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午後の実技訓練が終われば解散となります。
見習いになっても正騎士になれるかは別ですので、他に仕事を持っている人も珍しくなく、女性であれば忙しい両親の代わりに家事を…という事も良くあります。
子どもの場合、家の手伝いがない裕福な家庭の出でも、保護者のいる家へ帰されます。
そして私達専属先のある見習いは、保護者である騎士様のお仕事中の雑用や、お留守にしている間のお部屋のお掃除などを行います。
今日のカナン様のご予定は第一街壁の視察。
セイクリオンが徐々に大きくなっていった跡を示すように、内側から第一、第二、第三と町を取り囲む高い壁が作られ、現在は第四街壁が最も外側に作られています。
第一騎士団は近衛ですので本来塔の中の警備がお役目です。
それでも、万一に備えて最も内側、第一街壁のメンテナンスや設備の把握に関わる事が求められるのです。
そしてここに、私にとってのライバルがいるわけですが。
「砲弾の数は変わってないか?」
「数はそのまま。ただ、最近新型に半数が入れ替えになったよ」
「充填方法の変更は?」
「ないよ。でも従来型よりもより早く、より少ない力で充填が可能になってる。
従来型のつもりで入れすぎると暴発はしないけど不発になるって話もあるから、一度野外演習組んだ方がいいかも」
ぴったりとカナン様の横に陣取って、一緒に書類を覗き込む女性。
所々汚れた作業着には紅い腕章が嵌っています。
第一街壁を管理する赤の騎士団所属の技師で、カナン様と同期入団のシャナ様。
お父様の才能を受け継いでご自身もとても有能な技師であり、第一街壁勤務の若手技師の中でも頭一つ抜けた技量をお持ちと評判です。
第一街壁の内側、第一騎士団も時折巡回に出る塔周りのインフラにも関わっている為、巡回のお供時に出くわす事もとても多いのです。
カナン様も同期とあってとても態度が気安く、顔を合わせる度に…
「団長には演習を進言しておく。後何か変わった事は?」
「ないよ~。私通常で上がりなんだけど、カナンは? 先日新しい酒場が出来て私も水周りに関わった縁でお誘いもらってるんだ。
個室も用意してくれるって言うし、今夜あたり行ってみない?」
こういうお誘いを入れてくるんですよね! 私も孤児院暮らしでなかったら、もっと年齢が高ければ、一緒に行く!と言えるのですが。
「おー、いいな。今日は報告上げたら上がりだから行ってみるか」
カナン様も断らないし!! ちら、とシャナ様の視線がこちらを向いて――フッと勝ち誇ったような視線が向けられます。
ええ、シャナ様に比べれば、アンナリース嬢なんて可愛い物です。
顔が歪みそうになるのを必死に耐えます。耐えろ私。カナン様の事だから、この後絶対――
「確かレイも今日は非番って言ってたから声かけとくわ。二人で先に行っててくれ」
「…そうね、わかった」
ふふふ、この反応にはついつい私の顔も緩んでしまいます。
カナン様は絶対に女性と二人きりでプライベートを過ごさない。そう、何があってもです。
シャナ様でなければ、もしかしたら同じ第一騎士団の女性騎士様も含まれるかもしれませんが、女性の、特に未婚の方の個人的な食事などのお誘いは全てきっぱりとお断りされます。
そしてそんな中、カナン様が二人きりでも気にせず過ごす唯一の女性がこの私! トリアというお邪魔虫がいますのでそう回数は多くありませんが、二人きりでの食事回数が0と1では大きな違い。
シャナ様はカナン様を取り巻く女性の中では破格の対応で誘われれば二つ返事ですし、触れてこようとするその手を避ける事はありません。まさに友人の気安さ。
しかしやはり二人きりというシチュエーションにはならないように細心の注意は払っており、お出かけの際には同じく同期で見習い時代から三人でいたというレイ様か、日中なら私達専属見習い、もしくは紅の騎士団の見習い達に声をかけています。
つまり、いくらシャナ様が付き合いの長さや気安さを自慢しようとも、結局『そういう目』で見ている相手ではないという事なのですよ、ふふん!!
「…おい、その顔やめろ」
ついつい顔が緩みすぎてしまったようで、トリアが変な物を見る目で見つめてきます。
「その顔ってどんな顔ですか」
「ろくでもない事考えて、しまりのない顔」
「失礼な!」
全く、トリアはわかっていません。これは王道ラブストーリー。
子どもの頃からお傍に置いていただいた見習い騎士が、やがて大人になっていく過程でお世話になった騎士様に愛を捧げ、やがて結ばれる物語なのですよ。脇役はただ黙って微笑ましく見守っていればいいのです。
さすがに声に出してはいいませんけども!
