四:慶応三年十二月上旬(前)
慶応三年十二月上旬。大政奉還を宣言した徳川慶喜だったが、武力による討幕を目指していた薩長はその手を緩めたりはしなかった。それどころか、国元から秘かに兵を呼び寄せるなど、討幕に向けた準備を着々と進めていた。例えるなら“嵐の前の静けさ”、そんな感じだ。
土佐藩内でも「薩長に与するべきだ!」とする意見と「徳川家に付き従うべきだ!」とする意見があり、領内は揺れていた。薩長派は海援隊と似た時期に設立された“陸援隊”を支持する人々、徳川派は幕府の立場を重んじる山内容堂公の考えに近い人々だ。龍馬や中岡慎太郎が薩長と関係が深く土佐藩もこの両藩に接近していたので土佐藩も討幕の動きに同調すべきだと主張する者が居る一方で、徳川家には並々ならぬ恩義がありこれを倒そうとする動きがあるなら断固対抗すべきだと主張する者もあり、それぞれが政局の中心地である京へ向かおうとしていた。
以前までの乙女なら、こうした動きを敏感に察知して血が騒いだのだが……今はまるで関心が湧かなかった。
龍馬は「あまり政に口を出すのはよろしくないのでは?」と釘を刺しながらも、姉の性格をよく分かっているからか自らの仕事について手紙で赤裸々に綴ってくれた。もし男に生まれたなら有名な志士になっていたかも知れない乙女に、退屈な日常を少しでも忘れられるよう龍馬は敢えて刺激的な内容を送っていた可能性が高い。特に、結婚してからは自分らしく生きられなかったから。
あの日を境に、乙女の中の時間は止まったままだ。龍馬を失った傷心はまだ癒えず、胸に空いた穴は塞がっていなかった。
今日も縁側に座り、空を流れていく雲をただなんとなく眺めていた乙女だったが……。
「坂本さーん、いらっしゃいますかー?」
玄関から、誰かが呼ぶ声が聞こえた。義姉の千野は出掛けており、この家には乙女しか居ない。気乗りしないが乙女は応対の為に立ち上がる。
乙女が玄関に向かうと、町飛脚の人が待っていた。
「こちらに坂本乙女さんはいらっしゃいますか?」
「えぇ、私がそうですが……」
乙女宛ての荷物とは珍しい。基本的に家主の権平宛てのものが殆どで、乙女宛ては龍馬くらいしかなかった。
そう思うと、涙腺が緩みそうになる。最近は龍馬の足跡に触れただけでも涙が溢れそうになるので、なるべく考えないようにしていたのに。
町飛脚の人は手紙を取り出すと、送り主の名前を確認する。
「えぇっと……長崎の“才谷梅太郎”さんからですね」
「――んなバカな!!」
送り主の名を聞いた乙女は、反射的に大きな声を上げてしまった。
才谷家は坂本家の本家であるが、乙女の知っている限りでは皆土佐に住んでいる。長崎に親戚は居ないし、そもそも“梅太郎”という名前の人は居ない。
そして、乙女が驚いた理由はもう一つ。――生前、龍馬が使っていた偽名だったからだ。
龍馬が志士として名が知られるようになると、幕府に害を及ぼす危険人物として警戒の対象になった。その為、ある時期から変名を用いるようになったのだ。先に触れた慶応元年九月九日付で乙女と乳母のおやべ宛ての手紙では“西郷伊三郎”の差出人名を用いており、薩摩藩の大物・西郷吉之助の縁戚のように装っている。“才谷梅太郎”もそうした偽名の一つだったが……龍馬が死んだ今、この名義で送られてくる事がまず有り得ないのだ。
突然大声を出されてビックリした町飛脚の人は勿論そうした事情を知らないので困惑した表情を浮かべた。自分が間違ってないか再び手紙を確認してから、おずおずと声を掛ける。
「はぁ……しかし、確かにこの通り」
差し出された手紙を引っ手繰るように受け取った乙女は、真っ先に送り主の名を見る。……確かに、長崎の才谷梅太郎と書かれていた。
乙女は咳払いを一つすると、それまでの事は何も無かったかのように落ち着いて対応する。
「……失礼しました。お勤め、ご苦労様です」
町飛脚の人は何か見てはいけないものを見たように「はぁ……」と返すと、軽く会釈をしてからそそくさと退散していった。
あの人には悪いことをしたな、と思う一方で、乙女は胸がときめくのを表に出さないようにするだけで精一杯だった。筆跡を目にした瞬間、確信した。――これは間違いなく、龍馬の字だった。