夢か現か
真っ暗な部屋、一人の青年がベットに横になって静かに眠っている。
一瞬、息が止まり苦しくて、口を大きく開き空気を吸い込もうとして、はっと目が覚め咳き込んだ青年は搾り出すように詰まった何かを吐き出し、ゼェゼェと息を荒く吐き出しながら、よろよろとベットから上半身を起こしす。
ゼェゼェからはぁはぁと段々と息が落ち着いてくると、額に玉のように浮かんだ汗を拭いさる。
「...また、あの夢か...」
虚ろな目をした青年は、はぁーっと大きく疲れたようにため息を付いて、そうボソリと吐き捨てるように呟く。
この青年、どことなく彼方の織田信長が若返ったら、こんな感じだろうかという感じであるが、身に付いている服装は襟元が少し伸びた白のTシャツとくたびれたジーンズで、殺風景だでキッチンスペースはないが、フローリングに白い壁と窓とどこかのワンルームマンションな一室とまるで違う。
ここは、彼方の織田信長がいた不可思議な戦国風な世界ではなく、より二十一世紀の現代に近い感じである。
覚醒しきれてないのか、ふらふらする身体でベットから出ると電気を付けてから、カーテンのないベットの近くの窓へと近づく。
あいにく外は、雨雲の灰色。雨がひっきりなしに降っていて、見通しが悪くここはどこかもよく分からない。
「...また、雨か」
どこを見つめているのか分からないが、ぼんやりと遠くを見つめていた青年は小さくため息を漏らすと、窓から離れてベットを背に床へどかっと座り足を伸ばして上半身をベットに寄り掛かった。
「にゃぁ〜ん」
どこから現れたのか、ベットにトンっと降り立った猫は、青年に近づいてペロっと頬を舐めすりすりと身体を擦ると青年の近くでゴロンと横になって丸くなった。
虚ろな目をしていた青年にすっと光が僅かに戻って僅かに微笑みが見え、片手を伸ばして猫を優しく撫でた。
猫は気持ちよさそうに目を細め、くわぁっと欠伸をすると目を閉じて寝てしまう。
「......お前は、自由で...いいな...」
ボソリと呟いた瞬間、青年は撫でていた手をゆっくりと離してゆっくりと上半身を起こすと、光が曇ってまた虚な目で俯き何もない床をぼんやり眺めた。
そのうちずるずるとベットから床へずり落ちて、硬い床に寝そべる。そこから少し遠く、さっきの窓を見つめる。でも、外の様子は依然として、変わり映えしない。
ため息だけが漏れて、天井を見上げると片手を目に上に置いて目を閉じた。
「おはよう!」
そう声を掛けられて青年は、振り返る。さっきの姿とは違い青年は、少しくたびれた年季の入った学生服の姿になっていた。
「おはよ」
「今日も、暑いね!」
「...夏だしな」
「はは、いつもそれ〜!」
青年の肩くらいの背の高さの少女が制服を着て、青年を見上げながらにこっと微笑んで手慣れたように青年の片腕にするっと手を通してくっ付いて腕を組む。
二人は青空のような制服で見た目は爽やかで、初夏の朝で日差しもそこまで強くなく、道並みには太陽の光にキラキラ輝く生き生きとした青葉茂る木々が並んで小さな影を作って清々しくもある。
「...なら、くっ付かなければ、いいんじゃないか?」
ぶっきらぼうに言う青年に、少女は少し頬を膨らませてムッとした顔をする。
「...別に...いいじゃない...あっ!!」
青年に抗議するように軽く睨んで、プイッと顔を背けた矢先、何かが目に入ったらしく少女は青年からスルッと離れて機嫌が直ったように笑顔で前方へ走っていった。
「おい、走ったら危ないぞ!」
「平気、平気!」
聞き耳持たず少女は走り、横断歩道の手前のどこか家の塀の上で日向ぼっこしている猫の前で止まる。その猫は珍しく、人慣れしているのか全く逃げようとはせず、少女を無視したようにそこで横たわって眠たそうに欠伸をしている。
どことなく青年のベットにいた、猫に似ている。
猫を愛おしそうに見つめている少女を見て、はぁと小さくため息を付いた青年はのんびりとしていた歩調を、少し足早に少女の元へ歩いて行った。
「全く、お前は」
そう青年が声をかけた瞬間、猫と顔が合って、猫はすっと立ち上がると素早く塀を渡って横断歩道の方へ逃げていった。
「待って!」
少女は猫を追い掛けて、走り出してしまう。
「おい!車来たら、危ないぞ!」
青年はいつもの光景だなと思いながらも、そういつも通りに声を掛けた。
でも、心配はしていなかった。
少女は突発的に走り出すが、ちゃんと横断歩道で車が来ないか確認をするし、朝方はここの通りは車は殆ど通らない。通っても近所の人で、この先に学校があるのを知っているのでゆっくり徐行している車だけだ。早々、危険はない。
いつも通り横断歩道の信号は青で、少女は左右確認してから猫を追い掛け走っていく。
いつも通りの光景、いつも通りに時は流れる。
キィキキィーーーーー!!!ドン!!