「トリア、フィーリ。今日はこれで終わりだ。帰るぞ」
「はい、カナン様」
返事を返した私の隣で、トリアがシャナ様を振り返ります。
「シャナさん、今度また見学に来てもいいですか」
「もちろん、いつでもおいで。私がいなくても誰かしらが面倒見てくれるから。
あ、一応見習いってわかる服装でよろしく」
ひらひらと手を振るシャナ様に、トリアが深々とお辞儀します。
トリアの実家は薬を中心に扱う商家だったようですが、トリア自身ははセイクリオンにやってきて初めて見る機械類に興味を惹かれ、休日にはほぼ一日この第一街壁の技師さん達の仕事場に入り浸っています。
とはいえやはり家業だった薬からも意識は離れないらしく、勉強していつか製薬を楽にする機械を作りたい、と思っているようなのですが。
その為、それを面白がって色々教えてくれるシャナ様や技師さん達にはとても敬意を払っており、カナン様からもシャナ様の専属に移るかと聞かれたことがあるくらいです。
ちょっと期待したんですけどね。これでカナン様を独り占めできるんじゃないかと。
けれど、カナン様に対するご恩返しもほとんどできていないからと答えは否。預け先に指名されたシャナ様も力仕事が多いからと、転向するつもりがあっても先の判断にするように勧められてしまい。
結局、今に至ります。
「トリア」
日が暮れ始めた帰り道で、カナン様はおっしゃいました。
「別に俺に義理立てしなくていいからな」
「いえ、そういうわけでは」
「あの時お前たちを俺が見つけたのはたまたまだ。俺が見つけなくても、神官たちは家をかたっぱしから捜索するくらいはしただろう。
だから、変に俺に気を使ってるならシャナの所に移れ。フィーリはいずれ女騎士の所に移るように言われているはずだな。
七歳までは俺の下にいるのを認められてるが、それより先に移っても構わないぞ。かなり知り合いも増えただろう」
私が前世を思い出したあの日、私の叫びに気づいて見つけ出してくれたのが、カナン様でした。
神殿都市の役割は、救いを求める人々の救済です。
私達の出身の町はとても貧しく小さく、神官様をお招きする神殿を建てるのもままならない経済状況でした。
その為月に一度神官様がやってきて医療行為を施したり、説法を聞かせてくださったりするのです。
あの病は感染の仕方や潜伏期間、そして発症後の悪化の具合がとても特殊。月に一度しか来られない神官様では早期発見とはいかず、事態を知り、応援を頼み、その間も神官さまはお一人で必死に頑張ってくださいましたが、結果はほぼ全滅。
そんな中、私とトリアは護衛と情報収集を兼ねて同行していたカナン様に発見され、一命をとりとめました。
だからそれに恩返しを、と思ったのは間違いありません。少なくともトリアは純粋に恩返しのつもりでしょう。
私だって、半分くらいはご恩返しのつもりです。でも、残りの半分は。
「私はできれば期限一杯カナン様の専属でいたいです。
女騎士様は結婚なさると退職することもあると聞きますし」
一日でも長くお傍にいて、シャナ様の魔の手から守らなければ!という本音はぐっと飲みこんでおきます。
フィーリは今五歳、実は後半年ほどで六歳。一年と少ししか時間はありませんが、カナン様は現在十九歳、結婚まではいかなくとも婚約が整ってもおかしくない適齢期です。
逆に平民出身のシャナ様は平民出身ですのでその辺りは自由でしょうけども、女性の適齢期は二十歳前。
今十八歳のシャナ様が将来結婚をお考えならば、一年後せめて恋人がいなければ『嫁ぎ遅れ』として扱われてしまいます。
何しろカナン様は結婚相手なんて選り取り見取りの好条件の塊。若さという武器のあるうちに攻めてくるに違いありません。
この一年半を凌げればシャナ様はもはや相手を選んでいる暇などありません。だからこそ、今お傍を離れるわけにはいかないのです。
「……」
「――? 何か?」
カナン様とトリアがなんとも言えない顔で私を見てきます。
その微妙さに首を傾げると。
「…お前、さあ…」
「いい、トリア。気付いてない方が都合がいい。後一時間もしたら門限だろう。帰るぞ」
「まあ、そうですね」
二人は不思議な事を言い合い、再び歩き始めました。
一体なんだというのでしょうか。
カナン様に送られて施設に帰り着いた後は、食事や入浴の時間を経て短い自由時間。
ファンタジーの世界でお風呂というととても珍しいと思います。ほとんど貴族の特権として描かれている事がほとんど。
しかし、この世界のお風呂は水汲みも湯沸かしも全て魔法。一般家庭でもお風呂を持つ人は少なくないといいます。
実際孤児院のお風呂は旅館にあるような大浴場。孤児院を運営する青の神殿は水の神様をお祀りしているので、神殿内に水路が流れる作りになっています。
その為水には事欠かず、洗濯も毎日されますし施設内はとても清潔。
自由時間は、私やトリアは残念ながら勉強に消えてしまうのですが、よくある規則でがんじがらめになっている施設とは全く違い、食堂に集まってカードゲームに興じたり、部屋で本を読んだりと屋内で静かに過ごしさえすれば何をしていても咎められる事はありません。
トリアは要領がいいので早々に勉強を終わらせて食堂で好きに過ごしている事が多いようですが、フィーリは体の幼さに引きずられているのか、終わるころにはもう眠くて仕方がありません。
今日も、消灯の時間までに終えようと、重たい瞼を何度もこじ開けながら机に向かいます。
こうして、見習い騎士の一日は過ぎていくのです。