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五里霧中の先にあるもの。

「ひとまずここで別れよう。この辺にいる人から適当に聞き込みをしてみてくれ。何か気になることがあれば、名前と連絡先も聞いておいてくれ」


 そう言い残して、バライバル美術館の中へとラミナは消えて行った。

 関係者から話を聞く約束を取り付けていたそうだ。


「……ここで期待以上の働きをして見返すか、無能を演じて足を引っ張るか、――アウィンならどうする?」


 姿の見えない相棒に尋ねてみたが返事はない。――どうやら興味を無くして、別の場所へ行ってしまったようだ。


「猫のアイツに聞いても仕方がないか……。他にも知りたいことはあるし、雑談がてら情報収集してやりますか」


 気負い過ぎず気を抜きすぎずの適当さを以て、ルシオルはまず視界に入った子犬と散歩している初老の男性から声を掛けて行った。




「モーリスさん? ここに来たのは5年くらい前だったか。バライバル美術館をあっという間に建てて、コレクションを展示してくれるようになったね。どれも見る一見の価値ありだ。君も一度は来てみるべきだよ。アシャンゴラ・ビ・アゲートの中でも一番でかい場所だからね」


「エロイーズ様かぁ。――あんな美人が奥さんとか羨ましいよな。遺産目当てだとしてもあんな人なら何しても許しちゃうかもな」


「オパルス様? 素敵よねー! わたし、ファンクラブに入ってるんだ。非公認じゃないよ、ちゃんとしたやつ! 写真もよく撮らせていただくの。ここでよく会えるからプチファンミみたいでさー、友だち連れて行くとだいたい同士になるのよね~。――ちなみにファンの子をキャラットって呼ぶの。オパルス様のキャラット達って言葉が、サイッコーに可愛くない?!」


「あの美術館ね、……あの奥さんの手に渡ったら、全部売り払われるとでも思って別の人に託したんじゃないか。フン、いい気味だ」


「怪盗? あぁ、予告時間に近くでライブビューイングとか観覧できる場所が出来るんだよな~。パブでさ、何時間で捕まるかどうか賭けながら飲む酒が美味いんだこれが! たまに完全に逃げられると、店が全員に一杯驕ってくれるんだ」


「旦那がいない間に派手なパーティをよく開いてるからね。屋敷にお気に入りを呼んで贅沢三昧だって噂だぜ。――友人が呼ばれていたけど、あまりにも品位がなさ過ぎて途中で帰ったって聞いたことがある。どんだけ派手に遊んでいるんだか」


「あの『深海の星』はモーリスさんがずっと欲しがってたみたいね。一度手に入るはずだったのに、その約束が流れたことがあるらしいわ。――なんでって? さぁ? さすがにそこまでは知らないな。それこそモーリスさんの知り合いに聞いた方がいいね」


「オパルスさんがこのアシャンゴラ・ビ・アゲート内の美術館の管理を担当しているんだけど、絵画や宝飾品だけじゃなく、遺物に歴史的文化遺産の保護とかにも力を入れてて関心するね。あんなに若いのに、情熱だけは誰にも負けない人だよ」


「あぁ~、あの人本当すごいよね。審美眼もさることながら、持ち主の個性に合わせた美術館の設計にも彼携わってるんだよね。S・V・Cとして集客率は重要だけどさ、やっぱセンスがねいいんだよ。ここ以外だとハーキマー美術館が有名か。あそこは特に庭がシンメトリーがとても美しいんだ」


「『深海の星』って見た? よくもまぁ、あんな不気味なものを今だにここで展示してるよな。……いままではちょっとした不幸ばかりだったんだ。あれの所持者が怪我をする、盗人に襲われるとかな。あとは空き巣とか、毎日車に傷付けられるとか、家にごみを投げ捨てられるとかそんな感じの話はよく聞いたな」


「他には展示していた強化ガラスが割られるとか、一時休業するほど職員たちが不調になるとか、毎日誰かがゴミを美術館内にばらまかれるとか。――誰もいないし入れない場所だぜ? 怪盗? まさか、アイツらがそんな嫌がらせしている暇ないだろ。ここの警察も警備ロボも優秀だからな。獲物を取ったらすぐに逃げなきゃ、翌日の一面を飾るだけだぜ」


