2度目の挑戦は新天地で。
「失敗に落ち込むのはしかたないけどさー、そろそろ気持ちを切り替えてみない?」
ぱしぱしと長いしっぽで頭を叩く相棒を無視し、ベッドの上で携帯端末のシューティングゲームに夢中になる。
敵が画面上方から現れ戦闘機でぱしぱしとビームを討つだけの簡単な仕組みなのに、一匹漏れずに倒すのが地味に難しい。徐々にやりこめばコツも見えてきて、やるべき対処法も分かってくるというもの。何度もリトライし、敵を倒していく。
「やり直すなら、せめて仕事にしてくれないかなぁ」
見入っていた画面ににゅっと灰色の毛艶が良く軽い身体が邪魔しに来た。
「アウィン!」
人の頭の上から胴体に向かって歩く邪魔者の名を呼び、慌てて携帯端末の画面を見ればGAME OVERの文字がでかでかと出ている。――何度もやり直し過ぎて残機がなくなっていたらしい。
結構ステージを進めていただけに、またここまでやり直さなければいけないのかと疲労感が襲う。――脱力しながら少し目線を下げれば、胸の上で香箱座りで人の顔を見ている灰色に薄い青色の瞳を持つ相棒のアウィンと目が合う。
「ゲーム終わったー? もう『緋色のアヴニール』を狙うのはやめよっか。――あのラミナってやつのことも忘れよう。出来ることからもう一度やってみようじゃないか」
ご機嫌そうにしっぽ左右に揺らしているこいつは、曾祖父の代から怪盗業をサポートしてくれる猫であり相棒だ。――しゃべるし生まれた時からずっと一緒にいるし、便利な道具を出してくれるがふとこいつって何なのかと思う。
キラキラしたものとささみの入ったスープが好きだ。猫らしく偏食家なところが憎らしい。
アウイナイトという宝石の名を冠した種族らしく、怪盗の相棒にはうってつけの存在だろう。年長者として、長年『フローライト』たちのことを見守ってきてくれた。
怪盗としての矜持もコツも色々と教わってきたが、どうにもやる気が出ない。――相棒を載せたまま横向きに寝返りを打てば、気にした風もなくアウィンはベッドに降り、顔の前まで歩いてきた。
「気分転換にさー、ここに行ってみない?」
寝返りを打った拍子にベッドに落とした端末で何かを調べている。器用なもんで肉球で何かを入力すれば、ある場所の案内ページが出てきた。
アシャンゴラ・ビ・アゲート。――マーク・ソルシティにある美術館がひしめく商業エリア。この世界中のみならず、外来の美的芸術品を収め人々に美と知の啓蒙を担うでもある。
「って、随分でかい場所だな……」
「うんうん、なかなかいいでしょ? ここならあの刑事もいないし、なにより狩場としてでかい。――同業者がよく来るみたいだし、スタートを仕切り直すのにちょうどいいかなって」
アウィンのしっぽがくねくねと動き、まだ見ぬ獲物をねらっているようだ。
「……なら、お前が行けばいいだろ」
「ボクは猫だもん。むちゃを言わないで欲しいなー」
肉球を見せ、この手で何が出来ると言わんばかりに上目遣いで見てくる。――あざといやつだ。腹立ちまぎれにその腹に頬擦りし枕にしながら端末を操作する。
嫌そうに逃げ出そうとするアウィンを無視しながら、先ほど言っていた通り同業者の情報を調べてみる。
怪盗、アシャンゴラ・ビ・アゲートで検索すれば、バラバラと目に新聞の記事が出てくる。
怪盗アクアマリン逮捕、怪盗紫水晶捕縛、怪盗アレキサンドライトあわや大失態、怪盗ヒスイ下見に来たところを見つかる、怪盗クリスタル警備ロボに苦戦、――――――なんだこれは。
「……怪盗って石の名前つける奴多すぎじゃないか?」
「たまたまじゃないかなー」
「しかも全員捕まってる哀しいニュースばかりじゃないか……。これで俺にどうしろと……?」
「だからこそだよ。――こんな危険一杯の場所で仕事を成功させれば、それこそ名も売れて世界一の怪盗になることだって可能ってもんさ」
毛むくじゃらの顔を凛々しくしているつもりだろうか、白いひげをピンと伸ばしアウィンが力説してくる。何を言ってるんだとその鼻先を指で撫でれば、ゴロゴロと喉を鳴らして自分で触って欲しいところをこすりつけて来る。
そう、こいつは猫だ。だから簡単に言ってくれる。――実行するこちらの気持ちもお構いなしにだ。
片手で検索を続ければ、確かにいくつもの怪盗達の名が出て、毎日のように予告状がアシャンゴラ・ビ・アゲートに警察とメディアに届くらしい。
あまりの数だからだろうか、誰が一目で見ても分かるようにスケジュールと予告状がそれぞれカレンダーに記載されており、ある種この街のエンタメになっているようだ。
人の予告状を見るのはあまり経験がないが、みな暗号や隠喩を用いあれこれ手間暇かけて作成しているのが分かる。
「なんか懐かしいなー。……でも全然アイツ読んでくれなかったけど」
