第二話 挨拶に行こう魔界編
見渡せば悪魔が笑い、モンスターたちがうごめいている。
見上げれば黒雲と禍々しい紫色の空。
ここは魔界。魔族が統治する世界だ。
「ごくり」
勇者太郎は緊張のあまり、唾を飲み込み、露骨に喉を鳴らした。
彼はさっそくラスボス子の親に婚約の挨拶をしに来たのだ。
ここは魔界の三丁目、ラスボス子の家の前、いまだかつて人が入り込んだことのない領域。
「緊張しているの?」
「あ、ああ。正直ラスボス子に戦いを挑んだ時以上に緊張している」
勇者太郎の目の前には悪魔的なデザインの扉。
(見た目以上に重厚で重々しく感じる……しかし……)
勇者太郎は一度、ちょこんと隣に立っているラスボス子に目をやる。
華奢な体、整った顔、柔らかそうな唇、紅い宝石のような瞳。
(俺は彼女と結婚したい、そのためには)
勇者太郎はありったけの勇気を振り絞った。
勇気で恐怖に打ち勝つ、その姿はまさに勇者であった。
「行こう」
「その潔さ、惚れ直すかも」
そんな勇者太郎の様子を見てふわりと笑みを浮かべるラスボス子。
そして彼女は自身の実家の扉に手をかけた。
「ただい――――」
ラスボス子が「ま」という直前、高出力の魔力が勇者太郎に襲い掛かった。
それは当たったものを毒、麻痺、衰弱の状態異常に陥れ、命あるものを四回は殺す超高速の悪魔の弾丸。
「うお!?」
勇者太郎はとっさに身を捻り、ひらりと攻撃を回避した。
物凄い轟音が鳴り響き、魔界の四丁目が地図から消えた。
「ほほう、ちょっと狙いを間違えたかな」
勇者太郎が声の主を見返すと、そこには赤髪長髪の整った顔の男が立っていた。
赤髪の男は勇者太郎を認識すると目をめいいっぱい開き、彼を威嚇した。
「きぃさぁまぁぁぁぁ……。話は事前にきかせてもらったぁぁぁ、結婚だぁぁぁ? 私の愛娘をどうしてくれると!!」
なぜだか彼はもの凄い敵対心をむき出しにしている。だが、台詞から考えて、彼がラスボス子の父親なのだろう。そう察した勇者太郎は素早く頭を下げた。恐るべき速攻である。
「お嬢さんを俺にください! 俺たちの結婚を認めてください!」
勇者太郎はきっぱりと彼に自分の意志を伝えた。
戦いにおける先制攻撃は有効。それは彼の戦闘経験から叩き出したラスボス子の父親への戦略だった。
しかし、そもそも戦闘経験から挨拶の戦略を立てることが間違いであった。
「認めるぅぅ? ふぅざぁけぇるぅぅなぁぁぁ、お前のような人間に、娘をやれるか!!」
火に油、燃えた油に水、水蒸気爆発がごとく、彼女の父親の怒りが爆発した。
普通の生き物なら触れただけで死んでしまうかもしれないレベルの魔力がラスボス子の父親から放たれ家を覆う。
ラストバトル級の緊張感、とてもまともな話ができる状況ではない。
そんな中、てとてとと父親に近づいたラスボス子は父親をにらみつけた。
「お父さん……きらい」
「ごふんっ」
それは全国の父親が一度は体験するであろう魔法の言葉だった。
娘の即死の言葉にラスボス子の父親は膝から崩れ落ちた。
「だが、前の男はお前にひどいことを……!」
「ま、前の男……!」
それは全国の彼氏がそのうち体験するであろう地獄の言葉だった。
その悪魔の言葉に勇者太郎は膝から崩れ落ちた。
死屍累々、大惨事ピタゴラスイッチであった。
「……その話はやめて」
「いいや、この男もあの男と同じに違いない。お前が三百歳だと知ったら年増だおばさんだといってお前を切り捨てるに違いない!」
「……三百歳?」
勇者太郎はピクリと反応した。足に力を籠め、立ち上がり、ラスボス子を見つめる。
魔族は人間の十倍ほど長く生きられる。三百歳と言えば魔族の間では、人間でいうアラサーと同じ扱いになるのだ。
ラスボス子は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「や、やめて……ちが……そんな見ないで」
ラスボス子はその小さい手で顔を覆い、おどおどと何かをうかがうように勇者太郎をチラ見している。
(か、かわいい……!)