「流石に人が死ぬまで行くとは思わなかったな。――あの『深海の星』は呪われてるんだ。おーこわっ」


「モーリスって二回結婚してるんだぜ。――今の女は後妻だ。前の奥方とは離婚したらしいけど、今の財があるのはその奥方のおかげだって話だ。地位も名誉も財産も全部巻き上げて、用済みになったから別れたとかクソすぎる。……その話を聞いてからここには来なくなったな。そんなクソ野郎を飾り立てる美術品が哀れじゃないか。管理人が変わってくれて正直良かったってここの展示品たちも思ってるだろうよ」


「エロイーズも派手に遊んでるけど、旦那も相当な遊び人だったみたいだな。――互いに束縛しない関係は少しだけ羨ましいぜ。うちなんか会社の飲み会だけでも、女がひとりでも参加してるってばれたら家内がうるせぇからよ」


「あれは最初欲張りな宝石商に奪われて、『深海の星』の所持者が死んだって言うじゃないか。きっと強欲な人間に恨みがあるんだろうよ。……モーリスさんも、欲しいものは物を言わせて集めたって話だ。じゃなきゃあんなでかい美術館を運営できるわけないだろ。――中には相当恨んでたやつがいたんだろうよ」


「じゃなきゃあの『深海の星』自身が、自分を手にした金持ち連中に復讐していたのかもな。――だってそうだろ? モーリスが亡くなってから、この美術館では特に問題が起こってない。ま、死んでまだ数日しか経ってないから、この先どうなるか知らないけどな」


「亡くなったあとかぁ。……俺なら確かに信頼できる人に任せるだろうけど、あのモーリス氏だぞ? ここにある美術館はどれもそうだけどよ、自分の功績を飾るために見せているところがほとんどだ。あまりいい噂を聞かないだけに、死んだ後のことは自分に得のないことはしないだろ。今の奥さんも元々そういう(・・・・)関係だったって言われてるしな」


「エロイーズも相当好き勝手やってるからな。……あの人が欲しいと言えば、モーリスもなんでも言うことを聞いていたそうだ。金のあるやつはいいよなー」


「怪盗フローライト? ふぅん……、聞いたことないね。ここで捕まったやつか?」


「俺、関係者に聞いたんだけどよ――、モーリスって身体中穴だらけにして発見されたんだろ? しかも『磔刑』と同じポーズと取らされたとか。まるで『処刑』だな。それとも『贖罪』か? そんなメッセージが込められてるって思わないか? ――兄ちゃんはなにか他に情報持ってない?」


「オパルスって10代で『セイディ・ヴィクトリア・コーポレーション』に入社したそうだよ。あそこって実力主義だから、若くても有能であればどんどん上に行けるんだ。……いとこが入ったけどさ、ずっと下働きばかりで芽が出ないみたいなんだ。能力がないやつはどこに行っても世知辛いもんだよな」


「ここのS・V・Cは基本黒スーツだけど、幹部クラスは好きなスーツが着れるんだぜ。あれも特注みたいでさ、……ここのテーラーで買い物をしてるのをよく見かけるんだ。話が聞きたいならそこで待ち伏せしてみてもいいかもな。――黒服たちにハジかれなきゃだが。がはは」


「この予告状って、明後日じゃん。――ちゃんと掲示板に知らせを載せてるのか? 見つけ次第報告しなきゃいけないんだからよー。新人は覚えることが多くて大変だなっ。ほら、――これやるから頑張れよ」


「そうねぇ……。もしその話が本当なら、犯行現場はそこまで遠くないんじゃない? だってこの辺りは監視カメラも看視用ドローンもたくさんあるのよ? 金払いのいい人は多いからね。警備も抜かりないし、外部犯は考えられないんじゃないかしら。――地下に発電施設とかインフラ設備が隠してあるじゃない? きっとそこが事件現場で、自由に出入りできる人がやったとかかしら。――どう? お姉さんの推理、なかなか悪くないと思わない?」


「え? ……これもらっていいのか? ありがとな。――そうだなぁ、確かに俺はこの辺に住んでるし、当日もここにいたけど、清掃業者が来るまで閉館してから誰も来たのは見てないな。夜間は警備員もいるし、許可のない侵入者でも現れるなら警備ロボが動くしサイレンも鳴るからすぐに分かるようになってる。……時間外に近付けば有無を言わせず豚箱入りだ。それはアシャンゴラ・ビ・アゲートにある美術館はどこもそうだけどな。S・V・Cの最新警備ロボが必ず配備されるし、試運転も兼ねて置いているから、重症者が出たことだってあるんだ。……それを知ってるから絶対に近付かないよ」


