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オートバイ青年と出会った

 雨がやっと降ってきた。

 都市の路面にはレンガが敷かれている。雨が降ってきても、土のにおいを空気に巻き込むことができず、かえって積み上げたほこりを洗い落としてしまう。

 透明なビニール傘を持って、六本木の高い建物の間を歩いていると、ようやくメモに書いてあったビルが見えてきた。

 ドアを開けると、まず耳に響いたのは風鈴の快い音だった。

「失礼します」

「あ、いらっしゃいませ」

 声の方向を見ると、二十代の男がテーブルの端に立って、真っ白な雑巾でテーブルをふいていた。

「羽生と申します。()(した)さんはいらっしゃいますか」

「おれだ。やっぱり写真よりご本人の方が可愛いよ」

「え?何の写真?私が来るのをご存じですか」

 そう聞きながら羽生は椅子を開き、机の前に座る。

「ええ。仁生から教えてくれたんだ」

 木ノ下はカップに注いだお茶二杯を持ってきて、一杯を羽生の前に置いていたが、もう一杯のカップのハンドルはテーブルの端に平行に置いた。

「身元確認のため、写真を送ってくれた。この業界も、君たちと同じように、危ないんだからさ」

「うちの部長とは、仲良しですか」

「そうだね。何年前から……。」

 木ノ下は途中で止まって、羽生の前のカップに目を落とした。

「どうしたのですか」

「失礼」

 彼はそう言って、羽生のカップへ手を伸ばし、再びハンドルがテーブルの端に平行になる場所に置いた。

「さあ、さっきどこまで言った?」

「何年前から?」

「ああそう、あの時、事件がきっかけで、仁生と出会ったんだ。彼は本当にすごい人なんだよな」

「ですよね」

「ほら、今度は何を頼みに来たの」

 ようやく本题にたどり着いた。羽生は慌てて資料を取り出した。

「私の依頼人が殺人の疑いで起訴されました。でも、本人が犯行を認めません。それで、おかしいと思いまして」

「うん……。」木ノ下は片手で頬を支えながら言葉を紡ぐ。

「二つの可能性があるよね。一つはこの人が嘘をついた。もう一つはこの人がたしかに濡れ衣を着せられた」

「木ノ下さん、調べてくれませんか」

「もちろん、ただし、二つの条件がある」

「条件?」

「まずは、これからは下の名前で呼んで欲しいな」

「わかりました。二つ目は?」

 木ノ下の口角が少し上がっている。

 彼はとなりの棚から、二つのオートバイのヘルメットを持ってきた。

「行くぞ」


 十年前。

「逃がすんじゃねぇ!」

 いくつかの不良少年が高校生であった笹川美紗子の前に飛び出してきて、彼女の行く手に立ちふさがった。

「どいてくれない?」と笹川は冷静な声で言った。

「悪いがどかねぇ」金髪な少年が一歩前に出た。「ちょっと俺たちと付き合ってくんねぇの?いい場所連れてってやるから」

 笹川が声を出す前に、どこから「やめろー」という声が近づいた。

 そして、隣の公園から、もう一人の男子高校生が飛び出した。

 その不良少年たちはびっくりして、「てめぇ、いったい何者?」

「お前らと関係ねんだろう!さっさと去れ!」

「こいつ、いい度胸だな。行くぞ!」

 その男子高校生も恐れず、鞄を道端に捨てたままに、不良少年たちへ飛び掛った。そして、悲鳴と泣き声が飛び交って、不良少年たちが退けられた。

「大丈夫?」男の子は鞄を拾って、ポストの後ろに隠れていた笹川美紗子の方を振り向く。

「大丈夫、ありがとう」

「ああ、この制服!お前も高島高校の生徒だろう。ぼくは三年C組の小岩貴志」

「三年A組の笹川美紗子」

「A組かぁ。じゃあ、きっと成績がいいだろうな。で、お前はどこに住んでるの?家まで送ってやるよ」

 美紗子は微かに首を振った。「いいえ、もうすぐだから」

「そうか。じゃあ、またね」

 笹川美紗子は立ち去ったら、さっきの不良少年たちは、こっそりと帰ってきた。

「たかし、手加減なしかよ」金髪の少年は鼻を拭いた。鼻血で顔の下半分はもう血まみれになってしまったのだ。

「悪い、今度飯おごるから」