懐かしさを上塗りするように、あの収穫が終わって何もなくなった畑みたいな虚無の目をした隈だらけの男の姿が脳裏に浮かぶ。――宣戦布告の知らせだというのに、アイツはなにひとつ理解せず迎え打ってくる奴だった。だから名前も覚えていないのだろうし、先日のように縄で椅子に縛り付けられるという屈辱を与えてきた。
俺はもっと知的でバチバチのやり取りがしたかったというのに――。
「うわっ……、なにその笑い方」
引き笑いにアウィンがドン引きしている。構わずベッドの上で胡坐をかき、考える。
「……確かに気分転換に行ってみるのはいいかもしれないな」
「! ――いいねいいね、まずは旅行気分で下見に行ってみようよ」
全身をこちらの身体にこすりつけながら、アウィンが胡坐の中心に来れば喜んでいるようでしっぽがくねくねと揺れている。
ここには奴はいない。――だがここの刑事も奴みたいな情緒もセンスもない輩なら、やる気が削がれるのも時間の問題だろう。……またあんな風に捕まるかもと心配している訳じゃない。
同じ知的レベルの連中がここに終結しているというなら、少し状況を見に行くのもいいと思った。
誰かと接触することは出来なくても、現地に行くことで何か得るものもあるかもしれない。
「あぁ! アシャンゴラ・ビ・アゲートか、――必要なものを今すぐまとめろよ」
ジェットでも7時間程度か。しばらくこの基地に帰って来ないかもしれないことを考えればやることは多いはずだ。ベッドから立ち上がり、身の回りの整理を始める。
新しい場所で、新しい人生を始めるのも悪くないだろう。
自分にもしっぽがあれば、きっとアウィンと同じようにどこへ行こうかとしっぽを大きく揺らしていることだろう。だが俺にしっぽはないので、心だけが新たな旅路に弾んでいる。
◇◇◇
長い空の旅を満喫し、タクシーで運ばれてようやくついたのはアシャンゴラ・ビ・アゲート。
美術館がたくさん並ぶというだけあって、センスの良い大きな建物がいくつも立ち並び、周りを賑わうようにカフェや小売りショップなどがいくつも並んでいる。
商業エリアとは言え住宅もある。――主に金を持て余し余暇を楽しもうとしている大富豪や、このエリアで仕事を持つ者たち、それから居場所を無くした人間が彼ら目を避けるように影の中で生きている。
煌びやかさと陰鬱が同居している大きな街のようだ。――少し歩いて気付くほど、この街は何も隠そうともしない。何も排除しないあたりに心地好さがある。
「ねね、さっそくあそこにに行ってみようよ」
肩に乗るアウィンが、地図の上をちょいちょいと丸い手先である場所を示す。
「――ここ、『深海の星』がちょうど展示されてるんだって。フローライトも覚えてるでしょ?」
「その名前はやめろ……。今の俺はルシオル・サンディだ」
ルシオル・サンディとはこの街で使うための偽名だ。『フローライト』の名を継いだその日から自分の名前は捨てた。愛着もなかった訳じゃないが、いずれ『フローライト』になると誰もが信じていたためまたそれを使うことはない。
幼かった自分はもういない。振り返るべき過去もないだけに、不必要なものだ。
「なら、ルシオル――。バライバル美術館へ行こうよ」
「わーったよ。なら姿隠しておけよ」
「はーい」
返事をすればアウィンは姿を消し、質量を無くす。アウイナイト種の特徴で、長命で不思議な能力を有しているのだが、姿を消すことも得意だった。
怪盗向きな能力もあるのに、この姿だから人の助けがいるというのがなんとも――。コイツの相棒は貧乏くじを引いたようなもんだろう。
せめて同じような能力を授けるとかしてくれればいいのに。――何事もうまい話はない。
「『深海の星』ね……」
曾祖父も関わったことのある宝石の名だ。――深い海の底で見つかった漆黒の真珠。見つけた者が妻に送るはずだったが、騙されて宝石商に奪われてしまった。帰してもらおうと宝石商に直談判に行くものの、二度と帰ってくることはなく、その首飾りは宝石商の自慢の一品として方々で展示された。
在るべき場所へ戻すため、初代『フローライト』が宝石商を懲らしめ、ひとりになってしまった妻へと返したという。
信念ある行動と義心あふれる行動に、寝る前に何度も聞かせてもらった話だ。
それが時を超え、今自分の前にあるというのは何とも言えない感慨深いものがある。
「……アウィンも本物は見たことがあるのか?」
「そりゃね。すっごくキラキラしてて見ているだけで幸せになれるものだったねぇ」
猫に小判というのが相場だというのに、こいつはキラキラしたものに目がない。姿を消した相棒に適当に返事をすれば、本来の持ち主を失ったそれを見に行こうと、賑わう街へと溶け込んでいく。