氷の魔王
「…………リュウヤ、お願い」
「うん、任せて」
張り詰める思いを抑え込むように、リルフィリアがこちらを向く。いよいよだ。炎の魔力を手にした今ならば、この氷を溶かすことが出来る筈だ。
そっと氷に手を添える。その中心にいる人物、リルフィリアの姉に向けて、強化の魔力を通して炎の魔力を注ぎ込んでいく。一度に大量に送るではなく、ゆっくり、ゆっくりと。小さなコップに水を慎重に注ぐように。すると段々と、氷に見る彼女の景色が歪んできた。彼女を中心に、氷が解けている証拠だ。
「姉さん……頑張って……」
振り絞るような声をリルフィリアが漏らした。もどかしいだろう、最愛の家族を目の前に何も出来ないというのは、もどかしいに決まっている。
「リル、手を、背中を押して欲しい」
「手を……うん」
そっと手が触れる。ただそれだけの行為で、溢れるような思いが伝わってくる。大丈夫、この思いは届いている。きっと、リルのお姉さんに届いている。
「……もうすぐだ!」
触れる氷に、厚みが、重厚感が感じられなくなってきた。あと一息だ。だがここで焦ってはいけない。慎重さを保ち続けるんだ。
「……モウ、アドスガ割ロウカ?」
「いや、それはやめておいた方がいい。無理に壊した場合、どんな影響が出るか分からない。今はリュウヤを、二人を信じて待つんだ」
氷の表面に水滴が見える。もう少し、もう少し、もう少し! そして遂にその瞬間は訪れた。
鏡を割ったような、甲高い炸裂音。もうリルと姉を隔てるものは無くなった。宙に浮いていた氷の魔王は、ゆっくりと地面へと向かっていく。一番に駆けだしたのは勿論リルフィリア。姉が降り立つ場所へ駆け寄り、その体をゆっくりと抱き留めた。
「姉さん……ルシャラ姉さん!」
「……リ、ル?」
ゆっくりと瞳を開けた彼女の頬に、リルフィリアの涙が伝い落ちる。子供の様に大粒の涙を零し、わんわんと泣くリルフィリア。そんな彼女を慈しむように、姉は優しく頭を撫でた。
「うう……よかった、もう会えないかと……お姉ちゃん……うぅう……」
「ありがとうリルフィリア。もう大丈夫、貴方のお陰よ」
念願の再会を前に、俺は一歩引いたところで、バストル達とその光景を眺めていた。
「よかったよかった」
「感動の再会、美しいものだな」
「オメデトウ」
「まあ……よかったな。頑張った甲斐あったじゃねぇか」
一件落着、まさにその言葉が相応しい光景を、俺達は感慨深く見守っていた。
「姉さん、紹介したい人たちがいるの」
ひとしきり泣いて落ち着いたのか、リルがこちらを向く。
「姉さんを助け出すのに力を貸してくれた人達よ。彼らが居なかったら、多分助け出す事は出来なかったかも知れない」
「まあ……ありがとう。私と、そしてリルフィリアの為に頑張ってくれたのね。とても嬉しいわ。私はルシャラ。貴方達の行いに、感謝してもし切れません。本当に、ありがとう」
深々と頭を下げるルシャラ。その横でリルも同様の所作をとっていた。
その二人を前にして、俺達、正確にはアドスを除いた三人はたじろいでいた。リルフィリアは正直に言って美人だが、まだ幼い故の可愛さを持っている。その姉であるルシャラは、相対する事を躊躇う程の美人だった。
リルフィリアと同じく深い蒼の眼と髪色。長髪のリルとは違い肩程で留まっている、ふわふわとした印象の柔らかな髪型。落ち着いた、大人びた表情がより美しさを際立てる。氷の彫刻があれほどまでに美しかったのは、正直なところ、彼女の美しさもあってのものだった。
「何ヲ、タジロイデイルンダ」
「いや、たじろいでなんかねぇし」
「そうそう。良かったなぁって思ってるだけだから」
「そうだな、ここで退いては男が廃る」
「バストル?」
つかつかと歩み寄っていくバストル。ルシャラの前に片膝を付き、キメ顔。
「わたくしバストル=ベアレスと申す者。挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。ですがどうか許して頂きたい。貴方の麗しい美貌を前に、見惚れずにはいられなかったのです」
「あらあら。お上手な方」
「疲れを癒した後には、わたくしと優雅なティータイムでもいか、が……」
「人の姉を目の前で口説こうだなんていい度胸ね」
バストルの首に水の刃が! 自業自得だ!
「冗談……というわけではないんだが、流石に日を改めよう」
「改めても駄目よ」
「刺さってる刺さってる! リルフィリア刺さってる!」
彼なりに緊張した空気をほぐそうとした結果なんだろう。リルフィリアもそれを分かっている筈だ。……筈だよね、なんか水の刃増えてるよ?
「取りあえず、町に戻ろう。みんな疲れてるし」
「そうだな。自己紹介はその道中にゆっくりとしておこうか」
首元の血を拭いながら、バストルが応えた。結構刺されたねぇ。
「アドス、皆運ブ」
そういってアドスは力を籠めると、一回り大きくなった。最初に会った時と同じくらいか。これならみんなが乗っても問題はないだろう。
みんなアドスの肩や、腕に座り込む。俺は朋義の遺体を背負い、アドスの腕に乗った。
帰りの道はアドスのお陰で快適だった。戦いの中で習得した土の触手。それを応用し、ムカデの足の如き動作で進んでいく。二足歩行に比べて揺れもなく、疲れた体にはありがたかった。ただ……
「……なんか、キメェな」
「黙ッテ乗ッテロ」
みんな思ったけど言わなかった事を、モルバがポロっと口にした。ごめんアドス、俺もちょっとそう思っちゃった。