「今度じゃねぇ、今日でいいよな?みんな」もう一人のデブな男の子は小岩の肩に腕を載せた。

 潮のような歓声に包み込まれ、まるでその喜びを伝染されたように、なぜか小岩の気持ちも楽しくなってきた。


「着いたよ」木ノ下純次はある学校の前でオートバイを止めた。「高島高校だ」

「まったく……。」羽生は自分のレーンコートを見下ろした。「こんなに雨が降ってるのに、なんでタクシーを呼ばないの」

「タクシーじゃおれさまのかっこよさを見せられないだろう」

 木ノ下純次ヘルメットをはずし、髪がすでに鳥の巣のように絡まっている。

 カップまできちんと並ばないとイライラするくせに、髪のお手入れをしないのかと、羽生は思わず心の中に叫んだ。

 チッと舌打ちして、羽生は不快な口調で聞いた。

「この学校には依頼人が無罪の証拠があると思うの」

「いや別に。おれはただ君の依頼人とその被害者の関係を知りたいだけ」

 瞬きをして、木ノ下は羽生の顔を覗き込む。

「だってファイルに書いたのは、すべてとは限らないからさ」


 夜の中、加茂仁生はコーヒーカップを持って、オフィスの窓の前にしばらく佇んでいた。

 夜景を見るつもりだが、カップの中から水蒸気が漂い出ていて、ガラスを曇らせた。

 加茂は手を伸ばし、ガラスについた水滴を拭いたら、ガラスの反射で田名部京太郎の姿が見えた。

「進み具合を聞きに来たのかい?これは少し早い」

 加茂は振り向いて、席に戻った。カップもテーブルに戻した。

「もう知ってるんですよね?この事件を担当していた検事を、別の検事と取り替えました」と田名部京太郎が説明した。

「いいんじゃない?東條(とうじょう)検事はベテランなんだから。俺だって、どう対処すればいいだろうと、随分悩んでいた」

 田名部は目を閉じ、ふっと息を吐いた。

「加茂先生……本当に何も聞いてないのですか」

 これを聞いて、加茂も思わず眉をしかめた。

「何を?いったい何を言いたいのかい」

「鷹木検事は、東京に戻りました」

 田名部はこの名前を口にすると、加茂の心は一瞬揺り動かされた。本人はその感情を必死に隠すつもりだが、どうやらもう顔に出てしまった。

「どの鷹木か」

「ボケてるんですか?」田名部が加茂の向かい側の椅子に座った。「鷹木友里のことですよ!知らないとは言わないでくださいね」

「あ、そうか」

「あの、もし彼女と会いたくないなら、別の法律事務所に相談しに行きます」

「やめろ。他人に知られたら、俺たちどう思われるのだろう」

「でも……。」

「大丈夫。もし俺は、そんなつまらない昔事ことに簡単に影響されたら、4年前、鷹木は北海道に行かなくなったかもしれない」

「そこまで言うなら、いいでしょう。邪魔をしませんから。けど、羽生先生は巻き込まれるんですか」

 加茂仁生は小さく吹き出した。「お前、気にするのがどっちなんだよ」

「どっちも」田名部は椅子から立ち上がった。

「いいだろう。しかし、俺にもわからないさ。巻き込まれるかどうかを」


 高島高校から戻って、羽生と木ノ下はファーストフードのレストランに入った。

「これじゃまずいよね」と言いながら、羽生はハンバーガーの包み紙を開けた。「被害者は優等生、そして容疑者は近所の不良少年の仲間。どう見ても愛情に苦しんでいて、憎しみに変わったみたい流れだね」

 木ノ下から、しばらく返事がなかった。羽生は怪訝な顔で頭を上げると、イライラと自分のハン

 バーガーをいじっていた木ノ下の姿が見えた。

「ねえ、聞いてる?」

「待って、レタスがこぼれ落ちたから」

「落ちたらそのまま食べよう」

「チッ、崩しちゃったか。もういい、食べたくない」

「もったいないなぁ、これまだ食べてないから、こっちの方を食べて」と言って、羽生は自分のハンバーガーを木ノ下に渡した。

「サンキュ、さっき何を言ったっけ?」

「今まで手に入れた情報から見ると、依頼人が犯罪に該当する可能性が高いと思う」

「おれはそう思わないけど。忘れるなよ、彼はこの間も被害者の家に出入りしたんだから、その時はまだ制限されていなかったはず。だからその後、二人の関係は絶対前より悪化したよ」