「『深海の星』見た? 綺麗だよね。――でもあんな不吉なもの、絶対にプレゼントされても受け取りたくないわな~。今でもここに展示してるのもさ、受け取り手がいないからじゃないか? エロイーズ? あぁ、あの人なら喜んで受け取ってくれそうだけどな。アハハ、さぞかし残念だろうなー」


「なんであれが欲しいんだろうねぇ。確かにきれいだけどさー、不吉だしとてもじゃないけど庶民じゃ手を出せないじゃない? わざわざ手に入れたいと思う神経が庶民じゃ理解できないね」


「『深海の星』ね。――やっぱり愛の象徴ってことじゃないかしら。叶わなかった純愛を証明する品だと、私は考えているわ。だからこそ手を伸ばせる者が欲しがるのよ」


「このバライバル美術館は元々『深海の星』を飾るために最初から設計されたって話だ。お前さんも見ただろ? 美術館の中心に飾られてたあれをよ。――ここに『深海の星(アレ)』が来るまではずっと空のケースが置かれているだけだったんだ。それだけあそこに展示されるのを、モーリス氏は望んでたんだろうけど……。せっかく手に入れて数日で亡くなっちまうなんてな。死んでも死にきれねぇよ」


「あーぁ、君怪盗に興味があって来たんだ。ここら辺では有名だけどさ、あれ逮捕されてるのは本当の事を知らん連中だよ。なんたってここはS・V・Cお抱えの商業地区だからね。捕まらずに活動してるのは、S・V・Cに所属しているタレントだ。――外からきた連中は知らないみたいで、うっかりやらかすんだよな~。バカを捕まえられるし、知名度も上がるしで一石二鳥とはまさにこのことよ」




 一番知りたくないことを知ってしまった。

 現実はこんなものなのか。――匂いにつられて近くの店でホットドッグをで購入し、木陰で貰ったドリンクと一緒に勝手に一休憩することにした。

 美術館の周りで話を聞いてみたけれど、厳重な警備、内部犯の可能性、好色家で恨みを買っているモーリス氏、派手好きで散財家のエロイーズ氏、有能で有名人なオパルス氏、不吉な『深海の星』に拘るバライバル美術館と情報が散逸(さんいつ)している。

 まだ冷める気配のない出来立てのホットドッグを一口頬張れば、肉汁にキャベツの甘さ、スパイスにケチャップとマスタードの調味料が相まって、空きっ腹と疲労感を癒してくれた。

 一仕事したあと、青空の(もと)食べるホットドッグはどうしてこうも旨いのか――。

 流れる雲を眺めながら、貰い物のリンゴジュースを一口飲んだ。


「旨そうなもん食ってるな」


 聞き覚えのある声に思わず身体が強張る。

 今日から上司になってしまった、ラミナ刑事。――方々で雑談していたせいで、今はコイツの部下だったということを完全に忘れていた。

 

「……すみません」


「休める時に休んでくれればいい」


 コートのポケットに手を突っ込み隣に腰かける。――美術館の外の庭園に備えられたベンチに座っていたのだが、くたびれたおっさんと並んで座らなきゃならない現実に片手に持つホットドッグが急激に冷めた気がした。


「そいつを食べながらでいい。――何か聞けたか?」


 こちらに目もくれず、煙草を一本口に運んだ。――火はつける気がないようだが、隣に座るだけでもこいつの煙草の特有の酸臭と草の燃えた甘い匂いが混じった香りが鼻に届く。

 あまり得意な臭いじゃないだけに、ホットドッグの匂いで自分を誤魔化すように大きくひと口頬張った。

 隣に座り言葉通り食事を続ける新米には注意を払っておらず、むしろ目の前を行きかう人々の中から何か手掛かりを探そうとしているのかじっと目の前に広がる景色を見ているようだった。

 口の中のものを流し込めば、改めて先ほど手に入れた情報をまとめてみる。


「そうですね……、S・V・Cが関わった美術館ということもあり、特に警備が厳重みたいですね。事件当日も外から侵入した形跡はなかったようです。近くにいる宿無し(ホームレス)たちにも聞きましたが、美術館内のセキュリティを改めて調べればわかることかと。――それからホールデン夫妻はどちらも派手な生活をしていたみたいですね。金にまつわる話も多くて、どちらもドロドロしていそうでした。『深海の星』も以前からモーリス氏が手に入れたがっていた品だったようですね。一度手に入らなかったようですが、必ず手にするつもりだったことがこの美術館をつくる当初から予定されていたようです」