そう青年は思っていた矢先、暴走した車が急に横断歩道へ入り込んだ。猫は驚いて横断歩道の真ん中で止まり、それを助けようと少女は猫を抱える。見えていないのか、コントロールが効かないのか、その暴走車はスピードを落とさずそのままの勢いで、少女を跳ね飛ばす。反対側の道へ猫を抱えたまま少女は動かず、車は少し先の電柱に激突してボンネットが開き煙を吐いて停止。
「歌織ぃぃ!!!」
青年は一瞬のこと過ぎて呆然としてしまうが、少女が横たわっているアスファルトに水を零したように大量の血液が流れ染み込んでいるのが目に入り、ようやくそう叫んで、足をもつれさせながらも必須に少女の元へ駆け寄った。
青年にとって少女の元へ行くまでの時間は、全速力で走っているつもりなのに、まるで水の中を歩いているように凄く遅く感じられた。
「歌織、歌織、歌織、歌織、かお...り...」
身体中擦り傷だらけで、剥き出しになっている顔、手、足は血が滲み、後頭部から止めどなく血が流れている。
本来なら後頭部を強く打っている可能性が高く動かさない方がいいのだが、知識もなく冷静でいられない青年はそっと、壊れ物を抱えるように少女を腕で抱き締めた。
大きな音で、周りの住人がわらわらと家から出てきてわぁーわぁーザワザワと騒がしい中、青年は荒い息で止めどなく流れる涙で視界はぼやけ、キーンと耳鳴りなり続け、ただただ、涙声で声を絞り出すように喘いで、ボソボソと念仏を唱えるように少女の名前を呼んで、少女の血が止めたくて必死に傷を手で抑える。
ポタ ポタ ポタポタ
ヒィヒィっと涙を歯を食いしばりながらも堪える青年から涙が溢れて、血だらけの少女の閉じた瞼の上に涙が数的落ちる。
不思議なことに、びくともしなかった少女がその涙のお陰かは分からないが、薄らと目を開けた。
「しょ...ちゃ...」
少女は力無く、それだけ言葉にするとふっと意識を失ってすっと目を閉じる。
「歌織ぃぃ!!!!」
目をパチっと開けた青年は、ガバッと上半身を勢いよく起こし、滝のように流れる涙で顔を濡らして目を覆っていた手を何もない空間へ必死に伸ばした。
何もない空で青年は指を折り曲げて軽く握ると悲しそうに見つめ、パタンとその手は床へ落ちた。
流れた涙を拭うこともせず、涙が乾いてカラカラになるまで呆然と俯いて青年は動かなかった。
ピカッ ゴロゴロ バリバリバリ ドォーン!!
窓の外で雷が光って、近くだったのか物凄い大きな音を立て落ちた。その瞬間、部屋の電気じゃ消えて真っ暗になり、やっと青年は動き出す。
無言ですっと亡霊のように立ち上がり、窓へ近づく。
まだ鳴り止まない雷を、呆然と眺める。
「...何故...まだ...俺は、生きているんだろうな...なぁ、歌織...」
そう呟いた青年は疲れた顔をして窓の近くの壁に寄り掛かり、そっと悲しくも濁った目を閉じた。
「はぁぁぁぁ〜〜〜、しぶといしぶとい、逝けねぇ逝けねぇなぁぁ〜〜〜」
遠い空、雷雨、どす黒い雨雲の更に上、そこから不釣り合いなあの時の謙信が、着物の袖で目から下半分を隠してやれやれと嘆き声で顔をゆるゆると振っている。
「フッ、まぁ、やっと、目覚めたぁ〜、第六天魔王。そぉ〜、易々と、受けわたさんとは、流石...とも思うが...のう」
軍配団扇で顔半分を隠した彼方の信玄は仮面を被って表情が読めないが、纏っている空気がピリピリしているのであまり機嫌は良くないように見える。
「...時間の問題、問題、問題、大問題。半魂だけじゃぁ不完全、全、全、気が滅入り、候」
「...ま、ここで我らができることは何もないから、のう...謙信」
「まっこと、竜帝王の呪いは、恐ろしや。我らは、常に、彼方も此方も其方も、傍観者。歯痒い歯痒い歯痒いて」
フンっと信玄は謙信の嘘くさい喋りに鼻で笑いながら、二人はチラリと視線を合わす。
ただ仲睦まじげというよりは、奥底ではどこか互いを警戒しているそんな雰囲気。
そして徐に、どちらともなく二人はクスクスと笑い出して、また、青年を見下ろすように、いや、監視するようにジッとねっとりとあまり心地がよくない視線を向けたのだった。