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 大気圏の向こうに広がる静寂のように、何もかもを飲み込み、問答無用で黙らせるような沈黙がここにはあった。

 周囲の灯りが消え失せ、部屋の中央にある木製の椅子にスポットライトがひとつと、ひとりの人物が座らされているところだけがこの空間に浮かび上がっている。

 簡素で誰でも気軽に座ることを許すような木製のただの椅子だ。そんな椅子とは真逆に、これから大舞台にでも立つかのような派手な格好をした青年が座らされていた。――だが、ここは舞台ではない。

 大人しく両腕と胴体、両足を椅子に縄で縛られており、身体の自由を奪われているにも関わらず、彼は大人しくその場にいた。これから脱出マジックでも披露されるかと期待しても、観客も誰もいないこの場所と俯く青年の様子からは違うのだと伝わるだろう。


 硬い靴底が床に当たり響く音が、徐々にこちらに向かっている。――その音に青年は少しだけ反応を見せたがすぐに(こうべ)()れ、こちらに近付く相手への興味を失ったようだった。

 カツン、カツンと響く音に、周囲には何もないのだと分かる。

 少し前まで狙っていた獲物がここにはあった。――何度も何度もシュミレートし、警備もギミックも念入りに調べ、ありとあらゆる手を尽くし、どんなイレギュラーにも対応できるようアウィンと何度も何度も打ち合わせをした。

 幾重ものセキュリティを掻い潜り、強化ガラスの中に鎮座する『緋色のアヴニール』まであと一歩だった。――それが今、何故こんな簡素な椅子に縛られているのか正直分からなかった。

 しばらくこの状況に戸惑い、どうしてと己の行動を見直すも分からなくて、徐々に最初からこの場に来るべきでなかったと後悔が頭を重くしていった。


 カツン、カツンと響く音がだいぶ近い場所に来ている。――歩くたびはためくコートの衣擦れの音も聞こえてきた。

 ふぅと、息を吐いていたのか息遣いまで耳に入れば、煙草の匂いが鼻孔をつく。煙草を吸っていたようだ。

 ここは禁煙だ。――場を弁えぬ相手を見ようと顔を上げれば、暗闇にひとつ赤い点が下に降りる軌跡が見えた。地に落ちる流れ星のようにまっすぐとした曲線だ。

 ただまだ宙を揺れることから口から煙草を外し、手でぶらりとそれを持っているだけだと分かる。


「全然懲りないなお前たちは」


 聞き覚えのあるハスキーボイスに、ここに居る相手が誰なのか理解する。――彼は半年ほど前にこの地にやってきた、ラミナ・クロスフィード。手入れはあまりしていないだろうグレージュの短い髪をワックスで邪魔にならないよう固め、灰色の死んだような瞳を縁取る隈が特徴のくたびれた男。

 本人と同じようにくたびれたカーキ色のロングコートに、最後にいつクリーニングに出したんだと尋ねたくなるような糊もハリもなくした黒のスーツと白いシャツ。臙脂色のネクタイを緩く首から下げたそれは、ピンで止めてもいないため彼が動く度小さく揺れている。――まるで首輪付きの犬が脱走したかのような出で立ちだ。

 手に持つ煙草をもう一度口元に運べば、灯る火の色が激しくなる。もう一度口から外し深く息を吐けば、白煙がこちらへ押し寄せる。――苦手な臭いだ。

 煙草も火気も厳禁の場所だというのに、一切悪びれたところがなく、こいつこそがこの暗闇の主だと言わんばかりだ。

 他に人を連れていないようで、目の前にラミナが悠然と立ち、光も希望もないような瞳で見下ろしてくる。

 コイツと会ったのは今日で三度目、――ここで三回目の顔合わせだ。


「……その紫色の服、えっと、――名前はなんだったか……?」


 無造作に煙草を持つ手を振り、思い出そうとしている。――爺くさい仕草に眉間に皺が寄る。

 予告状を出して、ここに来たというのに名前を覚えてないだと――?


「……自分で言うのもなんだけど、これだけ特徴的な服を着て、三回も顔を合わせているのに覚えてないのかよ……?」


 本当に自分で言うのもなんだけど。――顔を隠すような装飾品はつけていないが、この衣装が全てを隠匿してくれる。存在するが、誰の目にも同じような姿が映らないようにしてくれるアウィンの道具だ。

 だから顔が分からないというのは百歩譲って仕方がない。――だが、予告状で誰がここに来るか知らせていたし、この衣装は曾祖父の代から引き継がれてきた道具のひとつだ。紫の怪盗服といえば『閃煌のフローライト』と、この辺りでは名の知れた存在だ。

 

「悪いがお前がどこの誰かなんてこと、全然興味がないんだ。――俺の仕事はお前のようなコソ泥を捕まえることだからな」


「……コソ泥じゃない」


「わざわざ『行きます』なんて知らせるタイプのバカなコソ泥だろうが、お前はよ」


 怪盗の美学も分からないだと――?