 特に反応もないことから、既にラミナの耳に入っていた情報だということか。――なにひとつ引っかかるものがないようで悔しい。

 もうひと口ホットドッグを口に頬張れば、手の中のそれはだいぶ小さくなってしまったのでそのまま口にすることにした。


「…………、モーリス氏が亡くなってから、どうやら美術館に対する嫌がらせ的なものは止まったみたいですね。もしかしたら所有者であるオパルス氏になにか起きているかもしれませんが。モーリス氏が良く行く使っている『テーラー・ジェレメジェバイト』が、アシャンゴラ・ビ・アゲートの東地区にあります。ファンの子もそこでよく出待ちしているみたいです。日によって対応は違うみたいですが、運が良ければ話せるかもということです」


 ジャケットの内側から鉄製のオイルライターを取り出し、手持ち無沙汰に蓋を開け閉めしはじめ、カチンカチンと音がし始める。――中毒者(ニコ中)か? 手の震えなどは見受けられないが、何か言いたいことがあるなら言えよとモヤモヤしたものが胸中に湧く。

 もしかしたら話そっちのけで、煙草に火をつけていいかどうか考えているのだろうか。

 腹が立ってきたので、先ほどの情報をなんとか組み立てていく。


「地図を照らし合わせたところちょうどこのバライバル美術館の下に下水処理施設がありまして、地下構造と比較すればひとつだけ、この館内に侵入できる経路が作れそうでした。もちろん人が出入りできるものじゃありません。――ですが、モーリス氏に強い恨みを持っていて、今回のように銃を使いわざわざ警備の厳重な美術館の庭に死体を飾るような異常者であれば、以前からこの美術館になにかしら仕掛けをしていたと考えても不思議はないでしょう。離婚歴もあり、前妻の財産を巻き上げて別れた分そちらも怪しいかもしれません」


 個人端末を取り出し、先ほど見つけたバライバル美術館の設計図と地下の構造地図を合わせたものを、何か話す気はない手元が騒がしいそいつの目の前に差し出した。


「バライバル美術館は5年前に設計されましたが、その頃からモーリス氏の殺害を考えている者がこの段階から関わっている者がいるかもしれません。周囲の人間を洗う上でこの辺も含めて考えるといいかもしれませんね。――あと話を聞いている限り、エロイーズ氏はなんだか脇が甘そうですね。好みの男性を見つけては立場に関わらずパーティに招いているそうで、周りの事も後先も考えていない破滅的思考で行動しているため懐に入って話を聞きやすそうです」


 彼女好みの男に変装して近付けば話を聞くのはたやすそうだ。そんなことを考えていれば、差し出した携帯端末をラミナがようやく持った。

 コイツのせいで前に出していた身体をベンチの背もたれに近付ける。


「逆にオパルス氏は誰に聞いても人格者ですが、隙のない人物ゆえ調べるのは少し骨が折れそうですね。――ここに来る前の事はS・V・Cを通して聞いた方がいいかもしれないです。この辺の人は誰も知りませんでした。……10年もここにいるのに、誰とも個人的な話をするような人物ではないようです。”中身”よりも”仕事”でここでは信頼を勝ち得ているだけに、話せないような後ろ暗いことでもあるんですかね」


 関係者の中でも特に彼だけが白に近いだけに、信頼を以て美術館を渡されたようにも見える。――だが聞いた限りモーリスは高潔さから最も離れた人物だ。妻のエロイーズが訴えるように、やはり何か裏があるのではと考えてしまう。

 叶わなかった純愛の証――、そんなものを放蕩人(モーリス)が長年欲しがっていたことも一体どういうことなのだろう。エロイーズ、もしくは別にそういう相手がいたということなのか。


「随分と熱心に調べてくれたんだな」


 ラミナが携帯端末を手にこちらを振り返る。隈で縁取られた、光のない灰色の瞳がこちらに向けられぎょっとする。

 捕まえられると、本能が恐れているようだ。――今までの出来事を思い出せば、嫌でも身が竦んでしまのは仕方がないだろう。

 

「こいつもそうだ。こんなの一般公開されてない情報だろ。もしかしてお前――」


 あの携帯端末は個人用の”仕事”で使っていたものだ。”刑事(コイツ)”に見せるべきものではない。――見返したい一心でやり過ぎたと気付けば、一層身体が固まる。


「あの、……俺、実は地図収集が俺の趣味で、――こうやって、実際の地理と照合するのが好きなんです」


 言い訳に使うには苦しすぎるだろ。――いや、地図コレクターは世界中にいるから、人様の趣味を理解できない物と爪弾きにするようなやつでなければ通じるはずだ。

 公園のハトに餌をあげたけど食べてくれなかった無常感を目に宿したコイツに、どうにか通じてくれと一心に願った。

 