その時、勇者太郎の中で何かが弾けた。
弾けた何かは勇者太郎に力を与え、彼は腹に力を入れた。
(前の男がなんだというのだろう。所詮は彼女の可愛さに気が付けない低スペック男、いつか見つけて俺が倒す)
「俺は君がいい! ラスボス子ォ! お前が欲しいぃ!」
今時なかなか聞かない告白を叫ぶ勇者太郎。
「勇者太郎……!」
勇者太郎の熱気に当てられたのか、ラスボス子は思わず彼に駆け寄り、抱きしめた。
二人の抱擁を見せつけられた彼女の父親はたまったものではなかった。
「ほほう……ゆ、勇者太郎といったか、す、すすす少しは見所があるではないか……。では試してやろう。お前が私の愛娘にふさわしいかどうかをな!」
怒りで膝をガクガクと震わせながら、立ち上がったラスボス子の父親は奇妙な動きの後、高出力の魔力を放った。
「エターナルフォース……! 当たったら死ねぇぇ!」
先ほど避けた魔力の弾丸が、吹雪のごとく無数に分裂し、勇者太郎に襲い掛かる。
こととしだいによっては魔界が消し飛ぶレベルの大魔法。
しかし勇者太郎はラスボス子を背に、全力で彼女の父親の魔法に立ち向かった。
「うおおおおおお!」
勇者太郎は自身の魔力を障壁として前面に展開、ラスボス子の父親の魔法を受け止める。
「な、なんだと! この魔法に! 人間ごときがぁぁ!」
「ぐぅぅっ……! 改めて言う! 俺たちの結婚を認めてくださいッ!」
いかに勇者と言えど本来は一瞬で殺されるレベルの魔法だが、ラスボス子を傷つけまいというシチュエーション補正で二倍、加えて背中にいるラスボス子にいいところを見せたい補正で二倍、更に両手を使って魔力を放出することで二倍、ラスボス子がかわいいので十倍、しめて八十倍の能力補正がかかっていた。
「貴様ぁぁ! 娘を泣かせないことを誓うか!」
「泣く暇もないぐらい、毎日幸せにしてみせますッ!!」
「……君というやつはッ! 人間にそれができるというのか!! なら証明してみせろ!! 第二形態限定解除ォ! これが私の全力だ!」
掛け声とともに、ラスボス子の父親の魔力が跳ね上がる。
彼は俗に言われる第二形態になったのだ。
そこから繰り出される魔法の威力は先ほどの比ではない。
強烈な衝撃が勇者太郎の障壁を絶え間なく襲い、勇者太郎はじりじりと後ろに下がらざるを得ない状況に追い込まれた。
「ぐっ……」
ついに勇者太郎が張った強度80倍の魔力障壁にヒビが入る。
それでも勇者太郎は踏ん張り続けた。
(ここで、諦められない……! 諦めてなるものか!)
だが、いかに踏ん張っても、80倍の補正が入っていても本気の魔族と人間、魔力の差を覆すことができない。
「お父さん、私も彼と結婚したい……!」
「ごはっ!!」
彼女の言葉に父親は吐血した。
だが、親の意地からか、吹雪は止まない。
「娘を、お前なんぞにぃぃぃ!!」
「う、うおおおおおおおおお!!」
(彼女の気持ちに応えるんだ!)
ラスボス子の言葉で勇者太郎の体に力が湧いてくる。
好きになった女の子の声援補正で十五倍、これでしめて四百倍。その能力補正の結果、勇者太郎の障壁はラスボス子の父親の必殺技をも凌ぎきるものとなった。
「…………わかった」
そうして吹雪はやんだ。
勇者太郎とラスボス子の父親はどちらともなく膝をついた。
「だが、娘を不幸にしたら私は人界を滅ぼそう」
「そんなことはありませんし、させません!」
肩で息をしながらも、勇者太郎は彼女の父親の言葉にしっかりと返す。
迷いなく言い切った彼を見てラスボス子の父親はついに床に倒れた。
「負けたよ……君の根性を認めて特別にお義父さんと呼ぶことを許そう」
「ありがとうございます! お義父さん」
勇者太郎も膝をつき彼に答えた。
そうして勇者太郎は無事、ラスボス子の父親から婚約を認められたのだった。