五:慶応三年十二月上旬(後)
居ても立っても居られず、一目散に自分の部屋に戻った乙女はすぐに手紙の封を開いた。
『拝啓、驚かせて申し訳ありません。一つ言っておきますが、これは化けて書いた訳ではありません。足も二本、しっかり付いています。乙女姉に見せられないのが残念でなりません』
入りの部分でそう述べている。自らが幽霊でない事を“足も二本、しっかり付いています”と例えているのが、実に龍馬らしい。
まず触れたのは、やはり一番気になっている事についてだった。
『あの日、慎太郎は用心棒で付き人の市丸を伴ってやって来ました。市丸は元力士で体格だけなら自分そっくりな男でした。中岡と話をしていると市丸が頻りにくしゃみをするので訊ねてみたら「風邪気味だ」と答えたので、「こりゃいかん。体は大事にしないといかん」と私が羽織っていた上着をとりあえず着せ、私は市丸へ着せる為の綿入れを土蔵へ取りに行きました。土蔵に着くと、何故か急にひどい悪寒に襲われたので少し休んでいたら、母屋の方で何やら騒がしくなりました。暫くして悪寒も収まったので土蔵を出ようとしたら、階段をバタバタと複数人が降りてくる音が聞こえてきました。上に居るのは慎太郎と市丸の二人だけ、明らかに人数が合いません。何者か分からぬ者達が外へ出たのを確かめてから土蔵を出て母屋に戻ると、階段下に藤吉が背中から斬られて倒れていました。これは只事ではないと二階へ上がると、慎太郎と市丸が膾切りにされていました。慎太郎は辛うじて息をしているものの、市丸の方は人相が分からないくらい酷い傷で既に亡くなっていました』
偶然が幾つも重なった結果、龍馬は奇跡的に難を逃れたようだ。顔が分からなくなるくらい滅茶苦茶にされていたら、身に付けている服や体格で誰かを判断するしかない。体調を気遣って貸した羽織や体つきで、市丸を龍馬と勘違いしたのだろう。
『私の代わりに亡くなった市丸には申し訳ないが、“坂本龍馬”という人間が死んだ事は私にとって好機だと思いました。私が本当にやりたい事から遠ざかる一方、やりたくない仕事ばかり増えていました。国を動かす仕事はやりたい者がやればいい、私は海に出たいのに、そうさせてくれなかった。色々な人の恨みを買い、または今後の政で邪魔になると考える者も少なくない。正直、窮屈な思いをしていました。おかしな話かも知れませんが、私が死んだ事で私は様々なしがらみから解き放たれました』
龍馬は薩長同盟や大政奉還の実現などに尽力してきたが、自らの存在感を高めたり人より偉くなりたいとは微塵も思っていなかった。諸外国が日本を虎視眈々と狙っている中、この国の未来を守りたい。その一心で動いていただけだ。本当なら小難しく面倒な仕事は全て放り出して、船を使って海外を含めた交易をしたかった。それを一日も早くやりたいが為に、不本意ながら龍馬は奔走していたに過ぎない。薩長を結ばせたのは幕府にこの国の舵取りを任せるには不適当だから、大政奉還を進めたのは国を二分する戦を避けるのと幕府内の有能な人物の喪失を防ぐ為。ただ、討幕派にも佐幕派にも利する龍馬の行動は、龍馬の事をよく知らない人から見れば“一貫性のない奴”と反感を買っていた。そして、幕府を討つ手助けをしたとして幕府側から狙われ、武力で幕府を討つつもりだった薩長からはその好機を潰したとして恨まれ、両方から命を狙われる材料はあった。どの派閥が刺客を送り込んだかは分からないが、龍馬の存在を邪魔とも危険とも捉える人物が居たことは確かだ。
しかし、世間的に龍馬は非業の死を遂げた。これにより、龍馬の足枷となっていた縛りは全て消え、一人の人間として自由に生きられるようになった。
『私を殺したい程に憎んでいる者も居ますが、それ以上に私を好いてくれる人は大勢居ます。そうした人の援助を受け、これからは好きな事をやりたいと思います』
討幕派にも佐幕派にも人脈を持ち、様々な大仕事を成し遂げてきたのは、運や実力以上に龍馬の人柄によるものが大きい。相手の懐に入るのも上手だし、真面目な話をすれば何とも言えない説得力があり、それでいて諧謔のある言葉で場を和ませる事も出来て、性格的にちょっと抜けているところがあるのも美徳として受け止められる。天性の人たらしと言ってもいい。
龍馬が亀山社中を設立したのは薩摩藩が金を出したが、それ以上に長崎の商人達の資金援助や協力があったからだ。商人は武士以上にお金の扱いに厳しい。成功するかどうか分からない社中に多くの商人が助力したのは、それだけ龍馬という男に惹かれたからに他ならない。
『この国の膿はある程度出し終えましたので、私の役目はこれまで。今後は交易でこの国を豊かにしていく一助を担っていく所存。姉不孝の段、何卒お許し下さい』
そして、文章の最後はこう締め括られていた。
『最後に。この文は読み終えたら必ず燃やして下さい。私が生きていると分かると色々不都合があります故。最後の最後まで面倒をかけさせて申し訳ありません。姉上も、どうかお体にお気をつけて』
一番端には、龍馬の花押が記されている。活き活きとした筆遣いは、最初から最後まで健在だった。
一番最後まで読み終えた乙女は、ゆっくりと手紙を畳んで懐に仕舞う。それから台所の火打石を持ってくると、自分の部屋の火鉢に手紙を置き、火打石で火を起こす。石同士を打って出た火花が手紙に点くと、小さな炎がゆっくりと燃やしていく。その様を乙女はじっと見つめていた。
やがて、手紙は跡形もなく灰になってしまった。それでも、万一の事がないように手紙の灰を火箸でかき混ぜて、元の灰と見分けがつかないようにした。
(……さよなら、龍馬。達者でね)
全てを終えた乙女は、空に向かって心の中で龍馬に別れを告げる。その表情は、実に晴れ晴れとしていた。
龍馬が亡くなった翌年の慶応四年(一八六八年)三月、長州に居たおりょうが土佐の坂本家へやって来た。権平夫婦と折り合いが悪く三カ月程で退去しているが、後年おりょうは「乙女さんにはよくしてもらった」と語っている。
乙女は暫く坂本家で暮らしていたが、後に長姉・千鶴の次男・坂本直寛と一緒に暮らすようになる。晩年、乙女は“独”と改名。その理由については、明らかになっていない。明治十二年(一八七九年)、死去。享年四十八。
この後、直寛は明治三十年(一八九七年)に北海道へ移住する事となるが、もしかしたら乙女から龍馬の蝦夷に対する思いを聞いていたのかも知れない。
余談ではあるが……これは歴史の教科書に載ってないような話。
明治期、北海道と日本各地を蒸気船を使って交易をする商人が居たそうな。大柄なその男は、和人でもアイヌでも分け隔てなく接して多くの人々から愛されたという。男には若干の訛りが混じっていたが、どこの地方のものかは分からなかったとか。
その男が誰なのか。知る術はなかった――。
(了)