「へぇ、趣味が実益を兼ねるとはな。――助かるけど、こういうおいた(・・・)は卒業しとけよ。さすがに公僕がやっていいことじゃない」

 

 ぽんと携帯端末を手の上に載せられる。


「この辺に詳しいやつが欲しいと頼んでいたが、予想以上だ。聞き込みも随分頑張ってくれたようだな。――監視カメラの映像と、セキュリティについて調べてきたがお前の話の通りだ。14月20日から21日の発見時間まで、この美術館に異常はなかった。警備責任者や当直した連中に聞いてみても、反応は特になかったし誰も気付かなかったようだ。警備のスケジュールや計画表も預かったから後で署で精査する」


 お咎めなしだった。――身内には寛容なのか、違法データについても一言の注意で済んだことに安堵すれば、ラミナはこちらではなく美術館に視線を移した。


「モーリス氏は確かにあの宝石(深海の星)にご執心だったようだ。どうやら他美術館に対する嫌がらせの一部はモーリス氏がしていたようだ。先程証拠を預かって来た。――ここの職員もやらされていたみたいで、根に持ってるやつは思ってるより多いかもな」


 鼻で笑うとオイルライターをまた手持ち無沙汰にカチンと閉めれば、ジャケットの中にしまった。――それは使わないのかよ。

 なんのために開け閉めしていたのか、謎過ぎてもやもやが募る。


「前妻か、そちらはまだ調べてもなかったから情報がもらえて助かる。帰ったらこちらも調べよう。オパルス氏に関しては、お前の言う通りガードが固くてな、多忙を理由に面会を断られているところだ。……それからエロイーズ氏はお前のプロファイル通り衝動で行動する破滅型だ。ついでに言えばどうにもここの権利を返せと連日ここに現れているようで、それを止めて欲しいとさっき会った警備主任から頼まれた。――止めるついでに話を聞いて行こう。現れ次第追いかけるからちゃんと腹ごなししておけよ」


「ラミナ、――刑事は何も食べないんですか?」


「俺か? これがある」


 コートのポケットからパウチに入った手の平サイズのゼリー飲料を取り出してこちらに見せてきた。


「……これだけですか?」


「食べるのって面倒じゃないか? 仕事中は特に余計な事をしたくなくてな」


「……もしかして咀嚼(そしゃく)に不安が? 嚥下が不得意で?」


「そこまでじじいじゃないわ。――ちょいちょい失礼だなお前は」


 食事が面倒という概念が理解できず、戸惑いながら見せてもらったそれを見つめていると、カチリと蓋を開け一気に中身を吸いあっという間に空になった。


「……煙草の代わりなんですか?」


 飲み口の細さがなんとなく煙草に近いと思い、そんな疑問をぶつけてみた。


「そんな風に考えたことなかったな。……だが、言われてみればやけにしっくりくるのはそう言うことか」


 しみじみと空になったそれを虚無色の顔で見つめている。その服や見た目についても思っていたが、あまり物事に関心がないようだ。

 それが分かると一気に不安になる。


「奥さんとかいるんですか? なんかひとりで生きて行けなさそうですよね」


「ひとりで生きてるが? ――刑事で結婚してるやつもいるけど、何があっても支えてくれるタイプか、放任主義じゃなきゃとてもじゃないがこんな不規則で荒れた仕事についている人間と一緒になろうなんてやつはいないさ。あとは、――退職金目当て」


 さらりととんでもない偏見を挟み、こちらを見た。


「知ってるか? 警察官は退職後5年以内に死ぬ奴が多いんだ。――急に自由を与えられても身体がついていかないんだろうな」


 今まで無表情だったラミナの顔が得意げに目尻が変わる。


「……人類になにかされたんですか? どうしたらそんな悲しい真理にたどり着くんです」


「別になにもされちゃいないさ。先輩や上司の話を聞いたり、家庭不和になった同僚とか見ているととてもじゃないが難しいなって思った訳だ。仕事ばかりで出会いもないし、今回も半年で異動を渡されてるし、こういうのに誰かを付き合わせるのは申し訳なくなるだろ」


 乾いた笑いをしながら、また目の前に広がるのどかな風景にラミナは視線を移した。――エロイーズの登場を待っているのだろう。

 初めて見た人間臭い表情に、絶対こうはなりたくないと決意を新たにした。

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