閑話・フィーリというヤツ
フィーリはオレと同じ町から救出された五歳の女の子だ。
病で家族を失ったオレとは違い、血縁の事は何も知らないスラム育ち。
助け出された子供はオレとアイツだけで、身寄りがないオレたちはそのまま青の神殿の経営する孤児院に入れられた。
同じような境遇の皆と過ごしながら、何となくフィーリを観察してたら、ものすごく変な奴だって気づいた。
まず、文字の覚えが異常に早い。
施設内にも物覚えが良い奴がいないわけじゃないが、そもそも勉強のやり方を知らないヤツの方が多くて、それに気付くまではどうしたって覚えは遅い。
なのに、フィーリは小さい頃から家庭教師をつけていたオレよりはるかに速いペースで、文字をマスターした。
文字がわかるようになったら四則計算の勉強を始めたけど、それは何と一日で終了。フィーリはなぜか四則計算を最初から理解していたみたいだから。
その後は図書室で本を読み始めた。
最初の頃は絵本を読んでいたけど、気づいた頃には分厚い神学書になっていた。たぶん、読み始めて一週間くらいしか経たない頃だったと思う。
同じようにそれに気付いた神官様が色々お話しして、眺めていたわけではなくきちんと理解して読んでいるとわかって、施設は大騒ぎになった。
どこから話を聞きつけたのか、商家や神官家から引き取りたいという申し出もあった。
でも、そういうのは大体が自分の家に優秀な血を組み込みたいという縁談が隠れている。
オレの家もあの貧乏な町の中では裕福な方だったし、扱ってるのが薬とあってそっちで利権を得たい奴らから似たような申し込みがあった。
妹だって、生まれたとたんに話が持ち掛けられたというから呆れる。
でもさすがのフィーリもそういう話には疎いみたいで、神官様達が片っ端からはねのけてくれたのを知らずに呑気に『どこかの家に養女に入りたかった~』なんて言ってる。
養女として引き取られたとしても、その実は愛人扱いになるなんて話もある。後ろ盾のない子供は、油断すればあっという間に食い物にされる。それは神の町でだって同じだ。
見習い騎士になれば、少なくとも十五歳までは専属騎士が付いて目を光らせて貰える。
だからこそフィーリは見習いにならざるを得なかった。
神殿長様は教える必要はないと言ってたけど、あの呑気さを見ると一言言ってやった方がアイツのためになったんじゃないかと思うんだよね。
オレが一緒に見習いになったのは、元々オレの話の方が先に進んでたから。
フィーリの見習いの話が出たのは、オレの専属の騎士をカナン様が引き受けると申し出てくれた頃だった。
まだ小さいから年上の見習いと一緒にした方がいいという青の神殿長の名前で申し入れがあって、オレたちよりいくつか上の見習いとペアにされるはずだった。
それなのにアイツ、専属先への挨拶の日、俺と一緒にいたカナン様を見たとたんに『運命だから結婚してください』とか言い出しやがった。
唖然とするカナン様、何だこいつという顔で見てくる女の人達。一人爆笑していた本来の専属騎士様。
本来の専属騎士様は翠の神殿の女性騎士。ちょっと変わり者らしいけど本が好きで、知識も豊富だし翠の神殿の蔵書は貸出自由の上に量が神殿都市一だ。
フィーリも本が好きだから、色々な好奇心を満たしてくれるだろう。それもあっての人選だったはずだけど、飛びつかんばかりのフィーリを同じ施設出身の先輩見習いと二人がかりで抑える姿を見てひとしきり笑った後。
七歳になったら予定通り引き受けるから、それまでは面倒見てやれと勝手に決めて去っていった。
とはいえ異性の騎士の専属になるのはよろしくないという神官の意見もあって、かなり長い事フィーリは説得されていたけど、絶対にうんと言わなかった。
事態を全くわかっていないから、カナン様の専属になれなければ見習いにもならないとまで言い出して、結局神殿側が折れた。
同時に、フィーリの世話係という名の面倒ごとも、こちらにお鉢が回ってきてしまった。ほんと、いい迷惑。カナン様は完全に貧乏くじだ。
フィーリは表面上、というかたぶん自分では上手くやれていると思っていると思う。
口調はやや敬語や謙譲表現過多と言われるけど、礼を欠くよりずっといい。
でも、その行動や表情が目に余る。
例を挙げるなら、カナン様の周りにいてその妻の座を狙う女の人たちと良く似た表情をすることがよくある。
それだけならマセガキで済むけど、時折カナン様を見ながらニヤニヤと笑ってる事があって、それが途轍もなく不気味。
あれは絶対、何かよからぬ事を考えてる顔だ。
正直、五歳児がしていい顔じゃない。カナン様もそれは同意見で、もしかしたらもっと年上の人間が子供に化けているのではと考えたくらいだ。
変装はなさそうだと変身を解く薬を何種類かこっそり飲ませたこともある。変身する薬は材料も貴重だけど、ほとんどが違法な薬物だ。そんなのを使うヤツっていったらマトモな職業であるわけがない。
幸いそっちも空振りで胸を撫でおろした。
でも、そうだとするとあれは正真正銘の五歳児って事になり、それはそれでうすら寒い。
他にもやたらとカナン様の部屋の中を探りたがるし(おかげで部屋の掃除はオレの仕事)、風呂で待ち伏せもしやがったので、カナン様はオレ達がいる時間にどんなに汗をかいても風呂にもいかなくなった。
はっきりいって面倒を巻き起こしているとしか言えないフィーリを専属にしておくメリットは、カナン様にはない。
それでも放り出さないのは、カナン様の上役に何があっても七歳までは面倒を見ろと言われているからだ。
フィーリが考え直せと説得されている間に先んじてお会いしたその『上役』は、カナン様という一目置かれる騎士の専属であることで牽制にもなる、またカナン様にとっても思わぬ所で助けになるだろうと微笑んで言っていた。
あれが助けになる場面てなんだよと思わなくもないけど、カナン様はその言葉にあっさり納得して、フィーリを専属に置き続けてる。
まあ、あのちょっとドン引きしたくなるような表情には辟易してるみたいだけどさ。
カナン様はいざと言う時には非情な行動もとれる騎士様だ。
だからフィーリごときにどうこうされる事はないだろうし、その辺りの心配は全くしてない。
例え明日世階が滅ぶとしても、カナン様がフィーリを選ぶことはないだろう。選ばないと死ぬと言われたら、さっさと死を選びそうなくらい脈はない。
今日もシャナ様と二人きりになるのを回避したカナン様を見てまたニヤニヤしてたけど、そもそもフィーリは『二人きりになることを避けなければならない相手である』と認識すらされていない事実に気づいているのかな。
ちょっとやることはアレだけど同郷だし、世話をし続ければ多少の情は移る。
決定的な事をやらかす前に全部に決着がついてほしいなんて、高望みしすぎかな。
忘れてたなんて、そんなことは…