「つまり、その悪化は、最近のこと?」

「そうだ」

「じゃあこれからどうするの」

「被害者は婚約者いるんじゃない?彼はきっと何かを知っているさ」

 木ノ下は、指先についたソースを、舌で素早く舐めた。

「とは言っても、私たちは弁護側だよ。彼は協力してくれるかな」

「うん、じゃあキャラ設定作ろうか!」


 数日後、羽生と木ノ下純次は笹川と婚約者の新居の入り口に立ち止まった。

 スーツを着ず、弁護士のバッジもつけていないまま、羽生はピンクのワンピースを着ている。その隣の木ノ下純次は、設定を維持するために、オートバイに乗っていない。

「本当に家にいるの?間違いないよね」と羽生は不安な顔で訊いた。

「もちろん、彼のスケジュールをもらったからさ」

 笹川の彼氏は早崎(はやざき)将行(まさゆき)という一人の外科医である。木ノ下純次はどうやって彼のスケジュールを手に入れたことについて、考えなくてもわかることだ。どうせフロントの看護師に媚びただろうと、羽生は思っている。


 ドアチャイムが鳴ったら、三十代の背の高い男性がドアを開けた。

「あのう」

「おれたちはもうすぐ向こうに引っ越しするから、先に挨拶したいと思いまして」

 普段の態度と全然異なり、木ノ下純次は断られづらいほど爽やかな笑顔で答えた。

 早崎は全く疑わないように、二人を家の中に招き入れた。

「綺麗なお家ですね」羽生もすぐ役に入った。「早崎さんは一人暮らしですか」

 彼は頷き、侘しく微笑んだ。

「本来は彼女と一緒に住むつもりですが……。」

 早崎の言葉は途中まで切れた。もっと情報を聞き出すため、木ノ下は白々しいと言葉を紡いだ。

「同棲前に別れたのですか?それは残念なことに。彼女を取り戻すことができるだろうか」

「つい最近、亡くなりました」

 木ノ下は慌ててすみませんと謝罪を連発した。

 溜息をつき、早崎は棚から一つの額縁と取り出して、テーブルに置いた。

「もしそのことが起きていなかったら、今は美紗子も一緒にここで座って、おしゃべりできるでしょう」

「そのことって?」と羽生は訊いてみたが、答えてくれなさそうだから、言い方を変えた「引っ越してきたばかりで、ちょっとこの辺の安全を心配です」

「個人的なことですから、奥さんの心配することはありませんよ。このあたりの治安がいいです」

 そう言いながら、早崎の顔にはもう悲しみを表していない。代わりに優しい笑みを浮かべた。

 それでも羽生は微かに見えた。その笑みの裏には、大切な人を失った後の喪失感だ。


「彼は本当に何も知らないんだ」早崎の家を出て、羽生は嘆きをした。

「そう思わない。彼は笹川美紗子の死を私的な事柄と認識して、少なくとも、彼もあの小岩が犯人だと思う」

「これ、先入観じゃないの?」

「君が言った先入観は、おれたち入ったときは二人の関係を説明していなかったのに、夫婦だと思われたこと?」木ノ下の顔にはいたずらの笑みを浮かべていた。

「まあ、同じことでしょう。……ていうかそこじゃない!」

「あれ、思い出した。名前で呼んでって言ったよね。あれから名前で呼んでた?」

「知り合ったばかりの人に名前で呼ぶなんて、私にはできない!」と羽生は必死に頭を振る。

 木ノ下は左右を見て、人の姿を見当たらなかったから、羽生に近寄った。体に沁みるような緊張に襲われてきて、羽生も少し下がったが、彼に壁に押し付けられた。

「おいおい、弁護士のくせにこんなに無責任なのか」

「弁護士とは何か関係があるの?ち、近いよ」

「おれの条件、忘れるなよ。ほら、『純次くん』って呼んで」

 顔は恥ずかしそうに赤く染まって、羽生は必死に下を向いた。「じゅん……純次くん」

「よしよし」彼は手を伸ばして羽生の頭を揉めた。「これからもよろしくね、未明ちゃん」

 何事もなかったように、木ノ下はポケットに手を入れるままに立ち去った。

 彼の後ろ姿を見て、なぜか羽生の顔は、ますます赤くなってしまった。

「なんだよ、もう!」

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