女の顔が近付けば有名な香りが鼻につく。フローラルブーケの香りが、彼女の華やかさと強引さを引き立てている。


「管理を任せていただけの人間に、私の財産が奪われそうなの。――それこそおかしいと思わない? 相手にすべき人を間違えないでくれるかしら」


「そちらの件はぜひ弁護士に――。事件の解明には全力を尽くしておりますが、何度も洗ってこそ見えてくるものもあります。それにコイツの言う通り、ここで争うのは互いに得策じゃないでしょう。場所を変えて落ち着いて話しませんか」


 背後にいたラミナがこちらの腕を掴み、無理矢理エロイーズたちから引き離し間に割って入った。


「事件の早急な解決があなた方にとっても有利にさせるかもしれない以上、我々に協力して下さることも決して無駄ではないでしょう」


「退屈な話し合いは嫌いなの。そうね、……そこのボウヤになら、お話ししてあげてもいいわ」


 嗜虐的な色を覗かせたブラウンの瞳がこちらに向けられる。――何を期待しているのだろうかと悪寒が背筋を襲う。

 妖艶でボディラインに自信のあるところは嫌いではないが、ここまでの様子から決してお近付きになりたいタイプではない。


「こいつは今日私の下に配属されたばかりの新米です。――まだまだ未熟なところがありますので、マダムのお相手は務まらないかと」


「そうなの? ――ならいろいろと教え甲斐があるじゃない。私の話が聞きたいのでしょ? その子とならお話ししてあげるわ」


「できません」


 俺のために争わないで! ――思わずそんな軽口を入れたい状況だが、悪くなる空気に胃のあたりがぐるぐると気分が悪いと訴え始める。

 エロイーズとラミナが対峙する空気に、署の応援が早く来てくれと願っていれば、誰かの声が割って入ってきた。


「皆さん、こんな場所でいかがなされたので。――お話し合いを望まれるのであれば、適した場所がありますでしょう」


 この荒れた現場に似つかわしくないほど落ち着いた声だった。

 どこからと辺りを見渡せば、エロイーズたちの後ろから悠然と歩いてくる長身の白スーツに、健康的な褐色の肌色を見せつけるかのように胸元をはだけさせている夏のビーチが似合いそうなオパルス・キュリオシティが現れた。――鍛えているのだろう、筋肉質な肌の硬さが大きく肌蹴た胸元からよく分かる。セミロングのプラチナブロンドが風になびけば、ヘアケア商品のCMのように自信に溢れた深緑色の瞳を細め、見惚れるような白い歯がきらりと眩しい。

 彼の背後にはエロイーズと似たような黒服たちを引き連れているが、ここの小山みたいな男に比べれば細身のインテリっぽさが目につく。お揃いの黒いサングラスが彼らの表情を隠し、髪型もオールバックで統一されており、服装規定が細かく設定されているのだろうか。大企業に勤めるととは個を失うことだと、彼らが教えてくれるようでもあった。

 ベルトから下げている警棒のような武器が見えており、武力行使も辞さないつもりなのだろう。誰も彼もが武力行使を厭わぬ空気に、息苦しさが増すばかりだ。


「オパルス! よくも私の前にぬけぬけと姿を出せたわね! ――貴方こそ説明してくれないかしら。モーリスに一体何をしたの!」


「エロイーズさん……、そのような心無いことを言われても、私としてもこのようなことになって深く悲しんでいます。――弊社の警備体制がまだ甘いということでもありますし、同好の士を失ってしまったということでもありますので」


 哀悼の意を表すかのように悲しげに眉を落とし、首を振っている。

 遠巻きにしていた人々から、安堵感が戻ってきていた。――人気者というだけでなく、信頼の象徴でもあることが空気を通して伝わってくるようだった。ファンクラブがあるというのもなんだか納得する。

 遺書では彼をバライバル美術館の後任者として指名しているため、ここにいることは不自然ではない。だが、こんなにも早く関係者である彼とも体面するなどと思ってもみなかった。

 後ろにいるラミナは変わらず表情も変えずにこの事態に臨んでいるのだろうが、ここからどうするつもりなのかその表情から何も読めない。池で日向ぼっこをする亀でさえもう少し愛嬌があるというものだ。


「よくもそんな白々しいことが言えたわね。『同好の士』? ――ハッ、そんなこと微塵も思ってなかったでしょ。私たちの事、金を巻き上げられるだけ巻き上げてやろうと思っていただけでしょうが! 私たちがどれだけあなたを信頼して――!」