 コイツの人生一体楽しいことなんてあったのかと尋ねたくなるような、つまらない色をした瞳がこちらに向けられている。――もしかして、おっさんの形をしたヒューマノイドだろうか。もう一度煙草を口に運んでおり、そのまま用はなくなったとポケットから携帯灰皿を取り出して消している。

 だとしたら製作者はセンスがないと言わざるを得ないだろう。コイツのAIに怪盗小説でもインプットした方がいい。効率ばかり求めていたら、人や文化の質が下がる一方だ。――それから美術館で煙草を吸うことを禁止してくれ。

 会ったこともない曾祖父の活躍を祖父母から、二人の歴史を父母から、怪盗としての存在意義をアウィンから聞いて育ってきた。

 誇りを持って今日まで来たが、聞いていた話と全然違う展開に戸惑うばかりだ。――警察は怪盗の予告状受け取れば、その通りになることを畏れ数多の警察官を配置し、登場の場面でライトアップがあったり、上空からヘリやドローンが来たりと鬼気迫る追走劇を繰り広げたり、元の持ち主に大事な美術品をかえしたり、あるべき場所に戻すことで人々に感謝されたり、そんな感じの事が――、

 

「シクストゥス歴257年14月26日20時12分、――コソ泥をひとり逮捕」


 ラミナが腕時計を見ながらそう口にすれば、手錠を出し既に拘束されている左腕に手錠をかけた。


「今日の仕事は終わりだ。さぁ、来てもらおうか」


 冷たい金属が腕に伝われば、逃避していた現実へ連れ戻される。

 目の前に近付く活造りにされた魚の目よりも死んでるそいつの顔が近くになる。周囲は静かで暗く、何もない。

 どうしてこうなってるんだ――。

 しかもこうなるのは三回目だ。なんてつまらない場所で、つまらない捕まり方をして、こんなつまらない奴と一緒にいるんだ。


『フローライト、早く帰っておいで』


 相棒の声が届くが、ラミナには聞こえていないので奴は気にせず縄をナイフで切っている。地味でアナログすぎて、華やかさもロマンの欠片もない。むしろ切る度に少し引っ張られて痛い。

 最悪だ――。


「……もう」


 一度や二度の失敗は仕方がい。まだ新米だから、下手を打つこともあるだろう。――だが三度目だ。

 同じ奴に、毎回歯牙にもかけられていないのが分かるようなつまらない捕まり方をしている。


「……こんなの、我慢の限界だ――ッ!」


 緩んだ縄から逃げ出し、手錠も外し走り出す。――走る拍子に閃光弾を床に投げれば目を突くような眩しさが周囲を包んだ。


 拝啓父さん、母さん、アウィン――

 俺は今日この日、怪盗業から足を洗います。

 今まで育ててくれたのにセンスがなくてごめんね。

 俺には怪盗なんて向てないわ。

 明日からニートになります。


 脳内で手紙をもう会えない両親とアウィンにしたためながら、フローライトは光を背に走る。――帰ったら大好きなハムカツを食べて、速攻ふて寝してやると心に決めながら暗闇の中を駆けて行った。



 ◇◇◇



「また逃したか。……アイツ、逃げ足だけは早いんだよな」


 空になった手錠がぶらりと宙を揺れる。椅子と散った縄だけがこの場に残るが、結局犯人を逃してしまった悔いだけが残る。

 ただの小物でしかなく、他人の手を借りなくても捕まえることはできるというのに、毎回何も盗まずに逃げていく。――するりと華麗に逃げるところは軟体生物のようで、まるでつかみどころがない。

 煙幕のような閃光に視界が遮られ、回復に時間がかかる。――可視調光グラスなどで対策しても、あれは突き抜けるため目下対策を立てている内に新たに予告が来た。


「紫のイカか……。あんま美味そうじゃないな」


 逃げる手際の良さと白い光からイカを想像してみた。紫色の服を着ていたから紫のイカと呼んでみたが、あまり良いセンスとは言い難いだろう。

 後片付けをしながら、今日の報告が終わったら一杯やりに行こうと考え、椅子とバラバラに散った縄を手にラミナもこの場を後にした。


 ここでの仕事はもうすぐで終わりだ。

 空いた手で内ポケットに無造作に突っ込んでいた封筒を取り出し、中の紙をもう一度確認する。


『ラミナ・クロスフィード

 シクストゥス歴257年14月30日をもって【モリス・ビ・アゲート】での任が終了、

 シクストゥス歴258年1月1日より【アシャンゴラ・ビ・アゲート】へ配属が決定。

 決定 警察長官 カタクレー・サイト』


 半年前にここに来たばかりだというのに、数日前に届いた異動の知らせだ。――もしかしてあの紫のイカを捕まえなかったのが、上の連中には怠慢にみえたのだろうか。

 くしゃりとその紙を握り潰し、コートのポケットに丸めて入れた。

 こんなんじゃ送別もしてもらえないだろう。

 やはりひとりで飲みに行くのがちょうどいいかもと、居酒屋の灯りを探し求めてラミナは街の中へと消えて行った。

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