 優雅に歩いてこちらに近付くオパルスに、怒りの矛先が移ったエロイーズがこちらのことなどもう忘れてしまったかのようにあっさり離れて行った。――高いピンヒールで歩きにくいと思うが、グラつくことなくまっすぐこちらに向かってくるオパルスにかかとを鳴らして詰め寄っていく。

 小山のような男たちもこちらを牽制しつつ、彼女の後を追った。――エロイーズのガラの悪いボディガードが3人に対し、向こうは10人近くSPのような黒服を従えている。皆S・V・Cの社員だと思うが男女皆同じように冷静に口を結んでおり、洗練された社員教育が行き渡っていそうだ。

 そのご自慢の部下たちを引き連れているオパルスは190センチは優に超えているだろう。目の前にエロイーズが来れば、10センチくらいの高さのヒールがあったも、華奢な彼女ではどうにも巨大なオパルスを前にしても子供が駄々をこねているようにしか見えず、圧倒的な差があるように見えた。

 一触即発の渦中から解放されてほっとしたものの、負けん気の強そうなエロイーズがまだまだこの場をさらに荒らすつもりのようで、逃げてもいいだろうかと一瞬弱気な考えが頭をよぎった。


「私としても長年ホールデン夫妻の信頼にお応えしてきたつもりです。――それにエロイーズさん、このようなことを口にせねばならないことは大変心苦しいのですが、……モーリスさんはコレクションを大事にされていたんですよ」


「はぁ? それは私も同じ気持ちよ――」


「生前からこのバライバル美術館をより発展させようと、よくご相談頂いておりましたね。美術館の中心にある『深海の星』もその計画のひとつでした。――ここの収益の一部もより多くの表現者(クリエイター)芸術家(アーティスト)歴史家(ヒストリアン)考古学者(アーケオロジー)たちを支援するために我が社を通じて広く投資していました」


 エロイーズの横を横を通り過ぎ、オパルスは彼女のボディガードの前に立ち両腕を広げた。


「過去から未来に向け、人々の希望になることをモーリス氏は望まれていました。――その望みを叶えるお手伝いが出来たこと、私としてもとてもやりがいのあるお仕事でした」


 目の前にいるボディガードなんぞ視界に入っていないのか、大仰に振り返りながら広げた手を避けるように三人が一歩下がる。


「この数多の美術品が並ぶアシャンゴラ・ビ・アゲート内で()くも哀しい事件が起きてしまったこと、一体誰が喜びましょうか――。私としても悔しいのです、大切な同好の士がこの世を去ってしまったことも、このような悪しき事件が我らセイディ・ヴィクトリア・コーポレーションがついていながら起こってしまったことも……! モーリス氏の追悼と共に、二度とこのような事件が起きないよう対策を練らねばなりません」


「御託はいいのよ、オパルス。自分の世界に引きこもらないでくれる? 夢を見るなら人の財産(モノ)で叶えようとするんじゃないわよ。――貴方はただの雇われ顧問でしょ。自分の立場をよく考えてよね」


 きらりと目元に光るものが見えるオパルスに、冷たく言い放つエロイーズが腕を組んで彼を睨んだ。

 隣を見れば両手をくたびれたカーキ色のコートに突っ込み、やる気なさげに立っている。


「……いつになったら応援が来ますかね」


「さぁな、――もしかしたら署にはこっちに寄越す人間がいないのかもしれねぇな。まったく、ひどい話だ」


 天気の話でもするようななんともない気安さで感想を口にすれば、内ポケットから煙草を取り出せば口に咥えだした。

 初日にトラウマの下に配属になり、急遽こんな現場に駆り出され、衆目の面前で始終キレるエロイーズと、悲しみを表しつつもSPのような黒スーツを従えたオパルスたちにどう対処していいか分からず、ただただ途方に暮れるばかりだった。何か悪い夢でも見ているのではと疑問が浮かび、頬をつねる。――ジワリと痛むことから現実逃避することは出来ないようだ。

 もう一度隣のラミナを見れば、二人が落ち着くのを待っているのか、それとも応援が到着するのを待っているのか、なんとも読めない表情でこの場を眺めている。――粉末状の金魚の餌を床に零した時の虚無感しか感じないが、こういう現場は慣れているのだろうか。

 大人って案外こういうものなのかもしれない――。誰よりも落ち着きのある態度に見え、少しだけコイツのことを見習うことにした。

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